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「記事をちゃんと読まないで批評する津田大介」VS「意図通り読んでくれないとクレームを入れる石戸諭」のホコタテの争い

 素敵だなと思ったんです。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14071676.html

 そして朝日新聞はこう。

編集部は、津田さんの表現は百田氏の政治的・思想的な立ち位置という観点から石戸さんの論じ方に疑問を呈した論評であり、訂正は必要ないと考えます。(宮本茂頼)

 いったい何を言っているんだ宮本茂頼。

 で、津田大介さんに朝日新聞で意味不明のDISりを受けた石戸諭さんが、ニューズウィークのサイトで怒りの全文公開。

 津田大介さんのフォローをするならば、まあフォローのしようもないのですが、石戸さんの渾身の記事を斜め読みして朝日新聞で難癖をつけたお陰で、石戸さんの百田尚樹評が多くの人の目に留まるようになり、結果としてグッドジョブだ津田大介という流れになったことでしょうか。

 で、石戸さんの記事は何度読んでも首肯する部分が大きいのですが、個人的には石戸さんの主張する「百田尚樹現象」は充分説明されている一方、その読者の傾向から考えると実のところ小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』から山野車輪さんの『マンガ 嫌韓流』、さらには花田紀凱さんの『Will』@ワック、『月刊Hanada』などの系統を愛読する右派の中高年男性がメインに入っているだろうと思うわけです。

 こういう系統の言論を好む人はそのまま『虎ノ門ニュース』なども視聴しているでしょうから、ここでいう「百田尚樹現象」は百田尚樹さんの優れた作家性とそれを愛する読者層という図式だけでなく、『ゴーマニズム宣言』以降連綿と続く「日本人であることにアイデンティティを強く持つ人々」の土壌に花開いたものだと思うのです。

 おそらくは、石戸さんが客観的、かつ中立的に百田尚樹さんについて論じた文章を津田大介さんがその党派性の強さゆえに気に入らなかったんだろうなあと予測するわけですが、石戸さんは石戸さんで「そういう意味で書いたのではない」と抗議するあたりに石戸臭を感じるのです。もちろん「津田大介なんてどうせ読まずに朝日新聞に論評しただけなんだから、いちいち真顔で反論なんかする必要もねえだろ」と言いたいわけではなく、百田尚樹さんや見城徹さんまで取材している内容を深堀すればもう少しいろんなものが見えてくるんじゃないかと思ったんですよね。

 経営のリアリズムからすれば、売れる作家の売れる本に邁進するのは当然の帰結ではある。イデオロギーうんぬんよりも、見城にとっては「稀代の小説家・百田尚樹」と売れる本を作れる喜びこそが根源にあると言えそうだ。

 もうこのくだりだけで、私なんかは「おお、石戸諭さん良く言った」と思うんですよ。

 こういうのでしょ、「百田尚樹現象」なるものをきちんと総括するための論評は。

 そして、石戸さんは見城さんのインタビューを下敷きに、売れればいい、面白ければ事実関係は多少損ねていてもいいという議論を導き出した後で、王道である「百田尚樹の『日本国紀』は歴史修正主義か」という実に真ん中の議論へと突入して、そうだよそれだよ石戸さんという流れになっていくわけでして、議論としては「読まれれば何を書いても良いというフェイクニュース問題」に直結する内容へと発展していきます。

 これは、百田尚樹本を批判した呉座勇一さんの論述にもありましたが、私の観点からすると「面白ければどういう内容でも良い」「売れれば内容は問わない」という商業主義的文脈と、歴史的事実に基づいた通史を標榜するのならば学術的に正しいと言われることをベースにきちんと論述するべきという史学王道的文脈とが相克を起こしています。では、歴史的に正しいうえに面白いというものが成立するのかという話になるわけですが、例えば浅田次郎さんの『蒼穹の昴』を読んで、中国人が「こんなものは清朝末期の歴史的事実ではない」というかどうか、さらには、司馬遼太郎作品を読んで孫正義さんとかが顔真っ赤にして「私が尊敬するのは坂本龍馬」とか言い始めるのとか、いわゆる歴史エンターテイメント小説をどう捉えるのかというのは重要なテーマになります。

 そして、百田尚樹さんがどういう気持ちで執筆したのか、あるいは有本香さんがいかなる資料を持ってきたのか、さらに見城徹さんや幻冬舎が何を目指して本書を出版したのかといった「お気持ち」とは別に、通史というものはそういうもんじゃないだろうという当たり前の議論と、いや歴史家でもない百田尚樹さんにそもそも通史なんか書かすなよという現実の問題を読み手側がどう受け止めるのかはきちんと考えないとアカンよなあと思うんです。

 だからこそ、石戸さんの議論は多くの人が目を通して自らの読書を重ねるにあたっての座標軸とするべきであろうし、次に百田尚樹的なるものが日本で流行したときに「ああ、石戸さんがこういうまとめ方していたよなあ」と思い返すためのレファレンスにできるものでしょう。そのぐらい、ウェブ記事にしては(ニューズウィークの誌面に掲載されていたものだそうですが)クソ長い記事にきちんと論点が整理して納まっているのは感動的ですらあります。「いまからでもいいから正座して全文を読め津田大介」とは第三者的には思いますね。絶対に読まないだろうけど。

 で、朝日新聞でそういう(たぶん読まないで批評した感じの)記事を書いた津田大介さんと、それを読んで「書いた記事の趣旨と全く異なる」とおとなげなく抗議した石戸諭さんがいなければ、ニューズウィークのサイトで全文が掲載されることもなかったであろうし、私もニューズウィークは買っていませんので読むことも本来は無かったんですよ。なので、お二人のホコ×タテ論争には深く感謝したい。そのぐらい、石戸諭さんの論考は光るものがあったし、百田尚樹さんを支持する人も批判的に見る人も目を通して損はない内容だと心から思います。


神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント