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准レガリア 蓋(かさ)

このアカウントの方の投稿が気になったので
少し調べてみました

レガリアとは?


大嘗祭とは
新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。
その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために(ではないですね、、)その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである

悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)はなぜ二つあるか?
「悠紀殿」「主基殿」の2つがある理由、そのヒントは(日本書紀)

「斎忌(ゆき)は尾張国(おわりのくに)の山田郡(こほりすき)次は丹波国(たんぱのくに)の訶沙(かさ)」

ならび
「郡、並にトに食べり」
てところ。

「斎忌(ゆき)は~、次(すき)は~」という内容で伝えてます。

• 「斎忌 」(ゆき)・・斎忌(ゆき)
•「次」(すき)・・・主基(すき)

※「斎」とは、心身を清め、飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いわう。いつく、意味。

※「忌」点は、この上なく清浄、いみきよめる意味。忌火などの例。

これってつまり、、、

メインとサブということ

御菅蓋



また伊勢神宮の御遷宮の度に造られる御料の一つとして、菅御笠(すげのおんかさ)と菅御翳(すげのおんさしは)、そして綾(あや)で織られた赤紫綾御蓋(あかむらさきのあやのおんきぬがさ)があります。

投稿3番目

蓋を作っている所はココ

これらは貴人の御幸や居所を示すレガリアだと考えられ、じっさい律令制下でも養老律令について書かれた『令義解』の中で、

「凡蓋、皇太子、紫表、蘇方裏、頂及び四角、覆錦、垂総。親王、紫大纈。一位深緑。三位以上、紺。四位縹。四品以上、及一位、頂角覆錦、垂総。
謂唯得覆錦、不可垂総、其大納言以上者、兼用錦総也。唯大納言以上、垂総。並朱裏総用同色。謂総者、聚束也。同色者與表同色」と各位階の者が使用できる蓋について事細かに色と装飾の規定が記されています。

投稿4番目、5番目

また考古学的史料の中でも、奈良県北葛城郡の佐味田宝塚(さみたたからづか)古墳から出土した倭鏡「家屋文鏡」にハッキリと蓋(きぬがさ)が差し掛けられた、住居の画像が鋳込まれています。

投稿6番目


また唐子・鍵遺跡ほかから出土した「蓋形埴輪」も弥生〜古墳時代の貴人と蓋の結びつきを反映していると言えましょう。

投稿7番目

諸外国の比較神話学、文化人類学、宗教学、考古学などの観点から論じてみても、「傘」には王権や宗教的指導者との強い結びつきがあります。

投稿8番目

例えば、インドに於いても熱暑を防ぐ日傘は、貴人のシンボル及び「煩悩の熱苦から解脱した覚者のシンボル」であり、例としてサーンチーの仏教遺跡群にあるストゥーパ(卒塔婆)にも、「傘蓋」があります。

※画像の仏塔の最上部に注目頂きたい

投稿9番目

→確かに蓋があります
しかも、よりによって卒塔婆ですか、、

仏教に心を砕いたアショーカ王

アショーカ王は古代インドの王様で、世界遺産サーンチー遺跡の生みの親です。(😱この人が作ったのですね、、)
その在位は紀元前273~前232年頃とされています。初めて国家統一をなしとげたマウリヤ朝で、最盛期を築いた王様になります。

そしてその在位中にサーンチー遺跡を建設したアショーカ王ですが、初期の頃は暴君と言われる程の強い王でした。
しかし戦争で捕虜10万人を虐殺した事を悔いて、仏教の道へと進むことになります。

仏教の道へ進んでからは、仏教という宗教だけに限らず、宗教全体を整えた制度を作ったり、8万
を超える仏教遺跡を建てたりと、仏教に心を砕いた王とされています。

また、タイ王国のレガリアは現在、王冠・短剣・王杖・団扇と払子・スリッパですが、かつてはそれに「チャット」(傘)と刀がありました。

投稿10番目

タイには傘祭りがあるそうです。
タイには傘祭りと呼ばれる「ボーサーン傘祭り」が行われています。
時期は毎年1月の第3金曜日から日曜日までの3日間です。

また長江流域のトン族の女神薩神など太陽神信仰と日傘に結びつきがある事も調査により明らかになっています。

投稿11番目

○中国の長江中流域地帯には女神信仰がゆきわたっています。
たとえば、私たちが調査したトン族社会では、薩神とよばれる民族の祖先の女神にたいする信仰がさかんです。
薩神は薩歳ともよばれています。
薩はトン族語で祖母を意味します。
祖先の女神ということになります。

○日本の創世神話とトン族神話には興味ぶかい一致があります。
『古事記』によるイザナギ・イザナミを主人公とした創世神話とトン族神話には以下のような一致点があります。

① イザナギ・イザナミの二神は、神世七代の洪水後に男女対偶神として誕生し、国土の生成、始動にかかわります。
姜良姜妹の二神は、洪水のさいにひさごのなかにはいって命がたすかり、国土と人類の生成にかかわります。

② イザナギ・イザナミの二神は、天神の命をうけて、まず天の浮橋に立ち、海をかきまわして得たオノゴロ島に降り、天の御柱をめぐって結婚します。
姜良姜妹の二神は最高神の薩神のはからいで結婚します。

③ イザナギ・イザナミの二神は、はじめヒルコなどを生んで失敗しますが、天神の指示をあおいで大八島国および石・海・水門・山野の神々を生んでゆきます。
イザナギは日向の橘の阿波伎原でミソギをします。
そのさいに防塞神や穢れから成る神またはこれを直す神、海の神などが出現し、最後に左右の眼と鼻をあらうと、アマテラス・ツクヨミ・スサノオが誕生します。
姜良姜妹の二神は、十ヶ月に満たない九ヶ月で一人の男子を生みます。
その子は、頭はあるが耳はなく、眼があって脚がない不完全な人間でした。
その身体が斬りくだかれて民となり、手や指が地におちて高峰となり、骨がおちて岩石に化し、頭髪は万里の河川となり、脳がおちて土手や田畑になり、歯牙が黄金白銀になりました。
肝腸が長江大河となり、野牛や野鹿、山脈、三百六十四の姓、トン族をはじめとする人類が誕生しました。

両神話のあいだに、洪水から生存した男女二神が結婚して国土と人類を生んだこと、その結婚ははじめうまくゆかず身体不完全の子が生まれたがつぎに国土と人類などが誕生したこと、しかもそうした行為が薩神(『古事記』では天神)の指導ですすめられたことなど、世界創造神話の基本構造が一致していることが注目されます。

○さらに薩神とアマテラスとのあいだにもつぎのような一致点があります。

① 民族の祖先の女神、②太陽神でもある、③稲作の神である、④歴史上の人物(女性英雄神と皇室の祖先)と習合し祭壇がもうけられた、の四点です。

また日本語族とは、古代に分化した琉球語族に於いても、「日傘」は重要なシャーマニック・シンボルです。

其れは、首里の差笠(さすかさ)や、国頭の煽りやへ(煽り:あおり、オーリ≒涼傘と言う日傘のこと)などの巫女の名前からも見て取れますし、実際神の出現のシンボルとして此の傘が登場した記録も『琉球神道記』や『琉球国由来記』にあります。

投稿12、13番目

上の画像は、1853年の琉球王国時代にペリーが来琉した際、琉球各地を調査した場面を表した石版画の1枚です。
絵を描いたのはウィルヘルム・ハイネというペリーに随行していたドイツ人画家。
各地でたくさんの絵を描いており、当時の琉球の風俗を知る上で貴重な資料です。
そこには、確かに男性が傘を差していますね。

御蓋山(みかさやま)=春日山も、単に蓋状の山形を指しただけでは無く、春日の太陽信仰と蓋に関するシンボライズでは無いかと愚考したい。

投稿14番目




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