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最近の我が家の大きな出来事

私は幼い頃から母に差別を受けていると思いながら生きていた。ズッとズッと母を恨みながら…時には殺意を抱いたことも幾度もあった。30歳を過ぎた頃、なぜなぜ?という私の中の問いに、その内訳が明らかに…。
親の言うことを聞かないイコール不出来な子ども…というのが母の育った環境で、主にその支配者は母の父、つまり私にとっては、祖父にあたる人物だ。祖母の影は薄く、まるで存在していないかのような存在だった。(勿論祖父は祖母をも支配していた)祖母は田舎の小さなお寺の娘として育ち、本当の意味ではどうかは分からないが、謙虚で自分の存在を消しているような、そして日毎の家事育児、また青年になった母の5人の兄弟の内4人は結核にかかり自宅で看病をしていたそうだ。後に知ったのは、別棟があったが、それは隔離看病のために空き家だった家を譲り受け移築したものだったそうだ。唯一健康であった弟は戦死と言う、なんとも悲惨な家庭に育っている。その中で祖母は、自分を消してひたすら働いていたのだろうと想像する。この想像も30代の頃から少しずつ 少しずつするようになっていた。祖母は自分がないのではなく、自分の存在をわきまえていた…と感じている。
とても立派に見えていた祖父の方が、つまらない人だったのだと、今は思う。
その祖母は、私の中でも居ないかのような存在だったが、いくつかの印象に残っている晩年の出来事の中から、彼女の徹底した美しさが今でも目に浮かぶ。
いつ誰か来ても…私にでさえ「ようおいでなさったなー、どうぞ」と三指をついて出迎えてくれていた。当時は初めからズッと、そんな人だったから気づかなかったのだと、自分で思うが、色々なことが私の中で明らかになっていく中で、それまで当たり前であったことが、当たり前ではなく、この家族の中の大きな間違い、問題、だと気づいていった。
所作、立ち居ふるまい、言葉使い、全てが美しく物静かだった。
今、もう一度会うことが出来るならば、たくさんの事を聞きたい。そして、抱きしめたいし、抱きしめられたいと思う。

前置きが長くなったが、簡単にだけれど、これは必要な前置きだ。
私が30代の初めに気づき始めたのは、自分の中の無意識の存在だった。
いつも書くように無意識とは全く無いかのように存在している。それは他者からの方が見えやすいとも言えるが、詳細は他者にも見えない。
母から差別を受けていると感じながらも、自分の中にも差別がある…とは気づきもしなかった。気づいてもすぐには受け入れ難く苦しみでしかなかった。自分を責めるからだ。が、いくつもの経験を通して、それが人間というものだ…と理解するようになった。そして、私は赦された。私には赦しが必要だったのだ…と気づき〈イエスのことば〉に私は、ことごとく平安へと導かれていった。
そんな中、勿論の如く私は母親としての自分に疑問や疑惑を感じながらも、子供の前では母親として権威を振りかざしていた。
つまり、私の母親像は、あれほど否定していた私の母の姿そのものであることに気づいたのだ。
それもまたショッキングな出来事であったが、時が経つに連れ、それしか知らないから、それが当たり前のように私の無意識に存在していたことを知る事となる。そしてそれは気づかなければ、延々と受け継がれていく親子の形である。人間はそのようにできているのだ。
そして、私は子育てをやり直すことが出来るのだという発見もした。ここまでは書いて置かなければ、これから書きたいことへ進めない😶。
1ヶ月ほど前になると思う。
私は多肉病(多肉植物の虜)にかかってから、毎日忙しく過ごしている。忙しいという言葉は合わない…次から次にやりたい事が出てくるという忙しさ。
ある日、いつものように、玄関先の段差に腰を下ろし、土いじりをしていると、家の中から怒鳴り声に近い声が…耳を傾けると長男が次男(長男の次男)に浴びせている言葉だ。そんな事は殆どないので、何事かと聞き入っていると、言葉は「お前が聞いてきたからだろ!!」と。次男のEが何か質問し、その答えに不満を持った……そんなことを想像した。
夕方になって家に入ると、息子もEもそこには居らず、嫁のNに聞いてみると「Tちゃん(息子)あんなふうになる事ほとんどないんだけどねー、お前が、なんて言ったこともないかもしれない。でも、ビックリするくらい怒って、蹴飛ばしたけど、それは椅子であって、Eではなかったの。よほど腹が立ったんだろうねー!」私は洗面所で手を洗いながら息子の気持ちと孫のEの気持を考えていた。
詳しい内容にはなぜか興味を持っていない。
長男の態度は、彼の幼い頃の私が影響している…と感じる。つまり、私が親の権威を振りかざして育てていた10年がある。
孫はそんなことも知らず、ちょっと反抗的な態度を取っただけで、あんな事に…と思って、傷ついたり、惨めな思いをしたり、悔しい思いをしたりしているのだろうと想像していた。(それも私の長男が過去に私に対して味わったであろう気持ち。そして私が私の母に対して味わった気持ち)
踏み込んで大丈夫だろうか…と思いながら、まず孫の部屋へ行った。案の定、ベッドで蒲団を被っていた。彼の体を擦りながら「ちょっと反抗しただけなのにとか、あんなに怒ることないじゃないか、とかムカつくとか、色々色々思うんでしょうねー!ヨシヨシ」21歳の男の子にこんな事をしたら怒るのかな?と思いながらであった。
「お父さんがあんなふうにするの、私に原因があるんだと思う…10歳になるまで、ズーッと親の権威を振りがざして育てて、それは間違いだと気づくのが遅かった…親はきっと誰でも
「こんなにしてやってるのに何だその態度は!」ってなるんだよねー!でも、それは違う、産んだのは大人の側だから、やってもらう権利はある、と思う。でも、そこにあぐらをかくのは違うと思うけど、それは、親が言うことではなく、子どもの方が気づくこと、それに親は自分がやってあげたい事に労力やお金を費している事に気づかないんだよね、だから「頼んでないのに…とか、自分がやって欲しいことは、そうじゃない!という気持ちになったりするんだよねー!」とそんな事を話していたら、声を上げて泣き出した。と言うより声が出てしまうくらい…。
あー、当たっていたんだなー、と思い「ごめんね!お父さんは私から受け継いだ事とは気づかずに、あんな態度を取ってるんだよ。後でその事をお父さんにも話すからねっ!」と言うとお蒲団を被ったまま頷いた。そして、もう一度背中を擦って部屋を出た。
それから、私はこの後長男とどう話すか…もし、彼が聞く耳を持たなかったら…とか、大仕事に突き進むのに、勇気が要る。
こんな事は、これまでにも幾度もあった。権威を振りかざすのではなく、尊敬される親とは…。その度に真剣に考え、慎重に向き合ってきた。それなのに、その度に勇気が要る。2〜3日してふと「そうだ、私はこの為にここで生かされているのだ」と気づくと、なんのためらいもなく、スッと私を突き動かした。
そして、この2〜3日に起きてきた私の気持ちを前置きに長男に話し、このために私はここにいるのだと感じたことを伝え「こないだ私が庭にいる時、聞こえてきてたんだけど、あんなやり取りはただただEを傷つけるだけじゃない?」と言うと、「だってさ〜、あいつが…」と。それで「そうそう、それ!Eはあなたの子どもであり、あなたは大人で、更に父親…」とそこまで言っただけで「そうだ…」と、低いトーンで言った。
私は「良かった…苦しかったー。」と言った。それで終わり、その後二人が同時にリビングにいることは何度かあったが、いつものような楽しい会話はなかったが、嫌な空気もなかった。そして、3日目だったか、ちょうど長男がリビングにいる時にEが「ただいま!」と帰ってきた。すると長男がチャンスを待っていたかのように「お、おかえり!お風呂先?ご飯食べる?」と聞いて「あー、今日はご飯先に食べたいなー!」と応えると長男が色々と世話をやいて「これ、美味しいよ!」とか言いながら、今日はどうだった?とか、そしてそれにいつものようにEが応えて和やかな会話が戻って、それ以降二人の距離がグッと縮まった。
この一連の事を土をいじりながら、「私は子育てのやり直しをした…と思っていたけれど、長男との信頼関係を作り直すことが出来ただけで、子育てはやり直せないのだ。」と悟った。
長男との関係を作り直せていたことが、子育てをやり直せた…と勘違いしていた…と言うより厳密さに欠けていた事に気づいた。
そう言えば、めったにないけれど、長男の自分の子供との関わり方に、あー、私があんなふうにして来たんだなー…と思う事は幾度となくあった。
今回も見事に組み込まれている親のあり方をまざまざと思い知った。見事にできている。
人生とは気づきの連続で成長し、苦しみと感動を体験することなのだなー。と思った出来事だった。
久しく書くことをしなかったが、日々小さな沢山の事を味わっている。
このコロナ騒動は我が家にはとても良い時間をもたらしている。

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