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「積み重ねて崩されて」2024年1月28日の日記

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・Googleの検索タブを開いたら、フィンランドの国旗がどどんと表示されていた。

・今日はフィンランドの大統領選挙の日だ。
日本では全く馴染みのない慣例だけど、候補者が男女含めて10人はかなり多いな、という印象だ。日本で同じ制度があったとして、果たして10人も立候補者がいるのだろうか。
わたしは強い政治思想を持っているというよりかは、どちらかというと「諦めている」感情が多くを占めていて、10人も候補者がいるという事実だけでこの国の未来は明るいんじゃないかとも思う。

候補者たちのポスター

・前回のフィンランド語の授業では「綺麗⇔汚い」「高い⇔低い」などの覚えるべき形容詞がさらに広がり「もし片方しか覚えていなければ、○○は綺麗ではない(=汚い)」など、否定文を駆使して表現するといいという教えや、具体的な話題が分からなくても知っている単語から内容を推測するといった何事にも通用するような知識を得て、ちょっと得した気分になった。

・フィンランド語は文法は全く異なるが漢字のような概念がある。
今週は「家」というテーマで家具などの単語をざっと学んだのだが、電子レンジ(Microwave)がMikroaaltouuniで「波(wave)」を意味するAaltoが単語の中に隠れていることが分かった時は嬉しかったし、それを見つけた自分のことを少し誇らしく思えた。

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・ここ2日間は超インドアな休日を送っていたのだが、かといって何にもしていないわけではなくて、何ならいつもより充実した日々だった。

・まず、フィンランドの文学に関する授業で課題として指定されていた洋書を、1日10ページずつ、計60ページ読んだ。

・わたしは日本語の本限定の本の虫で、洋書は留学開始から一時期、英語力向上を目指して多読を習慣づけようとしていたことはあるものの、当時も中学3年生でも分かるくらいの英文が載っている短編集を読むくらいだった。

・それと比較してこの「Memory of Water」という小説、見かけから読み取れる通り見たことがない単語もたっぷりの250ページ超の大作なのだが、読み進めてみると存外面白い。

・メインテーマは「水」と「茶道」で、主人公は現実世界とは全く違う、水質が汚染され超温暖化したパラレルワールドに住む女の子。茶人の父の下で修業を積んでいる。
物語は父から秘密の場所だった純水が出てくる井戸について明かされるところから始まる。その世界では水は非常に貴重で、茶人である父は秘密を隠しながら「よい茶をたてる」職人として名を馳せている。
ある日主人公はがらくたの山から、自分たちの世界宛に向けられたビデオレターを発見し、純粋な水があり冷たい雪が降る世界に憧れを抱くのだが、家の秘密を探るために警察がやって来て…。という話。

・読み方は至ってシンプルで、1ページごとに音読(大まかな内容を理解する)→きりのいいところで翻訳にかける→重要な部分や感想を数行程度でノートにまとめるという作業を繰り返す。

・情景描写や回想はパラレルワールドが舞台ということもあり翻訳機に任せてしまうことが多いが、会話文はかなり理解しやすい。語彙力や文法の問題というよりも、単純に英文を読む量が圧倒的に増えたことで、それを読むときの緩急がつけられるようになったのではないかと推測している。

・わたしは「書くこと」についてどこか神聖視している部分があって、Noteを開いて1人でタイピングしたり、洋書を開いて翻訳まがいのことをしている時、とても充足感を感じる。人生の中で最も必要な時間だとも思う。
藤本タツキさんの「ルックバック」を読んだ時も似たようなことを考えた。あの漫画は「描くこと」がテーマだったけれど、こうしてただ1人机に向かっている時は誰にも邪魔されないし、自分とひたすら向き合っている感覚を覚える。

・自分の感じていることを言語化したり、創作することは難しいけど、面白い。そういう時間には頭の違う部分がフル稼働していて「生きている」と思わせてくれる。そんな肯定感を少しずつ積み重ねて、時々崩しながら、また積み重ねてを繰り返す。

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・洋書を読んだりNetflixの海外恋愛ドキュメンタリーを見て最近思うのは「英語のきざなフレーズってかっこいいなぁ」ということだ。
英語力が今よりもっとついていなかった頃は、英語の定義が広い、ぼやけたような文章をしているところが苦手だったけれど、今は日本の小説よりむしろ思い切りがあるような、逆の印象を抱くようになった。

・また、ドラマを見ている時に漠然と思ったのだが、英語をまだまだ意味で理解していて、単語から連想されるイメージを駆使して会話できていないなぁとも感じる。

・たとえば、現在視聴している「ラブイズブラインド」で、「わたしはわたし、彼女は彼女」という台詞が出てきたのだが、「It is my business, she has her own business」のような英語に直されていて、なるほどなぁ~と思った。Businessという単語が単なる「仕事」ではなく「義務」的なイメージから出てくる慣用句なのだが、単語帳を暗記するように学んでいたわたしにとって「内容が分かる」から「実際に話せる」までの道のりはかなり遠い。

・このドラマの翻訳はかなり自然なので勉強になるのだが、案外takeやfeelなどの簡単な語彙を使って会話していることが多く、そのイメージを1つに限定して理解してしまっているからこそ、他のより専門的な「言えない」言葉を探して言葉につまってしまう。
音声自体は訳と一緒に聴けば大抵は書き起こせるので、今学期はより自然で分かりやすい表現を使って会話することが目標だ。

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・昨日は久々に高校の同級生と電話した。
定期的に連絡する相手も何人かはいるけれど、彼女は地元に帰省したら必ず会う内の1人で、渡航する前に遊んだっきり、声を聞けていなかった。

・大学では「何を言っているのか時々分からなくなる」と言われると零していたけれど、気持ちを素直に言葉にしてくれるところが好きで、少なくともわたしは彼女の言いたいことは100%分かった(わたしも同じ星の住人なのかも知れない)。

・特に嬉しかったのは「フィンランドに凄く馴染んでいるね」と言われたところだ(決して上から目線な言い方ではなかった)。
「世の中で人気の留学先だからとか、留学を自慢するとか、他人に対して誇示するための留学ではなく、純粋に自分自身が行きたいと思って選んだ留学先なのだろうと思ったから、そんな栞(仮名)が格好いいなぁと感じたし、留学してもホームシックになったり後悔したりすることはないだろうと思っていたよ」という(趣旨の)言葉は、胸にすとんと落ちてきて、そんなことを思ってくれているのか~という気持ちと、なんて素直に言ってくれる人なんだろうという気持ちがないまぜになった。

・彼女は高校の頃、わたしたちの学年の「普通」の進路から離れ海外で生活した経験がある。
一方でわたしは、そんな事実や共通点がなくても彼女のことを素敵な人だと思うし、そんな話を押し出さずに、でも時々にじみ出てくるような、その塩梅さを持っているところが好ましく、彼女と会話する時はどちらが姉でも妹でもないような、単純な「対等」関係にあると思えるところも好きだと伝えた。

・彼女といる時はいつもどこかに出かける時で、そういう時は大抵「今までのあらすじ」でいつの間にか全てが終わってしまう。
解散の時いつも笑いすぎて痛いお腹を抑えて帰る瞬間も大好きだけど、目的地がなく、互いを想う間隔が長かったからこそ深い話ができたことも事実で、その日は充足感でいっぱいになって眠った。

・努力することを馬鹿にしない人が好きだ。
わたしは小学4年の頃、算数の補修に引っかかった頃から大の数学嫌いで、最近その苦手を克服しようと、NHKの高校1年生向けの番組を視聴してゆっくり復習を始めた。
わたしの数学知識はとうの昔にさび付いていて「三角形の角を全部合わせると180°」というところから学び直さなければいけない有様だったのだが、最初の確認テストで解説を見てもさっぱりというほどつまずいてしまい、やむなく理系の道に進んだ最も近しい友人に尋ねることにした。

・「今数学の復習をしようと思ってて」とメッセージを送った時、少しは茶化されるかと思っていたのだが、返信はそのことには全く触れず、丁寧な解説付きのボイスメッセージを送ってくれて「あぁ、自分はこの人のこういうところを好きになったんだなぁ」と思ったし、信じきれなかった自分に少し後ろめたさを感じた。

・SNSの「既読」機能は今や便利よりも弊害を生み出している気がするが、親しい間柄の既読から返信までの時間は少し長い方が好きだ。その時間分、相手が自分のことを考えて文字を打ってくれている気がするから。

・わたしは自分のヘマやミスを取り繕わず笑い話に出来る人を心の底から尊敬しているし偉いと思っているけれど、言い出すように仕向ける人の行為は心から軽蔑する。
明らかに寝坊したと分かっている上での「さっきの時間何してたの?」とか、わたしだったら向こうのミスを言わせてしまう状況には絶対したくないから、逆によく触れられるなぁと思う。考え過ぎ?

58-5

・今日の午後はルームメイトと「ノートルダムの鐘」を見た。
初見だったわたしは、この映画の舞台がパリということも知らなかった。

・フランス語音声の日本語字幕で視聴。
予想以上に自分の抱くフランスらしさが表現されている映画だと思った。

・パリの美しい風景(実際、ノートルダムの大聖堂といった有名な建築以外はほとんど現存していないとは言われたが)、歌唱シーンで登場するセーヌ川の絶景や教会、そして戦闘の、市民を奮い立たせる演説シーンはフランス革命を連想した。
美女と野獣も悪役を追い払うために屋敷に住む召使たちが総出で戦う場面があったから、やはりフランス映画に革命はつきものなのだろう。

・個人的には「結局イケメンと美女がくっくんかい!」とは思ったものの、ディズニーブランドがまだ確立しきっていなかった頃に、可愛らしい小動物ではなく石像を重要な脇役に置く勇気や、当時には珍しく男勝りな性格のプリンセスを描いたという事実は誇るべきだと感じたし、十分満足した。

・メアリーは3月末には帰国してしまう上に、その内1週間はラップランドに旅行に行くので、毎週映画を見たとしても残りはたったの7回。
否が応でも近づく別れに、わたしは彼女に何を残せるだろうかと考えてしまう。彼女の英語は簡単に聞き取れるけれど、わたしの言いたいことや伝えたかったことはまだ完全に言いきれていないと思えるのがもどかしい。

・日々、どんな形でもいいから成長している姿を誇ってもらえるような、そんな存在になれるだろうか。
そんな相手がいるから、明日も石を積み上げようと思えるのだ。

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