100人と終えた時の風景とは#7

 2018年3月現在、僕は53人とのインタビューゲームを終えた。 
 先日、僕と同じように100人とインタビューゲームを目指し、50人を終えた友人と棚卸しをした。

 その中で、100人と終えた時の話になった。

 始めた当初はあまりにも遠すぎて、どんな風になるのか想像もつかなかった。
 けれど、半分まで辿り着いた今ならば、輪郭くらいは捉えられるようになってきた。また、途中だからこそ見える風景もあるだろう。

 だから、50人を終えた視点から見据える未来を記録しておきたいと思う。

世界が変わる

 抽象的な言い方になってしまうけれど、自分の住む世界が変わっているだろう。

 今の時点でも、大きく変化はしたけれど、環境が更に異なってくる。
 接する人、暮らし、時間感覚、ルールなどあらゆる文脈が違う。それらが変わるということは、同じことをしても結果が違うということだ。

 凍える場所で、服を脱ぐのは自殺行為だけれど、暑い場所で服を脱いだら心地よくなる。以前は罵倒されていたことが、賞賛されるようになるかもしれない。

 ただ成長して、それまでの人生の延長線上にいるだけでは、そうしたパラダイムシフトはなかなか起こらない。

 インタビューゲームでは否応もなく色々な人の価値観に触れることになる。その中で、自然と自分の立ち位置はずれていく。そして、自分がずれれば近づく人離れる人が出てくる。
 そうやって、ハッとした時に世界はガラリと変わっているのだろう。

考えることが必要なくなる

 僕はずっと意識で考えて、やろうとしてきた。
 だから一旦立ち止まって、思考して、やるかを決断して、ようやく行動に移るというプロセスを歩んでいた。

 それでは、次から次へと起こる出来事に対していつも後手に回ってしまう。それぞれの手順をバラバラにして捉えていたら、そうならざるをえない。

 だから、同時並行的に全てを一括して行ってしまえばいい。そのためには無意識の直感レベルでそれがこなせるようになる必要がある。

 100人という量を経験することで、ある程度のレベルでそれが実現できるようになるだろう。必要な情報が揃えば、自然と決断して、もう行動を始める。

 考えるという行為から、考える習慣へと移り変わっていくのだ。

自他の幸せを祈り、祈られる

 誰かのことを知るということは、その人と無関係ではいられなくなるということだ。知ってしまった以上は、知らない頃には戻れない。

 お互いの背負っている荷物を交換して、それぞれの道を歩んでいく。色んなところに僕がいて、自分の中にたくさんの人がいる。すると、自分と他者との境界線が薄くなっていくことになる。

 だから、相手のことを我がことのように思い、幸せを願えるようになる。
 そして境目が薄くなるということは、相手への祈りはそのまま自分にも向かうということだ。

 自らの幸せを願うことが相手の幸せにもなる。
 それは最強なんじゃないかと僕は思っている。

 僕のわがままにたくさんの人が協力してくれたというありがたさを噛み締め、そしてその恩を感じるならば、自分を無下に扱うわけにはいかないのだ。相手をしてくれた人たちに対しても失礼である。

 インタビューゲームを終えると、毎回B6サイズの他己紹介カードが手元に残る。
 100枚分のカードはきっと質量以上の重く、温かいだろう。

 なんだか宗教チックな話になってしまったが、今の僕から見えるのはそんな風景だ。

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本田

100人とインタビューゲームをやれば人生が変わる

コミュニケーションに苦手意識を持っていた人間が「インタビューゲーム」の実践を通して、得たもの、そして徐々に変わっていくプロセスを生々しく記しています。100人とやった時に果たしてどんな風景が広がっているのでしょう?
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