ためらいの幻想
気の乗らない連絡を2つほど引き延ばしていた。なまじ明確な期限がないだけに、目の前の生活を優先させてしまう。けれど、必要な連絡である自覚はあったので、後回しにすればするほど自分の首を締めることはわかっていた。
だから、今朝意を決してメールを2つ書いて送った。
簡単に言えば、「有名無実化されたものを解消しましょう」というものだ。別に放っておいてもお互い困るわけでもないけれど、年明けのタイミングを逃せば、またずるずると頭の片隅に引っかかったまま、過ごすことになる。
だから、白黒つけたかった。
不思議なのは、はっきりさせたいはずなのに、なぜか僕は躊躇っていた。ほぼ実態がないのだから、解消されたところでお互いに不利益があるわけでもない。
そこにある関係性を惜しむ気持ちが働いていたのかもしれない。区切りをつけることで、糸が切れるように関係が途絶えてしまう気がしていたのだ。
けれど、冷静に考えればそんなことはない。お互いに望めば、その後もなんらかの形で続くのだ。
ないよりはあったほうがいい。
確かに一理ある。でも、そういうしがらみがたくさんありすぎると、今度はボトルネックになってしまう。
余白があるからこそ、新しく入れられる。
だったら、まずは余白を作らなくてはいけない。
入れるためにまずは出す。微かな郷愁はあるけれど、自分という人間が有限である以上は、前に進むために必要なことだ。
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