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らくだメソッド1年3ヶ月の振り返り

 また、3ヶ月が過ぎた。

 3ヶ月前中学三年生のプリントをやっていて、未だに三年生のプリントをやっている。
 後半に行くに従って難しくなり、足踏みをすることが多くなってきた。

 私の学力はこの辺りで止まっていたのだと実感している。
 自分の中で学びが多いのはきっと今の自分のギリギリの学力範囲をやっているからだ。できるかできないか、毎回毎回わからない。その時に人は頭をフル回転させるのかもしれない。そしてそれは喜びであり、楽しさなのだ。

 そう、楽しさ。
 プリントに取り組むのがこれまでになく楽しい。
 毎日のように新しい発見がある。しかも、それは私にとっては結構大きな発見だ。

 止まっていた時が今、動き出している。遅くても一歩一歩前に進む。そんなことを思う。

 最近、大発見をした。

”1/19 中3-35(12分)12:13①
理解の幅がだいぶ深まって来た。一度、35で具体例を学んだ36、37で公式へと抽象化して理解することで35をやる時に混乱することが全くなくなった。具体→抽象→具体を何度も流して対流させることが大事なんだ!”

 プリントをやってから毎回感じたことの記録を取っている。その中で太字にしたことだ。
 2次関数の公式は中学時代に確実に習っていたはずだ。でも、私は完全平等式のことをすっかり記憶から忘れていた。それは意味が全くわかっていなかったからだと思う。

 問題を解くための道具をありがたがって、使っていただけだ。だから記憶から抹消されてしまった。
 けれど、具体的な問題から抽象的な記号式にされた時に、すごくよくわかった。腑に落ちた瞬間だった。

 抽象的に考えることの大事さ。
 それは色んなものに応用できるということだけでなく、計算を単純にするのだ。抽象的な思考をすることで、近道を作る。
 例えば、S字のカーブがあったとする。
 私達はありがたがってその道に沿って進もうとする。けれど、S字を縦に貫く道筋を作ってしまえば、一気に時間短縮だ。もちろんたった一回しか通らないならば、いちいち抽象思考する必要性もないけれど、何度も通る道ならば、それは作った方が絶対に楽だ。

 そして、改めて不自由を感じることも必要だと感じる。
 だってS字を通るのが不便だと思うからこそ頭を働かせようとするのだ。そこに不満と違和感を覚えない人間は何年経っても同じことを続けるのだ。

 できないことは大切なこと。
 その意味をまた1つ深い次元で知れた気がする。広げていくことよりも深めることに今は興味が向いているのかもしれない。

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 僕の数学力は中3くらいで止まっている。そのことを認めて、諦めた時に楽しさがやってきた。

 簡単すぎる問題は退屈だ。けれど、難しすぎる問題は挑む気をなくしてしまう。ちょっと背伸びをするぐらいがちょうどよくて、僕はずっと背伸びをし続けながら今日もプリントに取り組んでいる。

 そういえば、僕は今までらくだメソッドをやめようと思ったことがないことに気づいた。やらない日、やりたくない日、忘れる日、色々あるけれど、「もうやめにしよう」とは1度も考えていない。

 飽き性の僕にしては珍しいことだ。それはきっと発見がなくならないからだろう。マンネリ化してきたと思ったら、新しいことを発見する。だから、やめようという気持ちが起きないのかもしれない。

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