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ちゃんと不機嫌でいさせて

 不機嫌でいられることって、案外貴重なのかもしれない。

 人間ってのは、不思議なもので時折どうしようもなく不機嫌になる時があります。特に幼い時は顕著ですが、大人でも四六時中ご機嫌な人にはなかなかお目にかかれません。

 原因がわかったところで、その不機嫌が解消されるとも限りません。だから、人間は不機嫌であるために不機嫌になる場合があるのではないかと僕は思っています。

 けれど、ちゃんと不機嫌でいられることってあんまりないんですよね。

 なぜなら「どうしたの?」と声をかける人がいるからです。聞かれたら、消耗した理性を引っ張り出してきて、説明をしなければなりません。

 かといって、触らぬ神に祟りなしとばかりに避けられても、今度は不機嫌であることに負い目に感じたり、余計な苛立ちを感じたりするわけです。

 そう考えると、不機嫌な状態をじっくり味わせてくれる人は貴重だと思います。干渉も放置もせず、絶妙な距離感を保ってこちらの不機嫌を逸らさない。
 すると、誰かに対する怒りに変換もできないので、不機嫌と向き合わざるをえなくなります。

 どうして自分は機嫌が悪いのか?
 どうすれば機嫌は整うのか?

 案外それを真剣に考えたことってないんじゃないでしょうか。

 自分の覚える感覚・感情に対して、他者に解決を求めていること、また他者のそれに介入しようとすることって自覚している以上に多いです。
 だから、「解決」も「放置」もしないという関わり方ってすごく高度で、自立と自律を促す優しい行為だなと僕は思います。

 ちゃんと不機嫌でいさせてくれる人があなたの周りにはいますか?

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