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セレッソ大阪U-18からJリーグ入りした選手のその後

セレッソ大阪の育成を支えるハナサカクラブが設立されてから10年以上が経過しました。ハナサカクラブ設立後のセレッソ大阪U-18からJリーガーとなった選手たちがどのようなキャリアを歩んでいるのかまとめてみようと思います。

なお、U-15やU-18から高校サッカーや大学サッカーを経由してJリーグ入りした選手(魚里直哉や小谷祐喜、伊藤涼太郎など)は今回の対象からは外しています。

2009年度


山口 蛍(現:セレッソ大阪)
ハナサカクラブ1期生。
2009年にトップチーム昇格後、パルメイラスへ留学。セレッソへ帰ってきてから、なかなか出場機会に恵まれなかったものの、関塚監督率いる世代別代表でその才能を開花。セレッソでもレギュラーとなり、ロンドン五輪ではベスト4入りに貢献。その後、日本代表にも選出されるようになり、南アフリカW杯出場。2016年にハノーファー96へ移籍するも色々あって半年でセレッソへ復帰。復帰後はセレッソ大阪をJ1昇格させ、2017年にはクラブ史上初のタイトル獲得に貢献。2018年ロシアW杯メンバーにも選出される。


丸橋 祐介(現:セレッソ大阪)
2009年にトップチーム昇格。蛍とともにパルメイラスへ留学。2010年、当時の監督レヴィー・クルピに抜擢され試合に出場すると、以降セレッソ不動の左サイドバックとして試合に出場。セレッソ大阪一筋、桜のバンディエラ。


2010年度


扇原 貴宏(現:横浜F・マリノス)
2010年にトップチーム昇格。昇格後、病的骨折のためシーズンのほとんどを治療で過ごす。チーム復帰後は、マルチネスの後継者として試合に出場。2012年、ロンドン五輪に出場し日本のベスト4入りに貢献。2016年、チームでレギュラーポジションを失い、名古屋グランパスへ完全移籍。名古屋移籍後は負傷のため試合出場できず。2017年、横浜F・マリノスへ完全移籍。マリノスでの試合出場数は40試合を超えた。


永井 龍(現:松本山雅FC)
2010年にトップチーム昇格。昇格初年からトップでの出場機会を得るも、細かい怪我に悩まされポジションを獲得することができず。2012年にはオーストラリアのパース・グローリーFCへ期限付き移籍しAリーグで武者修行。2014年途中でセレッソに復帰するも、2015年には大分トリニータへ期限付き移籍。そして、2015年7月に再度セレッソへ復帰するも試合中の負傷によりチームを離脱。そして、2016年にV・ファーレン長崎へ完全移籍。高木監督のもと覚醒しシーズン17ゴールを記録。2017年にはJ2へ降格した名古屋グランパスへ完全移籍。23試合出場6ゴールを記録。2018年は松本山雅FCへ完全移籍。流浪の点取り屋。


2011年度

杉本 健勇(現:セレッソ大阪)
2010年、高校3年生ながらトップチームに昇格。恵まれた体格から皆からの期待を一身に受けるもなかなか結果を出せず。2012年、ロンドン五輪出場を目指し東京ヴェルディへ期限付き移籍。J2で試合出場を重ね、見事ロンドン五輪メンバー入り。ロンドン五輪終了後、セレッソへレンタルバック。復帰後はなかなか結果を出せず。2015年、川崎フロンターレへ完全移籍。J1にて24試合出場6ゴールを記録。2016年、セレッソ大阪へ完全移籍で復帰するとJ1昇格に大きく貢献。2017年、J1得点ランキング2位となる22ゴールを記録し日本代表にも初選出される。

夛田 凌輔(現:栃木SC)
2011年、トップチームに昇格。2012年から大分トリニータへ期限付き移籍。2013年、ザスパクサツ群馬へ期限付き移籍。ようやくレギュラーとしてシーズン35試合出場。2014年にそのまま群馬へ完全移籍。2015年をもって群馬との契約が満了となり、2016年にAC長野パルセイロへ完全移籍。2017年には栃木SCに完全移籍。群馬移籍後は各クラブで一定の出場機会を得ている。

野口 直人(引退)
2011年、トップチームに昇格。2012年に大分トリニータへ期限付き移籍するも出場機会なく、2013年にはMIOびわこ滋賀へ期限付き移籍。滋賀では20試合に出場するも、セレッソ大阪との契約は2013年をもって終了。2014年ポーランド3部のオリンピア・エルブロンクへ移籍。ポーランドから帰国後、セレッソでスクールコーチをしながら移籍先を探すも自身が納得いくチームと出会うことができず。現役引退しセレッソのスタッフとしてセカンドキャリアを歩んでいる。


2012年度
無し


2013年度


秋山 大地(現:セレッソ大阪)
2013年、トップチームに昇格。昇格後ほぼ出場機会がなく、2015年に愛媛FCへ半年間の期限付き移籍。愛媛では16試合出場。セレッソに復帰するも出場機会はそこまでなく、2016年にセレッソ大阪U-23が発足すると13試合に出場。2017年は「ルヴァン組」としてクラブの決勝進出に貢献。リーグ戦での出場機会は少ない。

岡田 武瑠(現:Corrimal Rangers FC)
2013年、トップチームに昇格。初年は出場機会なく、2014年に当時JFLのAC長野パルセイロへ期限付き移籍。14試合に出場。2015年にセレッソへレンタルバックするも出場機会がないままに2015年をもって契約満了。2016年はポーランド3部のGKS Belchatowへ移籍。2017年にFCティアモ枚方へ移籍。2018年はオーストラリアのCorrimal Rangers FCというクラブに所属中。

小暮 大器(現:愛媛FC)
2013年、トップチームに昇格。2014年、徳島ヴォルティスへ期限付き移籍。13試合に出場。2015年、セレッソへレンタルバックされるも出場機会はほぼなし。2016年、セレッソ大阪U-23が発足するとJ3で27試合に出場。そして、2017年、愛媛FCへ完全移籍。32試合出場。2018年も引き続き愛媛でプレー中。


南野 拓実(現: FC Red Bull Salzburg)
2012年、高校三年生で2種登録され、トップチームデビュー。2013年、トップチーム昇格。1年目からレギュラーで試合出場し29試合5ゴール。2年目もレギュラーとして30試合に出場。そして2015年、FCレッドブル・ザルツブルクへ完全移籍。移籍後もコンスタントに出場、UEFA ELでもゴールを決めている。


2014年度


丸岡 満(現:レノファ山口)
U-18所属時にドルトムントへ練習参加。2014年、トップチーム昇格と合わせてドルトムントへの期限付き移籍が発表される。ドルトムントでは2ndチームやユースチームで出場を重ね、クロップ監督のもとブンデスリーガ出場を果たす。しかし、2016年にセレッソ大阪にレンタルバックされてしまうとドイツ仕込みのサッカーと大熊サッカーとの違いに悩まされ、セレッソ大阪U-23が主戦場となってしまう。2017年、シーズン途中でV・ファーレン長崎へ期限付き移籍。負傷もあり5試合出場にとどまる。2018年はレノファ山口へ期限付き移籍。こちらでも負傷のため試合出場数は少ない。


大津 耀誠(現:奈良クラブ)
2014年、セレッソ大阪U-18からザスパクサツ群馬への加入が発表される。U-18からセレッソ以外のクラブへの加入は初(のはず)。群馬では2年間で16試合出場。2015年に大分トリニータへ期限付き移籍。2017年に大分へ完全移籍。大分在籍中は通算14試合出場4ゴール。大分との契約が満了し、2018年はSC相模原に移籍。そして、2018年7月にJFLの奈良クラブへ完全移籍が発表される。


2015年度


沖野 将基(現:セレッソ大阪)
2015年、トップチーム昇格。セレッソ大阪U-23で出場を重ね、3年目でJ3通算出場数は60試合を超えた。当初は前線での起用であったが、2017年途中からはサイドバックにコンバートされる。


阪本 将基(現:鹿児島ユナイテッドFC)
高校3年生時にペッツァイオリ監督のもと天皇杯デビュー。ヴィアティン桑名(現:ヴィアティン三重)相手に2ゴールを決める。2015年にトップチーム昇格するも、負傷に悩まされ在籍した3年間の出場試合数はJ2で1試合、J3で40試合。2017年シーズンが終了し契約満了が発表される。トライアウトを経て鹿児島ユナイテッドFCへ加入。しかし、加入後も出場は無し。


西本 雅崇(現:セレッソ大阪)
セレッソ大阪のサッカースクール出身でセレッソ大阪一筋。2015年にトップチーム昇格。2016年からはセレッソ大阪U-23で試合出場を重ね、J3通算60試合超。2018年にはACL・J1デビューを果たした。

温井 駿斗(現:栃木SC)
2015年、トップチーム昇格。2016年よりU-23で出場を重ね、通算50試合出場。2018年、栃木SCへ完全移籍。J2開幕スタメンを勝ち取るも、出場機会は減少気味。


前川 大河(現:徳島ヴォルティス)
高校2年生時、丸岡満とともにドルトムントの練習に参加。2015年にトップチーム昇格すると、1試合のみとなるがルーキーイヤーでJ2初出場を果たす。
2016年、徳島ヴォルティスへ期限付き移籍。2016年は9試合の出場にとどまるも、2017年も引き続き徳島ヴォルティスへ期限付き移籍が延長され、リカルド・ロドリゲス監督のもとレギュラーとしてJ2で37試合に出場。2018年も期限付き移籍延長、J2通算60試合を超えた。

2016年度


岸本 武流(現:水戸ホーリーホック)
2016年、トップチーム昇格。ルーキーイヤーをセレッソ大阪U-23で過ごし、J3通算44試合15ゴールを記録。2018年から水戸ホーリーホックへ期限付き移籍。開幕からスタメンで試合出場を重ねるも、徐々にスタメンから外れ途中交代での出場が多くなってきた。


庄司 朋乃也(現:ツエーゲン金沢)
2016年、トップチーム昇格。昇格当初は負傷により、試合出場できない日々を過ごしたものの、復帰後はU-23で出場を重ねる。シーズン終盤にはトップのベンチ入りも果たすが出場はなかった。2017年、シーズン途中でツエーゲン金沢へ期限付き移籍。2018年も引き続き金沢へレンタル。J2通算50試合到達。


2017年度


斧澤 隼輝(現:セレッソ大阪)
高校3年生時、2種登録でセレッソ大阪U-23でレギュラーとして試合に出場。2017年、トップチーム昇格。J3通算70試合超。ルヴァンカップグループステージでトップチーム初出場。


舩木 翔(現:セレッソ大阪)
高校3年生時、2種登録でセレッソ大阪U-23でプレーすることはあったものの、メインはU-18だった。2017年、トップチーム昇格を果たすと、ルヴァンカップでいきなりスタメンに抜擢される。数試合ルヴァンカップで出場するが、徐々にU-23が主戦場となる。2018年はACLにも出場。


森下 怜哉(現:セレッソ大阪)
高校3年生時、2種登録でセレッソ大阪U-23でレギュラーとして試合に出場。2017年、トップチーム昇格。ルーキーイヤーでセンターバックながら、J3通算50試合を超えた。2018年、スルガ銀行チャンピオンシップでトップチームデビューを果たす。


2018年度


中島 元彦(現:セレッソ大阪)
2016年、高校2年生であったが2種登録でセレッソ大阪U-23で試合に初出場。2017年も引き続き2種登録でセレッソ大阪U-23で試合出場を重ね、10試合3ゴールを記録。2018年、トップチーム昇格。U-18時代は前線での出場であったが、昇格後はセンターハーフでも試合に出場中。


山田 寛人(現:セレッソ大阪)

高校2年生時に2種登録でセレッソ大阪U-23にてJ3初出場。2000年代生まれ初のJリーグ出場を果たす。2017年もU-18とU-23を行き来しながらJ3出場。2018年、トップチーム昇格。ユン・ジョンファン監督に抜擢されACL出場を果たしている。

まとめてみて感じたU-23のありがたみ

こうしてまとめてみると、ハナサカクラブ設立後はほぼ毎年数名の選手が昇格していることが分かります。
また、U-23発足後はJ3での試合出場数はもちろんのこと、レンタル先でも試合に出場することできていることが分かります。これはU-23でのプレーを見た上で相手先クラブが選手を獲得しているからではないかと思いました。
夛田や野口がレンタル先で試合に全く出ることができなかったことを考えると、U-23が果たす見本市的な役割はとても重要なものだと感じました。

U-23が長期的に運用されるためにも、セレッソ大阪サポーターの皆さんにはできる限りスタジアムに足を運びU-23にお金を落としてほしいな、と切実に思います。

中断中のJ3、再開後の初戦は8月26日(日)19:00~ヤンマースタジアム長居で鹿児島ユナイテッドFCとの対戦です。
ぜひ、ヤンマースタジアム長居で一緒にU-23の応援をしましょう!

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