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波及効果と妥当性のトレードオフ?―発音アクセント問題から考える

先日ふと気になったことがあります。

センター試験から共通テストに変わって、発音アクセント問題がなくなりました。

その結果、大学生や高校生の発音がどう変化したか、何か調査やデータはあるのでしょうか。さんざん批判されていた発音アクセント問題でしたが、その波及効果(washback effect)を振り返って検討することができるのではないでしょうか。

発音・アクセントの指導

私自身のことで言えば――これが良いことなのか悪いことなのか判断に迷いますが――共通テストになりセンター試験時代の発音アクセント問題が無くなってから、発音アクセントの規則を明示的に指導する機会は確実に減りました。

悪く言えば、入試で出ないから指導に力を入れなくなったと言えます。もちろん新出語句の発音は確認しますし、発音や強勢位置に注意が必要な語は取り上げて指導します。ただ、発音やアクセントの「ルール」を体系立てて明示的に指導することはめっきり減りました。例えば、「-ityの前にアクセント」とか「-graphの2つ前にアクセント」のようなルールは、もちろんそれに該当する語の発音が話題に及んだときには言及しますが、それ自体を時間をかけて指導することはほとんどしていません。

もちろん、こうしたことを指導しなくなったのは、入試で出なくなったからという理由一択でのことではありません。センター試験での出題がなくなったことで、こうした発音アクセントのルールを体系的・明示的に教える必要性を自分なりに再検討し、そこまで力を入れてやる必要はないと判断しました。

もともと批判されていたことですが、発音アクセント問題はテストの妥当性に問題があるとされてきました。正解できることと、正しく発音できるということが、必ずしも一致しないということです。

私自身は、初見の語の正しい発音とアクセントを正確に突き止める必要性は(センター試験に出題されるからという理由以外に)大きくないと考え、指導に力を入れることをやめました。

波及効果と妥当性

さて、センター試験での発音アクセント問題廃止の結果、私という英語教師が発音アクセント問題の指導をやめたということは、ある意味で波及効果と言えるのではないでしょうか。また逆を言えば、センター試験で発音アクセント問題が出題されていた時代は、妥当性の問題をはらみつつも多くの英語授業で発音アクセント問題が取り上げられていたわけですから、これまた大きな波及効果を持っていたと言えるのでしょう。

私はテスティングの専門家ではないので、あまり専門的な言い回しはすべきではないのでしょうが、現場目線で言えばセンター試験や共通テストのようなテストがもつ波及効果は絶大です。センター試験で発音アクセント問題が出題されたことも、共通テストでそれらが廃止されたことも、たいへん大きな効果を高校英語の現場にもたらしてきました。

そしてここで重要なのが、その波及効果の大きさは、テストの妥当性にはほとんど左右されないということです。

発音アクセント問題が、実際の発音の善し悪しをテストできているか否かという意味での妥当性が低いであろうことは、その問題の性質から考えても、実際に生徒を指導してきた観察からしても、明らかです。しかし、テスト問題が妥当性に乏しいことと、その波及効果にはおそらく何の関係もないのです。

メッセージ性のあるテスト作成を

私は、定期考査や実力テストを作成するときに、波及効果を最も重要視しています。この問題を見て、どんな学習をすべきと生徒に感じさせることができるか、どんなメッセージを与えることができるか。

もちろん、どんなに望ましい波及効果が期待されても、テストとしての妥当性や信頼性が著しく損なわれてしまえば、期待された波及効果も得られなくなってしまうでしょう。生徒がテストを信頼して、そのテストに向けて努力をすれば改善できると思ってはじめて、波及効果につながるからです。

ただし、逆を言えば、私の個人的な意見としては、期待される波及効果が高ければ、、ある程度は妥当性や信頼性に疑問があったとしても、私は期待される波及効果を優先して考えます。

そういう意味で、テストの妥当性と波及効果には、何かしらのトレードオフのような関係性があるのでしょう。妥当性のみを意識して、生徒に適切なメッセージを与えられなければ、それは良質なテストと言えるのでしょうか。

もちろん私はここで、共通テストに発音アクセント問題を復活させるべきだという主張をしたいわけではありません。しかし、共通テストがどのようなメッセージを高校生(と高校英語教育現場)に発しているか、検証することは重要なのではないでしょうか。

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