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『いま求められるコミュニケーション能力』を読んで

村松賢一(1998).『いま求められるコミュニケーション能力』 明治図書

図書館の新着コーナーにあったので新刊かと思いましたが、いざ借りて読んでみるとなんと1998年の出版でした。タイトルの「いま」は前世紀ということになります。それでも、本書で書かれていることは現代(2024年)にも通ずるものであり、裏を返せば筆者の嘆く状況はこの25年で大きくは改善していないことが分かります。

「言わなくてはわからない社会」のコミュニケーション教育

本書が書かれた1998年当時、筆者によれば日本社会は「言わなくてもわかる社会」から「言わなくてはわからない社会」へと急速に変わりつつあったとのことです。そんな社会の変化に対応するために、コミュニケーション教育としての国語教育を求める、というのが筆者の主張です。

コミュニケーション教育として国語科を考えた際、「訊く」ことが指導できていないと筆者は指摘します。当時の「現行」の国語科学習指導要領では、「聞くこと」と「話すこと」が別々のものとして扱われてお互いが分断されており、「聞く」と「話す」の間にあるはずの「訊ねる」という、コミュニケーションにおいて不可欠な技能の指導が宙に浮いているということです。

ちなみに、現在の国語科学習指導要領では、「聞くこと」と「話すこと」は統合され、「話すこと・聞くこと」という領域名になっているようです。経緯は分かりませんが、筆者の業績によるところもあるのでしょうか。

余談ですが、英語科の学習指導要領においては、「聞くこと」「読むこと」「話すこと[やり取り]」「話すこと[発表]」「書くこと」の「4技能5領域」となっています。筆者の主張する「訊くこと」を含めたコミュニケーションの指導は、主に「話すこと[やり取り]」として扱われています。

「聞く」と「話す」をつなぐ「応じる力」

対話においては、相手のことばを受けて、それに自らの味付けをして返すことになりますが、これを筆者は「応じる力」と名付けています。筆者は元NHKアナウンサーということで、この辺りには造詣が深いようです(ちなみに出版時の肩書は「お茶の水女子大学助教授」)。

本書は身につけたい「応じる力」を3種類に分類しています。

  • 肯定的な応じ方:同意、共感、抽象化、自分の知っている具体例の追加など

  • 中立的な応じ方:繰り返し、確認、意味づけなど

  • 否定的な応じ方:質問、疑問、反問など

このように応じ方を肯定的、中立的、否定的の3つに分けるのはおもしろい分類です。

英語教育においては、主に英会話などにおいてこれらの「応じる力」のようなものを、communication strategiesとして指導することが多いと思います。その際、同意であれば "I can't agree with you more!" だったり、確認であれば "So, are you saying …?" のように、その機能を果たす具体的な表現とともに指導します。

国語科においては、こうした指導は小中高いずれかでなされているものでしょうか。もしも国語科が「コミュニケーション能力」を指導するのなら、会話においてこうした機能を果たす言葉も明示的に指導すべきでしょう。

コミュニケーション能力の指導①:応じ方

本書の優れたところは、上記のような当時の国語科教育や学習指導要領への抽象的な批判・提言に留まらず、具体的な言語活動や指導法にも触れていることです。著者の教師歴は確かではありませんが、これらの実践提言は現場の指導において十分に取り入れうるものだと感じますし、私自身英語教師としてもたいへん参考になるものだと思いました。

まず、応じ方の指導としては、授業中の一人の生徒の発言に対して、教師が「今の話に自分の知っている例を付け加えてみよう」「反対の例を示してください」といったように他の生徒に「応じる」ことを求めるということを提案しています。また、教科書の文章を読みながらでも同じ要領で、「へー、知らなかったな」「本当にそうかな」などと、その場で教科書に書き込みをさせるような実践を挙げています。

教室での授業を考えると、このように生徒の発言に対して他の生徒が応じるということを促さず、教師がコメントして終わらせてしまうことが多いと反省させられます。

なお、上記の教科書に書き込みをさせる実践に関しては、英語科において似たような取り組みは多いのではないでしょうか。私も、ペアのうち片方の生徒が教科書本文を音読して、もう片方の生徒がそれに対して "Oh, I see." "Are you sure?" などとコメントを挟んでいく、という活動をすることがあります。

コミュニケーション能力の指導②:インタビュー

また、対話能力の指導のために、筆者はインタビューを教室での活動にもっと取り入れることを提案しています。「『聞く hear、聴く listen、訊く ask』の最高段階に位置するのがinterview」であると述べ、あらゆる対話活動の基礎となる力を鍛えることができるとしています。イギリスでは1980年代後半以降、討論と共にインタビューが中等教育において中心的な活動に位置づけられているそうです。

元アナウンサーの筆者によると、アナウンサーの研修ではインタビュー時に1A3Q(一つのanswer、三つのquestion)の原則を学ぶといいます。そのために相手の話をよく聞いて、イメージを描いたり共感するなど、対話において必要不可欠な能力が養われるそうです。

インタビューは英語指導においても欠かせない言語活動です。特に小中の指導において行われることが多いのではないでしょうか。生徒間で信性のコミュニケーションが生まれ、また疑問文の算出は文法学習としても有効な練習となります。

コミュニケーション能力の指導③:ディベカッション

もう一つ筆者はおもしろい活動を提唱しています。ディベカッションなる活動です。本書の中では、論理的対話能力を鍛えるためにディベートの有効性に触れたうえで、ディベートの機械的な要素を改善するために、ディベートとディスカッションを組み合わせた活動「ディベカッション」を提案しています。

具体的には、まず議論を深めて論点を整理するためにディベートを行い、その後にフリーディスカッションのコーナーを設けるという流れです。機械的に賛成反対の立場を割り振られる二者択一型のディベートだけで終わらず、その後に自由に発言できる討論の場を設けることで、必ずしも賛成反対の白黒をつけるのではなく、場合によってはAでもBでもない第三の価値を創造するといった、協働的な対話能力を身につけることができる、と筆者は主張しています。

確かにこれは素晴らしいアイディアです。ディベートは確かに論点を整理したり深く思考するためにたいへん有用な活動ですが、機械的に賛成反対の立場を課されてしまう点や、YesかNoどちらか一方に議論を収束させなければならず、どうしてもゲーム的要素が強くなってしまいます。筆者が主張するように、実際のコミュニケーションでは人から課されるのではなく自らの意見を持つことが重要ですし、白黒はっきりせずに「第三の価値を創造」することが求められることも多いはずです。

言語活動として考えても、定型的なディベートを、より自由度の高いディスカッションへの足場掛け(scafolding)として活用するというのは、非常に実用的な実践となりうるのではないでしょうか。おそらく唯一の難しさは、ディベートとディスカッションの両方を授業内に取り入れることが時間的制約でどこまで可能かというところでしょうか。

「あとがき」より

あとがきにおいて筆者は以下のように書いています。

思えば、 佐伯胖氏は言っている。「誤解し、誤解されながら、思い直し、思い直されていく心の柔軟さをもって、話し合っていくということが本来の『話』である。『誤解をさせない』話がすぐれた話ではない。『誤解させて、訂正していく話』がすぐれた話であろう」(『わかり方の根源』小学館)。以下は自己反省をこめて言うのだが、わが国の国語教育における話しことば指導は、長いこと、誤解させない話を習得させようとがんばってきたのではないだろう か。一度聞いただけでわかる筋道の立った話し方を理想としてこなかっただろうか。それは無理なことだ。どうしてもそうしろと言われるとだんだん書きことばに近づいていってしまう。いつのまにか共同作業のパートナーの存在が視界から消えていく。

p. 138(あとがき)より

英語科としても非常に身に染みる言葉です。正しく伝えること、正しく理解することばかりに焦点が行きがちですが、本来のコミュニケーションは、少なくとも話し言葉においては、お互いに誤解し、誤解されながら、共同で分かち合っていくもの。そうしたコミュニケーションの場をいかに作り出し、生徒に何を身につけさせるのか。それを忘れずにいたいものです。



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