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「解釈」の解釈(3)(ヨンギノー英語教師が国語教育を学んでみた⑨)

英語教師のKirtzです。国語科教育法を履修させていただく中で、「解釈」というものについてじっくりと考えることができました。前回の投稿で、言葉を理解する際には受信側が自ら意味を構築する必要があるということ、そしてそうした意味構築の習慣が母語(日本語)においてどの程度備わっているかが、外国語(英語)での理解力に影響を及ぼしているということを書きました。

母語において解釈や意味構築の習慣と能力をきちんと備えてきてもらいたいというのはもちろんですが、英語教師としては英語の授業でこの点について何ができるか考えたいものです。今回は、英語科として「解釈」や「文脈の中での意味構築」といった力を伸ばすために何ができるかを考えてみます。


多義語の解釈

まずは、当たり前のことになりますが、英語の理解においても「意味は文脈の中で形成される」ということを伝え続け、体感させていくことが大切です。英語教育の中でそのことが最も顕著になるのは、多義語の解釈ではないでしょうか。

読解の中で多義語が登場したとき、「この単語は○○の意味だ」で終わらせず、その意味で解釈できる理由にも触れたいところです。理由といってもそんなに大げさなものでなく、例えばfigure(名詞)という多義語であれば、「ここはデータを持ち出すと言っているからfigureは「図表」の意味だろうね」とか、「ここでは人物像の話をしているから、このfigureは「人物」の意味に取れるね」のように、どのような文脈情報が多義語の解釈を助けるのかを、ごく簡単に伝えてやることが重要かと思います。

パラフレーズ

英文をパラフレーズすることも、読み手が主体的に意味構築する習慣につながるでしょう。もちろん、読解文章中の一文一文をすべて一つずつパラフレーズしていくのは時間的に現実的ではありません。ポイントとなるところや読み取りにくい部分を取り上げて、どのようなパラフレーズが可能か考えるのが良いでしょう。

日本語訳をした場合も、訳を作り上げるだけでなく、「で、結局何を言っているの?」と極力確認したいものです。そうすることで、語彙や構文をとって「意味を拾う」だけで終わらせずに、読み手として主体的に意味構築する態度を少しずつでも身につけていけるのではないでしょうか。

ただし、ここで注意したいのは、「要するに何を言っているの?」といった確認は、往々にしてテキストから離れていってしまうことにもつながりかねません。また、理解の補助のためとして日本語で本文内容に関連する事柄を話してしまうのは、結局は英語を読んでいることにならないので、注意が必要です。内容に関係する周辺情報は、comprehensible inputとしてteacher talkなどの形でできる限り英語で与えたいものです

Authentic materialを

英語学習において「解釈」の必要性があまり生じないのは、inputとして与えられるものが基本的には学習者向けに書かれたもので、解釈が読み手に委ねられるようなところが極めて少ないというのも理由でしょう。

このことは、英語の授業でauthentic materialを扱うことへの一つのモチベーションとなります。解釈の分かれるところが残っている文章を積極的に扱っていくことで、意味構築は読み手側が行う主体的行為であることを、英語の授業でも示すことができるかもしれません。

以前、高校の授業で文学作品を扱ったことがありますが、語彙や表現が難しすぎて、それこそ表現を「拾う」授業になってしまいました。私の授業者としての力量不足であったとは思いますが、今振り返って考えると、もう少し易しめのテキストでないと、主体的な意味構築を実感させるには至らないと思います。

意味構築を意識した音読指導

最後はこれまでの意味での「意味構築」からは少し異なりますが、音読指導の際に意識しておきたい事柄になります。学習者が音読をしていると、音韻情報に気が取られたりあるいは単純に集中できていなかったりで、「ただ読んでいるだけ」という状態になってしまうことがあります。そのような音読では、もやは意味構築どころか「意味を拾う」ことすらできていないでしょう。いずれにせよ、主体的に英文と向き合うという態度を、音読指導の際から強調しておきたいものです。

この点に関して、私は生徒たちに主に以下の2つを意識させています。

  • 読み聞かせを意識した音読

  • Gesture Reading

読み聞かせを意識した音読では、音読をする際に誰かに読み聞かせをしているつもりで音読をするように伝えています。例えば小さな子どもに絵本の読み聞かせをしたら、子どもは「なんで?」とか「○○って何?」のように、読まれた文章に対して反応を示すはずです。

音読の最中に自らの音読に対してこうした反応をしていくことは簡単ではありませんが、読み聞かせを意識した音読を習慣化していると、声に出さずに黙読をした場合には脳内である程度の「反応」をすることができるようになります。このように文章に対して主体的に関わることが読解においてはたいへん重要になります。それを理解し実感させるために、「音読は読み聞かせ」ということを伝えています。(この件に関しては、過去の投稿で詳しく書いています。読み聞かせを意識した音読(音読学習のあり方③)

また、gesture readingというのは私の勝手な呼び方とはなりますが、音読の際にはごくごく簡単なもので構わないから身振り手振りを添えることを指導しています。そうすることで、音読がただ機械的に読んでいるという状態になってしまうことを防ぎ、脳が勝手に意味処理をしてくれるようになります。このように日頃の音読練習から、文章と主体的に向き合うことを習慣化させたいと考えています。(この件についても、過去の投稿(Gesture Readingのすすめ(音読学習のあり方④))で詳しく書いています。)

言葉の「解釈」について英語科にできること

理解とはそこにある意味を拾う行為ではなく、自らが主体的にテキストや発話から意味を構築すること。そうした「理解」に対する態度は、本来は主に母語において涵養されるものでしょうし、実際、国語の授業では「文脈の中での意味形成」というのを身につけさせようとしているようです。

しかし、英語科としては、この部分について国語科任せになるのではなく、英語の授業でも、むしろ英語の授業だからこそ、言葉を「解釈」する態度、力をつけさせたいものです。今回の投稿で、英語科に何ができるかを考えてみましたが、何をするかというよりも、教師側が「意味は文脈の中で構築するもの」ということを意識しておくことが最も大切だと思います。

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