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花畑を歩くように

今のわたしにとって生きるということは、できることなら放棄してしまいたい事柄である。
レールを外れてしまってからは「取り返しのつかない失敗をした自分」という前提でしか物事を捉えられなくなってしまった。このことも、今の生きづらいという感情に関係していると思う。

生きていて大変と感じるところは、何もしないでは生きていけないということだ。生きているというただそれだけのためにお金が必要であること。

生存に必要なお金を確保し心理的な安全が手に入ってようやく、すきなこと・やりたいことを100パーセント味わえる気がしている。

お金に安心できない環境では、楽しいことをしていても拭えない不安感がいつも絡みついている。終わりかけの夏休みに、宿題がまだたくさん残ったまま遊んでいるときのような、完全には目をそらしきれない不快感。

でもあえて自分に言おうと思う。


まだ何も、もがいていない


わたしはまだ、心理的安全を確保できるまでお金を稼ぐということに、本気で向き合っていない。

中学三年生の冬、行きたい高校に受からないかもしれないと思いつめていたわたしに、大好きな女の先生は、大きく笑って言った。

「あんたまだそんなに頑張ってへんやん。なんにもやってないのに思いつめるのはちゃうんちゃうか?」

文字にするときつく思えるが、当時は驚くとともに心底ホッとしたのを覚えている。「なーんだそんなに難しく考えなくてよかったんだ。ものごとはもっとシンプルなんだ」と。

もちろんそれから受験に受かるまでの間、不安は尽きなかったし夜中に泣いたりもしたけれど、そのことを知っていたから、やれば良いことはわかった。

きっと今のわたしも、ただ手を動かしつづけるだけでもっと鮮やかであったかく、一人ぼっちではない世界を見ることができると思う。


でも「めでたしめでたし」とはいかない


解決すべき問題がまだひとつ残っている。

わたしはもう頑張りたくない、のだ。

三年間、やりたくないことを「自分ならできる、やり方の問題だ」と言い聞かせつづけた結果、努力とか気合いとか頑張るだとかいう言葉に強い抵抗感を覚えるようになってしまった。自分に常にそういう言葉を投げかけていたのだと思う。

解放されてから2年経っても未だに同じやり方しか知らない。まあ「二年経ってようやく向き合う勇気とタイミングがきた」と言い換えることも可能ではあるので、そういうことにしよう。

現在、がんばり始めて20日ほどで案の定(?)心と身体がいやだと言い始めている。興味のある内容なのに、抵抗感がある。だからここらで違うやり方を覚えたい。

レールを外れた経験(=既存のやり方には無理があると思い知らされた経験)のおかげで、もっと楽に愉快に生きる方法があることを知ることができたって言いたいから。たぶんポイントは人と一緒にやること。(誰か一緒にwebデザインを学んでくれる人いないかなあ。いたらコメントくださいw)

思うに今までは、人生について山登りのようなイメージを抱いていた。
頂上に到達できたら、また新しい山に登り始める。

でもこれからは、


力を抜いて、踊ったり寝転んだりしながら、自由気ままに生きて生きたい。
まるで、花畑を歩くように。
周りの人と一緒にもっともっと幸せになろう。

思ったよりペースが遅くてもたぶん大丈夫。
その分綺麗な花に気づくことができる。

どうせ幸せになるって決まってるんだから、
みんなで幸せになっちゃおうね。


最後まで読んで下さっただけで、充分嬉しいです。 ありがとうございます♡