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ボブ・ディランが残した70年代の悪あがき

 なんとなく、かつ無責任な印象を言えば、60年代に拳を振り上げた「若者たち」は、70年代は拳の下ろしどころに困って悪あがきし、80年代は決まりの悪い心地良さに溺れてしまったように見えるわけです。
 
 ネットフリックスで公開されたボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ローリングサンダーレビュー」は、さしづめそんな「若者たち」の悪あがきの記録ではないかと感じました。

 1975年にボブ・ディランが再開したライブフィルムを、マーティン・スコセッシ監督が編集・演出した約2時間半の作品です。これがオンデマンドサービスのネットフリックスで初公開というのにも時代を感じます。

 まずはとにかく面白い。ボブ・ディランファンではない筆者にとっても、驚きの連続でした。ざっと列挙しますと、

1)冒頭でいきなりパティ・スミスがエリック・アンダーソンを引き連れて詩の朗読を始める。そこからロックンロールになだれ込む。名曲「ロックンロールニガー」みたい。パンクロックの文脈で語られるパティ・スミスだけど、ニューヨークのコーヒーハウスを中心としたフォーク文化の中にいたのかと納得。

2)女優シャロン・ストーンが登場。母親と一緒にローリングサンダーレビューにチケットなしで入り込もうとしたシャロン・ストーンにボブ・ディランが話しかけ、着ていたキッスのTシャツに注目。シャロン・ストーンが「カブキの影響を受けたメイクだ」と言うと、「出雲の阿国は血を吐かなかっただろ」と答えたとか。日本文化に詳しかったんだ。しかも、ローリングサンダーレビューの白いメイクは歌舞伎を意識したものとの示唆も。

3)「吠える」で知られる詩人アレン・ギンズバーグのダンスを見られる。

4)一時期恋人だったと知られているジョーン・バエズが「あたしの知らないうちにあなたは結婚していた」とぼやく場面が。

5)デビッド・ボウイの右腕だったギタリスト、ミック・ロンソンが「激しい雨が降る」で聴かせるギターソロがかっこいい。

6)ジョニ・ミッチェルとのセッションを見られる

7)ボブ・ディランのパフォーマンスが素晴らしい。

 客席にはベット・ミドラーの姿も。
 ビッグビジネス化した音楽の世界と戦う70年代のミュージシャンの姿を追う最高のドキュメントかと。

 何せまともなプロモーションをしない。作品中に何度も出てきますが、ライブ数日前にスタッフが会場付近でビラ配りしてたりするんです。老婦人がビラを配っているスタッフに、「私には若すぎる」と興味なさそうに話してたりするわけです。

 しかもライブ会場は、町の公会堂みたいに小さなスペースだったりします。1966年にライブをやめた超大物ボブ・ディランが、やはりフォーク歌手のジョーン・バエズや、デビッド・ボウイの右腕だったギタリストミック・ロンソン、フォークロックの元祖バーズのロジャー・マッギン、言わずと知れた詩人アレン・ギンズバーグといった「超大物」を引き連れてるのに、ですよ。

 さすがにビジネスとして成立せず、途中から大会場に変えたり、メンバーを限定したりするわけですが。でもパフォーマンスは素晴らしい。終演後、心打たれた観客が思わず涙を浮かべる場面をマーティン・スコセッシはスロー映像で強調してるくらいで。
 
 70年代半ばにはイエスやキンクス、ロニー・レインなどもローリングサンダーレビューと同様の取り組みに挑んでるんですよね。つまり、演劇性が強かったり、採算性を無視したメンバー構成だったりアーティストの意向を重視したツアーを結構したんです。しかし、いずれも赤字となり、その後のミュージシャン活動の修正を余儀なくされる結果となります。

 ローリングサンダーレビューも、恐らくは反抗の騎士だったボブ・ディランの、巨大ビジネス化する音楽産業への悪あがきだったのではないか。そんな印象を持ちました。1977年前後にはパンクロックが流行するわけですから、70年代の若者はボブ・ディランと同様の違和感を覚えていたのでしょうね。

 個人的にはボブ・ディランで最も好きなのは片桐ユズルさんが翻訳した詩集と、アルバム「欲望」です。ローリングサンダーレビューはまさにこの「欲望」の発表時期と重なります。代表作「追憶のハイウェイ61」や「ブロンド・オン・ブロンド」もしっくりこなかったんですが、他のアルバムより圧倒的にメロディアスな「欲望」だけは好きでした。ローリングサンダーレビューでは、その時期のボブ・ディランの乗り切った歌と演奏と、ライブを引っ張るカリスマ性を楽しめます。

 どのアルバムを聴くよりも、ボブ・ディランの魅力が伝わるのでは。

 最高の「悪あがき」です。
 


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