熱川バナナワニ園内で土手焼きを食べてディープキスをしているような気分 面影ラッキーホール 『代理母』(廃盤?)
「演歌みたい」というけなし言葉は、個人的には今や褒め言葉に近い。
田舎の人間関係みたいなねちっこさと泥臭さは、NYのバーに流れる洒脱なピアノトリオにはない安心感が感じられるのさ、最近。
楽器編成もアレンジも、コード進行も大して変わらないだろうに、サザンにあってレイ・チャールズにないものかな。
この面影ラッキーホールは、あざといまでにそんな演歌の魅力を利用したファンクだ。
スライ&ザ・ファミリーストーンやファンカデリックを思わせるあくまでブラックな伴奏に、演歌特有のまとわりつくようなねばねばしたボーカル(文節ごとにしゃくりあげる)が、これまた生ビールが500円未満の居酒屋であたりめしかつまみにしない人たちの愚痴みたいな歌詞をしつこく歌い上げる。
これがたまらなくいい。
米国ヒップホップには絶対出せないアジアの湿った風だ。
冒頭『好きな男の名前腕にコンパスで書いた』から、そんな演歌ファンクっぷり全開。
近田春夫&ビブラストーンの切ない名曲『Heavy』の『ついついはまってしまったんだ』というフレーズを折り込んだ『あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて』の、ソウルフルに歌われる『二十歳でみっつの子供がいーるー』というフレーズの強烈なことよ。
右頬をはたかれたら左頬を向けるクリスチャンには絶対出せない、仏教徒の恨みつらみと悲しみと憎しみと汗と涙と鼻水がてんこ盛りにされた情熱と哀愁がある。
正常位だけのセックスしかしないやつはピアノソロとか聴いてろ。
どんな体位も快楽も否定しない俺は面影ラッキーホールのファンクを聴く。
白眉は『今夜巣鴨で』。
JAGATARAの『でもデモDEMO』に対する明らかなオマージュであるイントロに続いて、『今夜巣鴨で愛しのおじいちゃんとあたし何をされてもいい』と歌われる。
熱川バナナワニ園内の湿度の中で、土手焼きを食べてディープキスをしているような気分。
そう、下品で下世話で過剰。嫌いな人はたまらなく不快なあれだ。
名曲『いつも同じところで』が妙にストイックなのは残念だが、ラストにライブバージョンでちゃんとかましてくれる。
ライブ見たかったよ。
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