完璧だから未完全だったライブ 『NavKatze 1986-1987』
(高田馬場ディスクファンで見本盤の中古を1200円くらいで買ったかな?)
あのシュトックハウゼンがシンセサイザーに注目した理由は「完璧に思った通りの音が出るから」だった。
演奏者の気分でテンポを変えられたり、楽器の調子で周波数が変わったり、そうした想定外の音が許せなかった。
作曲者が楽譜に書いた通りの完璧な音を出せること。彼はそれを望んだそうだ。
80年代、女ポリスの異名をとったこのナーブカッツェのライブは、まさに完璧だった。
2回ほど見たことがあるが、録音を流してるのではと思うほどだった。
クラブクアトロみたいな狭い場所ではごまかしはきかない。
一挙一投足が見えたけど、音とぴったり合っていた。
恐らく嫌になるほど練習したのだろう。
リズムずれまくり、音はずしまくりの学園祭のライブ演奏なんぞの対極にあるプロの演奏だった。
が、退屈だった。
ポップスファンの僕は、完璧さを音楽に求めない。
特にライブにおいては、思いもよらぬトラブルやずれやはずしこそが、ダイナミズムを産むことがあることを、それがライブを完璧にすることを知っている。
つまりナーブカッツェのライブは未完全だった。
そんな彼女らが完璧たり得たのはやはりレコード(CD)だったのだろう。
初期音源をコンパイルしたこのアルバムには、完璧な歌と演奏が収録されている。
『病んでるオレンジ』、『水のまねき』『螺旋階段』なんて文学少女なタイトルの叙情的な歌が、ギター、ベース、ドラムの3ピースによる演奏に乗せられる。
特に、夏の夕暮れどき、せいたかあわだちそうの向こうから聞こえる子供達の声を思わせる『パヴィリオン』の美しさったら、たら。
超名カバー、ジョー・ジャクソンの“Different From Girls”未収録が残念だが、それでもお腹いっぱいのポップさ。
この後、テクノに走ることになるのだが、それは必然だったんだろうなあ。
きっと完璧な音を求めたのだろう。
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