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2024 目標

  1. 死なない

  2. 自己肯定する/自己承認する

  3. 相手の考えを理解しようとする姿勢をとる

  4. 写真をいっぱい撮る

  5. モーションかロゴのどちらかをやる

  6. 仕事する

  7. 体重を増やす

1. 死なない

正直どうなるか自分でもわからない。
1/13と14にライブがあるのだが、今はそれまで生きてたらいいかなという感覚。ライブが良すぎたら次のライブを観るために生きていくことを決めるかもしれないし、しないかもしれない。俺の人生は常に計画性とは無縁のところにあるのだ(こういうところも治したいけれど、あれこれ目標を設定すると何もやらないのが目に見えているので今年はスルー)。
2024年の1/14に22歳になる予定なのだが、正直に言うと自身の中にある「ここまで生きたらもう良いよな~」という感情を否定できない。
おまけにここ3年ぐらいの間、目を瞑った瞬間に「あ~死にてぇ~」と反射的に思ってしまうようになった。訳も分からず心臓がバクバクして眠れない夜も数えきれないほどあった。しかし本能として「生きたい」と渇望しているであろうことは何となくわかる。
「今この瞬間は脳の傷が本能に勝っていて死にたいと感じているだけだろう」という根拠も裏付けも無い希望によってまだ生き延びている訳だ。だが今年に入ってから感情の乱高下が激しくなり、それに伴って希死念慮が増大していくのもはっきりと感じている。
どうなるかは分からないが、まぁなるようになるだろう。

2. 自己肯定する/自己承認する
3. 相手の考えを理解しようとする姿勢をとる

これについては、正直1年では到底達成できそうな気がしていない。
おそらく一生かけて修正していく作業になるだろう。
自己肯定するのは本当に難しい。みんなはどうやってやっているの?と街行く人々に聞いて回りたいぐらいである。自己肯定ができないとどうなるかというと、他人に自己肯定を任せるようになる。冷静に考えてそんな方法が上手く行くわけがない。上手く行ってるように見えているパターンはほとんどが共依存である。そうして次はどうなるか。端的に言えばメンヘラになるのである。2ができないと3もできない。なにしろコミュニケーションの基盤に問題があって、「相手も同じ人間で多種多様な考えを持っている」という概念が抜け落ちているからだ。(書いてて本当につらくなってきた)

根本として、俺は性善説を信じている(※1)が自身は善人ではない。人に優しくするのは、人に優しくしている自分が好きだからである。俺の行動原理は俺の利益になるかならないかで考えている。被災地への支援など考えられない。そういうのは俺以外の善人がやればいいと思っている。そもそも自分が好きな人間以外の人間にとことん興味が無い。死のうが何しようが心底どうでもいい。Xで流れてくる、老人が瓦礫の下敷きになったとか、飛行機内に置き去りになったペット達が火災で亡くなったとかのニュースは無言で視界から消している。つまるところ、自己中心的すぎるのである。

ここ半年、こういう性格のせいで大変手痛い思いを2度経験した。どちらも恋愛の思い出である。
これをきっかけに少しでも良い方向へ軌道修正できたらと思っている。
そのために眠れない夜を過ごすのも、自己嫌悪に苛まれるのもよし。
俺によって生まれた、かつて大好きだった人たちにつけた傷を考えれば、これぐらいでは安すぎるくらいである。

※1 最近ある人と会話していて、どうやら「信じる」という尺度を持ち合わせていない人間がいるらしいことに驚いた。
その人は「理想なんて無い。現実をしっかり見つめて、やるべきことをやる以外の選択肢が無い。自分すらも信じていない。」といった旨の発言をしていた。印象としては当たり前に「この人は現実だけが見えているんだな」という感じだった。何より理想という灰色の夢の中で生きているような人間からしたら輝かしい発言だった。
当然世界は広いし、70億もの人間が居ればその数と同じだけ考え方や価値観が存在する。それは頭ではわかっていたつもりだったが、肌で感覚を掴まないと「理解」のフェーズまで進まない俺にとってはかなり有意義な経験だった。

4、5、6はその通りなので割愛

7. 体重を増やす

俺は身長/体重が173/40という極度の低体重だ。
BMIにすると13.36という驚異の数字である。俺は食べても食べなくても体重が変わらないことが多く、爆食した翌日に体重が減っているという経験も何度もしたことがある。
体質なのかと思い親父に質問したところ、どうやら親父も30歳までは俺と同じく全く太れなかったらしいが、俺ほど低体重ではなく身長/体重で言えば173/55ぐらいだったそう(ちなみに俺と親父は小数点まで全く一緒の身長)。なのである程度は体質の問題もあるだろう。しかし流石に40キロは女子中学生すぎるので体重増量プロテインやら食事の回数を増やすやらで対策を講じてみようと思う。
現時点では日常生活や健康に問題を自覚してはいない。(階段を少し登っただけで息切れするが、それはおそらく単純に運動不足の問題だろう)しかしこのままでは近い未来に重大な問題になるであろうことは、今しか生きていない俺でも容易に想像ができる。何より、このやせ細った体がそれほど好きではない。

さいごに


俺は三島由紀夫の「若さが幸福を求めるなどといふのは衰退である」という言葉が好きだ。
病的なまでにストイックだった三島のこの言葉と、俺の解釈はきっと違うけれど、ただこの字面に救われている。この言葉のおかげで、今はつらくても将来への投資だと思える。将来があるかは微妙なラインではあるが。
太宰の本がお気に入りで愛読している俺にとって、生前「僕は太宰の文学は嫌いです」とまで発言した三島の著も読んでみたいものである。

最後は今まで読んできた太宰の著の中で一番好きな文を拝借して終わりにしようと思う。ここまで読んでくださった方、ありがとう!

「命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

『津軽』


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