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【エッセイ】小説を読んで気づいた漫画のスゴさ

以前、音楽は文章より良いところや利点があって羨ましいという内容の記事を書いた。  
 ↓                   
『音楽が羨ましい』 
 https://note.mu/kise1995/n/nbe4a0ec5c56c

書いたきっかけは、(自分がやっている)文章はどんな方法よりも大したことがないのではないか? と不安になったことである。
そんな時に今までの私が真っ先にするのが、向こうをけなすかこちらを鼓舞するか、つまり酸っぱい葡萄か正当化である。
しかし、ネットで文章を発信する方法に飛び込んだからには、もっと成熟した受け止め方を訓練しなくては、という狙いで書いたものである。あと、未熟な自分を卑しく思いたくないし、他人に嫌われたくないからである。

という訳で、今回は『漫画はスゴい』という記事です。きっかけは、以下で書くような特徴的な文体の小説を読んで、モヤっとしたことでした。

目次
1.漫画の文法を使った文体ーーきっかけとなった小説たち
2.叫び声
3.英会話、嘔吐、喘ぎ声
4.説明後回しの擬音
5.漫画が羨ましい          

1.漫画の文法を使った文体ーーきっかけとなった小説たち

特徴的な文体というのは、漫画っぽい文体ということです。人によっては表現方法とも言うかもしれません。具体的には、2.から例を交えます。

2.叫び声

まず、ビックリしたのがこちらです。

初めて「見た」のは有川浩さんの小説です。 人気があるのに借金苦に陥った小劇団が借金完済を目指し、プロ集団として成長するまでの群像劇『シアター!』『シアター!2』。関西のローカル線を舞台にした直木賞受賞作『阪急列車』。突如飛来した謎の塩塊による奇病で都市機能が停止した世界を救う女子高生と自衛官の恋愛小説であるデビュー作『塩の街』。

これらに共通するのが叫び声の書かれ方

例えば『塩の街』では、ある理由から反省室に閉じ込められた女性自衛官が、閉じ込めた張本人で同じく自衛官である夫に

「開けろぉっーーー!」(※引用ではありません)

と叫びながらドアに回し蹴りするとか。

『シアター!2』では、演劇の稽古中、意中の男性にレオタード姿を見られたヒロインが

「キャーーーーーーーーー!」(※引用ではありません)

と叫び、しゃがみこむ。

『阪急列車』では、男性が犬に尻を噛まれて

「ギャーーーーーーーーーー!」(※引用ではありません)

と叫ぶ。
つまり、叫び声が台詞としてそのまま書かれているのです。

…………ここまで実際に書いていて背筋が痒くなるほどである。「嫌だ嫌だ書きたくない」と体が反応している。何故かと言えば字面が汚く見えるからです。

「開けろぉっーーー!」ではなく、「彼女は怒鳴りながらドアを蹴破ろうとした」と書いて欲しいんです。

「キャーーーーーーーーー!」ではなく、「彼女は悲鳴のような声を上げ、レオタードで強調された体の線と上気させた顔を隠すためにしゃがみこんだ」と書いて欲しいんです。

「ギャーーーーーーーーーー!」ではなく、「急に彼は凄まじい叫び声を上げた。振り返ると犬に尻を噛まれていて、不意に走った痛みと、それに対する驚きのためだったのだ」の方がまだ良いな、と思うのです。

ああ、蕁麻疹が出る…………。

これらは漫画で言うところの、コマの半分以上を叫び声の吹き出しが占める、緩急でいう急をつけるための演出に似ています。

3.英会話、嘔吐、喘ぎ声

次にアレルギーを起こしたのがこちら。

山内マリコさんの小説です。
何処にでもあるような地方都市郊外を舞台にした青春群像劇であるデビュー作の連作短編集『ここは退屈迎えに来て』に私のアレルギー項目全て詰まっています。

『君がどこにもいけないのは車を持っていないから』という短編で英会話が出てきます。

「アイム、ウォーキング」(※引用ではありません)

とか、こんなの。こう喋ったヒロインは日本人のフリーター娘です。英会話の相手は外国人です。そ・れ・な・の・に!

向こうの台詞もカタカナ表記。「ワットアーユードゥーイング」、「ユーシュドゥハブカー」(※引用ではありません)みたいな奴。

あと、出来れば書きたくないけど、同じ短編で「オエェッーーーーーーーー!」(※引用ではありません)という、ヒロインの嘔吐が台詞で書かれているところがあるんですね。そこは、「あたしはそのあまりのキモさに吐いた。自分でもヒくくらい吐いた」が良かったんです。うぅ……。
同収録の『アメリカ人とリセエンヌ』では喘ぎ声が台詞でそのまま書かれています。岡崎京子とか、ケータイ小説のコミカライズ版、レディコミ、ハーレクインコミックの然るシーンの吹き出しの活字を思い浮かべてください。

…………ここまで実際に書いていて背筋が痒くなる。「嫌だ嫌だ書きたくない」と体が反応している。字面が汚く見えるからです。

嘔吐や喘ぎ声は2.の叫び声と同じく描写での書き換えで私のアレルギーが落ち着きます。
ここでは英会話について書いてまとめます。

「ワットアーユードゥーイング」だの、「ユーシュドゥハブカー」だのと、字だけで見ると間抜けに思えてしまうのです。小さいカタカナと伸ばし棒の多用が、オタクっぽい感覚の話になってしまうのだけど、汚いんです。拙さの演出やカタカナ表記で美しく成立させるなどの狙いが有ると分かれば良いのですが、狙いなく使っているように見えるとアレルギーが…………。 私ならWordソフト駆使して、日本人の話す英会話は全角英字して明治の中学生みたいな喋り方のルビ振ります。外国人や帰国子女の話す英会話を半角英字にします。半角英字の縦書き活字だと文字が横向きに180度回って少し読みにくくなることで本格的な英語感を演出し、字面も綺麗に出来ると思うのです。

4.説明後回しの擬音

これは豊島ミホさんの小説『青空チェリー』より。隣にあるラブホテルの室内が覗ける予備校の屋上を舞台にしたデビュー作。

ばばばばばばばばばばばばっ(※引用ではありません)

という、ヘリコプターの擬音が突如、地の文に登場するのです。イメージとしては描写のコマのカットインでしょうか。一コマ、頭上を飛ぶヘリコプターを書き、レタリングした効果音をつけたようなコマ。

しかし、例えば「あたしらの上をヘリコプターが通り過ぎた」とかの擬音の説明が後回しでいきなり、この擬音の塊だけが入って来るので一行一行集中して読んでいると、「急にどうしたの?!」とビックリする人がいるのでは? と思ったのですが、人間、一行一行集中して読んでいても、その先の二三行くらいなら目に留まっているもので、説明が後回しでもヘリコプターの擬音とわかるのです。
読むというより、見るというくらいに視野が広がっているのです。まさに漫画で絵を見るように。

5.漫画が羨ましい

しかし、好き嫌いはともかく、漫画っぽいからいけないは理由になりません。ここでは、漫画の良いところを貪欲に盗んだ文体であると考え、学んだ方がポジティブだと思われます。

という訳で、漫画の、文章より羨ましいところを書きます。

それは、見せられることです。

それも、文章では難しいことを見せられることなのです。例えば、

1)複雑な言動、表情

これは言うなれば「それぞれ違う感情を表すポーズを一人の人物に同時にまたは連続的にやらせる」場合です。例えば、2.叫び声で出した『シアター!2』の「キャーーーーーーーーー!」(※引用ではありません)なら、「意中の男性をとらえた驚き」と「意中の男性にレオタード姿を見られた恥ずかしさ」「そこからじわじわくるパニック」「今すぐここから消えちゃいたい気持ち」とか、全て合わせての「キャーーーーーーーーー!」(※引用ではありません)なのです。これを文章の正攻法でやると、順序立てた論展開のようになってしまい、「キャーーーーーーーーー!」(※引用ではありません)よりもモタつくのです。その結果、場面展開のテンポが悪くなる。     
「キャーーーーーーーーー!」(※引用ではありません)の利点は音声を「見せる」ことで実際に音声を思い浮かべさせること。そんな芸当が小説で出来るのは漫画とそこから派生したアニメの記憶が読者にあるからでしょう。ひいては、漫画やアニメのようなコミカルな動きまで思い浮かべてもらえます。

また、シリアスな場合でも漫画は強いでしょう。例えば、複雑な表情。文章で書くとこんな、

「彼女は口を真一文字に結んでいたが、目だけは笑っていた」とか、

「彼は困ったように目を伏せたが、安堵したように笑っていた」とか、

どんな顔やねん、と。

これ、実はとても色気のある顔です。複雑な表情はキャラが人間らしい生命的な、豊かな感情を宿すように見せます。漫画だとダイレクトに表情を見せて読者をドキィッとさせる。ああ、羨ましい。

2)見せ方自体も芸である

絵の話です。等身、目、鼻、口など何を書いて何を省略するか、絵を描く人の芸ではないかと考えています。例えば、鳥飼茜さんは唇をきちんと書いているのが珍しいと思いました。漫画から外れますが、米津玄師さんの『ドーナツホール』のMVでは、ボーカロイド達の鼻筋や鎖骨といった骨格がぼかされているような書き方が、ちょっと不気味で曲に味を加えているのかもしれないとか。動物のキャラでは毛並みの質感、体の手触り、特徴、骨格などを感じられるものもありますね。

何を書いて何を省略するかは文章の描写も似ているところがあるのですが、文章は画像が無い分、サービスをつけようとしてしまいがちなのです。

それは、暗喩です。

見せることが絵の芸ならば、文章の芸は語ることで語ること以外のものを引き出すこと。つまりは論です。「人生とはチョコレートの箱」みたいな奴です。

これ、たまに嫌気がさすのです。論というのは、たとえ違う材料から作ったものでも煮詰めていけば似たようなまとめになるから。普遍的と言えば聞こえは良いけれど…………。

3)視覚的なオチが出来る

文章のオチが「結論」「総論」が非常に多くの場合であるとします。すると、文章と比べた時、漫画にしかできないオチがあります。

これは日常系やギャグ漫画など、「物語を通したキャラの変化は無く、キャラの交流や掛け合い、体験、感情、人格をワンテーマ一話で書く」漫画でしょうか。印象的、または場違い、大袈裟な小道具を登場させたり、ツッコミで終わったりなど。

これ、文章でやるとただのエッセイになってしまうんですよね…………。第一、絵ならばイメージとしてギャグに転化することが出来るのですが、文章だとあくまで描写であり情報。ギャグ漫画をそのまま描写したものだとスベります。

小説は日常系とギャグが難しいのです。やりたいんですけどね…………。

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はい。ただ、前回のエッセイ『音楽が羨ましい』でも書いた通り、羨ましいという気持ちは、相手の良いところだけが見えている状態から来るのです。漫画、音楽ともに研鑽され、鍛練された技術も費やされた時間もあることでしょう。

それも羨ましい。

文章は基礎的な技術が曖昧なのです。

識字率バリ高な現代日本で文章を書ける人は多いです。しかし、文法、漢字、熟語、てにをは、慣用句、敬語が正しく使えること、段落が正しく分けられること、それらが技術なのか?

文章って、土台となる技術はこれって示すのが難しいのです。

とまあ、羨ましいという気持ちは、相手の良いところだけが見えている状態から来るのです。

漫画家の皆さん、自分たちがやっていることより、羨ましいものってありますか?

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