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【小説(過去作品)】乗合馬車の雪 出品版

 前略 Y出版様
 無礼は承知ですが、この手紙の全文を一言半句そのままで、貴社が発行しているタウン誌に掲載していただきたく、筆を執りました。私は二年前までT日報で記者をしておりました。
 私は退職するまでの間ずっと、自分の言葉でものを書くことをしませんでした。新聞記事とは当然ながら、取材に協力して下さった方々の言葉と、新聞特有の書き言葉のみで出来ています。その厳格な作法の中で私の力が足りず、記事にすることが出来なかった話を、ここに書かせてください。
 記者の仕事にもやっと慣れてきた頃、私は本社があるA市の隣にあるN村へ取材に通っていました。N村は主に農業と養蚕業で成り立っている村でしたが、それらに次いで乗合馬車が村の賑わいを支えていました。政令都市であるA市、旧城下町で官立高校や女学校もある学都H市、温泉街があり工芸や商業が盛んなK市へ、乗客や物資が行き交う馬車乗場は無くてはならない中継点でした。乗場の周りには乗客目当ての宿場や茶店や商店がいくつも立ち並んでいました。
 私が取材していたのは村の活気ではありません。N村には後に鉄道が開通することが決定していたため、それにより乗合馬車やその周辺の商売に陰りが見えるだろうというのは明白で、そのことについて村民に話を聞いて回りました。
 誰もが一様に、不安や、危機感や、諦念を吐露しました。その中で一人、なんでわざわざそんなことを聞くんだ? とでも言うように首を傾げて私をじろじろ眺める人がいました。それが、馬車乗場で働いている女の方なのです。鉄道開通によって真っ先に日々の糧を失いかねないはずなのに、と思わず詰問のように訊ねてしまったのですが柳に風でした。本社に戻った私は、彼女以外の村民から聞いた話だけで記事を書きました。
 次の取材では馬車乗場の彼女のことを村民に聞いて回りました。彼女はユキさんといって、乗場を守る責任者でした。馬の世話から車夫の統率、馬車の手入れ、乗客の案内、全く違う仕事をその場その場で神がかったように出来てしまうという話で、村民から一目置かれているようでした。
 その手腕は、すぐさま私も知るところとなりました。ある時、H市行きの馬車を待つ乗客の娘さんが悶着を起こしたことがあって、ユキさんが収めたのです。
 乗合馬車というものは、胸を張って送り出されるような人生と、本人の人格や資質に関係なく人々のコソコソ話のネタになってしまうような人生が一旦ぐしゃっと集まって来るところなのです。それこそ、女学校へ入学する娘さんと花街の妓楼へ行く娘さんという、その時はそんな具合でした。
 花街へ行く予定の娘さんには、悶着を終えてから馬車が出るまでの間ずっと、ユキさんが付いていました。H市へ行く馬車を見送るユキさんに、何の話をしていたのか訊ねました。

「今よりもずっと昔、花街での仕事はある種の芸事であり、神仏への舞や歌と同じ役目があると考えられていました。きっと、今のような時代でも、あの子にも相応の役目があるはずです。それはいつでも変わりません」

 そのように説いたのか、些か荒い語気で訊ねてしまいましたら、まさか、と答えてユキさんは去りました。おそらく、黙ってそばに付いていただけだったのでしょう。しかし、それだけでも神経が磨り減る仕事ではないかと思います。
 さらにユキさんは馬車に客が乗っていく間に、女学校へ行く娘さんに、こう話しました。

「今日のこと、どうか覚えておいて下さいね。きっと女学校で学ぶことと同じくらいためになる」

 相当な強さと言いますか知恵と言いますか、稀有な人徳の持ち主なのだと分かりました。
 私は次の日から、記事には決してならない乗合馬車の日々を取材しに通い続け、ユキさんに話を聞こうとしました。ですが、ユキさんは相変わらず、鉄道開通のことや乗場をいつ畳むのか、今後は何をして暮らしていくのかという質問には答えませんでした。例によって、何でわざわざそんなことを聞くんだ? というように首を傾げ、じろじろこちらを眺めて来るのです。
 ついに話を聞き出せないまま、いよいよ鉄道がN村に開通しました。新設された駅で開通式が執り行われ、たくさんの人で賑わい、私も取材に行き、本社に戻って記事を書きました。その後もしばらくは、鉄道開通についての記事を書くための取材で走り回っていました。鉄道の乗客や車掌、鉄道便に荷物を預けに来た村民の方など、盛況が落ち着くまで忙殺され、乗合馬車のことをすっかり忘れていたくらいでした。
 次の取材は雪がすっかり溶けた頃で、内容は乗合馬車乗場周辺の衰退についてでした。やはり、宿場や茶店はほとんど畳まれており、商店が細々と残っているくらいでした。
 一人、また一人と話を聞いていくたびに、不気味な気持ちになりました。村民たちからユキさんの名前が出て来ないのです。こちらから訊ねると歯切れ悪く、苦心の末に思い出し、しかしそのうちにまた少し記憶が薄ぼけていく、というように見えました。
 私は乗場を訪ねようとしました。ですが、乗場に向かおうと歩を進めるたび、踏みしめた地面が歪むような軽いめまいがして、胸に暗い気持ちが湧いて、何度も乗場へ行く道を見失いかけました。
 乗場は畳まれていました。元々何もなかったかのような更地になっていました。馬小屋も馬も馬車も車夫たちが将棋を指していたり、ユキさんに話を聞いた家屋も無くなっていました。
 私は、どうしても気になって、まずは乗場で働いていた車夫を一人探し出して話を聞きました。彼はユキさんから退職金を貰ってすぐに村を出ていたため、ユキさんが、その後どうしたかは知らないと言いました。どうやらユキさんは全くの一人で乗場を畳んだようなのです。
村に戻って村民に馬車乗場が畳まれるところを見たか訪ねて回ったのですが、誰も覚えていませんでした。誰がが冗談で、「溶けちゃったんですかね? 雪だけに」と笑いました。
 んだ、溶けたんだ、という声が後ろから聞こえました。浅黒い肌をした、小鬼と見間違うようなもじゃもじゃした髪の少女でした。藁しべで括った炭を並べたムシロにあぐらをかいていて、私が振り向くとけらけらと笑いました。
 山の、炭焼き小屋の子供ですよ、と誰かが耳打ちしました。

「あっちにあったお家が溶けたの?」

 と、少女に訊ねました。返ってきた少女の答えに、私は驚愕しました。

「ううん。溶けたのは女。山の中」

 少女の話はこうでした。
 女は雪の中に横たわり埋まっていて、死んでいるのかと思って顔を覗き込んだり枝でつついたりして、しばらく見ていた。女の特徴を聞いたところ、ユキさんで間違ありませんでした。
 家に帰ろうと最後におふざけのつもりで、女の鼻をつまんでみると、ぐしゃっと崩れ、手指でその残骸が溶け、滴った。肉でも骨でもない、冷たくて湿っていて、脆いというより柔かった。腰を抜かして動けないでいると、千切ってしまった鼻から女はみるみる溶け出した。薄橙の肌、白目、唇、黒目、黄色みかかった歯、睫、眉、髪の毛と、水雪のように青みがかった透明になって頭蓋骨から滑り落ちていった。首の皮が溶けて覗いた筋は霜柱になってぱらぱらと裂けた。着物も溶け、胸と胴体も溶け、露わになった鎖骨と肋骨はつららになった。内臓も血の気が引いて水雪になって地面へ染みとおった。乳色の頭蓋骨も透明になり始め、額のところからじわじわと薄くなり、陥没した。
 少女はいつの間にか地面に這うようにうずくまって女が溶けていくのに魅入った。最後まで残っていた着物の切れ端や小指の爪も完全に溶けてしまうまで見届けていたのだそうです。
 少女は話ながら、うっとりしていました。話を聞いているうちにムシロの方へ身を乗り出していた私は、背後から殴られました。男の太い声が混じった荒い息から酒の匂いがしました。男は私から財布を抜くと炭を投げつけて去っていきました。少女がそれについて行ったので、おそらく父親か兄だったのでしょう。
 その後、どうやってA市へ帰ったのか、よく覚えておりません。家に帰るまで、畳まれた乗場を探して回った時より酷いめまいがしていました。
 役目、という声が閃きました。ユキさんの声です。相応の役目があることはいつも変わらない。ユキさんは、よく喋っていたような気がします。ユキさんは役目を終えたから、ということなのでしょうか? 役目、なんて、だからって、と錯乱し、嘘だ! と私は悲鳴を上げました。
 私は記者の仕事を続けました。今思えば、N村での出来事を、うっかり言葉にしてしまうことから逃げたかったのかもしれません。取材に協力して下さった人たちの言葉、新聞記事独特の書き言葉、すなわち他人様の言葉を綴り続けることによって、自分の言葉を用いる必要が生じないようにするのに必死だったのです。
 二年前、A市の菓子工場から火が出て中心部一帯に広がる大火が発生したのは記憶に新しいかと思います。本社も被害を受けました。私は火災の取材で事故に合い、腰から下が不随になりました。
 退職から数ヵ月して、ユキさんの声で、役目、役目……という声が耳鳴りのように不意にするようになりました。新聞記者の仕事に、どうやら私は使命感を持っていたのだなと痛感させられ、私は役目を終えたのに、いいえ、今まで何も出来なかったし、これからも何も出来ないのに何故生きているのだ? 彼女のことが本当に羨ましいと、そう叫びだしたくなる自分が情けなくて、ユキさんに呆れられているような申し訳ないような気持ちになり、しまいにはユキさんのことも今の私のことも憎たらしく思え、苛々と床(とこ)を殴りながら咽び泣く日々でした。
 今日、軒下に下がったつららから水が滴るのを眺めていて、この手紙を書こうと思い立ちました。
 書いている間、もし手紙が掲載されたらユキさんのようになれるかもしれない、という希望がよぎりました。ですが、手紙を結び、筆を置く頃、たちまち覆い被さってくる虚ろな感じで気がふれぬよう、堪えているのかもしれません。
 掲載の件、何卒、御検討宜しくお願い致します。
                         草々
                         匿名希望より

(了)

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