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【小説(過去作品)】早弓の目

 右目の白目、黒目の縁取りに接するか接さないかのところには、しみがある。時計で言えば、九の文字盤のところ。まるで黒目を針で突いて色素が流れ出て染み込んだように残っている。小学生の頃、猫アレルギーの発作で目玉に出来た水膨れの名残である。母親曰く、金魚の目のように黄色く腫れていたらしい。早(さ)弓(ゆみ)の記憶では両目とも痒く腫れたはずなのに、左目の白目は白い。両の黒目は煮詰めたように濃い焦げ茶色だが、南向きの自室の窓辺で鏡を覗くと、透ける。黒目の中心の本当に黒いところ、そこから放射状に焦げ茶色の線が走っている。目尻は下の方に浅く短く切れている。瞼を指で押し上げると、長い睫毛がびっしり生えている。今日みたいに吹雪いていない日なら、睫毛に牡丹雪が二ひらはのる。でも、瞼を戻すと睫毛が隠れてしまい、正味の半分くらいの長さに見えてしまう。
 階下で母親が、昼ごはん、と叫んでいる。ドアの向こうで、書斎に籠っていた父親が降りていくのが聞こえた。隣室は妹の部屋であるが、彼女は今日、親友たちと外で食事をしている。早弓は邪魔されたような気分になり苛立った。でも、すぐに鎮め、鏡をひっくり返して窓辺に置いた。実家もシェアハウスのように洗濯も三食の食事も分けられればいいのに、と早弓はため息をついた。今は、早弓の洗濯は自室に籠と洗濯ばさみ付きハンガーを置いて自分で洗濯している。朝食は各自で用意して食べ、休日の昼食夕食は皆で母親が用意したものを食べる。平日の昼食は各自で夕食は母親の、ごくたまに早弓の料理を食べる。本当は実家を出ればいいのだけれど、早弓は就職をしていないし大学は一ヶ月後に卒業するが、大学院浪人をしなくてはならない。
 早弓の部屋は、ほぼ正方形の六畳間で、外から入る雪明かりのおかげで明るい。ベッドの深緑色の掛け布団が映えている。この掛け布団は一昨年にやった日雇いのアルバイトの賃金で去年の秋に買った。枕もカバーも毛布も、掛け布団に合わせて買い替えた。以前は小学校の入学当時に母親に買い与えられた、大判の花柄があしらわれた布団だった。その時に一緒に買い与えられたピンク色の絨毯も猫柄のカーテンも今は、きなり色の絨毯と黄緑色のカーテンに自分で買い替えた。本棚は気に入っているので使っている。机は、まだ学習机である。アルバイトであれ就職であれ、恒常的な収入を得られるようになったら、こいつも買い替えたい。
 光が絞られるように外がすうっと暗くなる。早弓が振り向くと窓が鏡のように顔を映す。早弓が目を凝視すると、そのように目が細く険しくなる。馬鹿馬鹿しくなって早弓は階下に降りた。熱心に自分の目を見たって、自分が長らく指摘されている自分の印象について手がかりが掴めるわけではなさそうだ。
 端的に言えば、物事を見る視点が独特だね、という印象を指摘された覚えが早弓にはある。早弓は横から見てみよう下から上から斜めから見てみようって出来るんだよね、と言ったのは高校の演劇部の顧問。早弓さんは最初から違うところに立って物事を見ていますよね、と言ったのは社会福祉法人の相談員。この人は、大学でお世話になった学生生活カウンセラーの先生に紹介してもらった人だ。ちなみにカウンセラーの先生にも似たようなことを言われた。ゼミナールの担任教授からも、講義にもぐったことのある違う学部の教授たちにも。学生劇団の同級生二人と先輩一人にも。それぞれの真意は微妙に違うかもしれないが、その真意が私には見えないのだ。このように、自分が見ていたものなんて何にもないし、自分はぼーっとつっ立っていただけなのに何故そんなふうに言われなくてはならないんだ、と早弓はわだかまりを溜めていた。
 居間でうどんをすすって食器を片づけて、すぐに部屋に戻った。ベッドに腹這いになって市民図書館から借りてきた小説を開いた。短かったので二時間半で読み終えた。脇役の青年の名前が良かった。深緑色に見える名前だった。早弓は、明朝体やゴシック体の文字から色の印象を受けることがある。特にそれは、人の名前やモノなどの名詞である。サークルやゼミナールの名簿といった、真っ白い紙に真っ黒な文字なら、そう見えることがよくある。新聞記事などの紙に色がついているものはあんまり見えない。共感覚、シネステジアという資質を聞いたことがあるが、それとは違うと思う。おそらく、小学生から中学生にかけて国語辞典や漢字辞典を適当に開いて読んだ漢字の成り立ちやイメージが影響しているのかもしれないと思うからだ。樹だったら深緑、亜だったら赤とか菊だったら黄色、川(さんぼんがわ)だったら水色(河(さんずいにカなり)だったら緑だけど)とか、本当にそのままのものもあるし、人の名前の場合、同じ文字が使われていても組み合わせで違う色に変わるものがある。早弓だったら、早が深緑で弓がピンクだ。苗字の鈴士(すずし)は黄色だ。早弓は全部深緑に見える名前(例えば早樹とか早和とか)が良かったので、惜しいな、と思った。自分の名前、漢字の形、字面は気に入ってはいるけれど。
 あと、主人公たちのアンチテーゼを具現化したような汚れ役がいるのだが、そいつが本当に、そいつの台詞を読んでいると身の毛がよだって腹が立ってしまいには苦笑してしまうほど嫌な奴だった。主人公の友人に、女に暴力をふるう若い男が出てきた。その男は主人公たちに甘えていて弱いということがわかった。これは共感ではなくて、あくまでも読解である。多分、もし共感できたとしたら早弓には若い男が甘えているとか弱いとかは、わからなかっただろう。
 早弓は、人の肉声よりも文字として人を表す言葉を追っていく方が、その人に印象を抱きやすい。その人の声や顔立ちより、名簿の名前が苗字は紫と水色で名前は白、緑、黄色だ、の方が覚えている。声を思い出そうとするとノイズが混ざり、ハウリングが起こる。顔立ちは映画のインサートのように一瞬だけ閃いて弾ける。学校やサークルの部室以外の、大学の廊下や街の中、例えば入った喫茶店でその人がアルバイトをしていて声を掛けてくれた時なんか、誰だかわからなくて反応が遅れ、相手に失礼な振る舞いをしてしまうことになる。相手には品性があるから笑って挨拶してくれるけれど、そういった出来事が積み重なって変な印象を持たれてしまうのかもしれない。あと相手のことを、あんまり接点もないし自分のことを覚えてもらえないのに、よく私のことを知っているな、とさえ思う。私の存在が何か貴方に、良いにしろ悪いにしろ影響があるとは考えもつかないのだけれど? と、早弓は本を床に放り投げた。その後は、しばらく音楽を聴きながら漫画を読んだ。
 外がだんだん吹雪いてきて、部屋の中は吹雪の午後だなという、淀んだ暗さが満ちる。電気を点けようか点けないか迷って、結局、ベッドの読書灯を点ける。寒いので毛布と掛け布団を被った。この、掛けているなぁって感じの重みがたまらない。秋の初めから春が始まるぎりぎりまで毛布のこの心地良い重みを堪能する。ちょうどいい暖かさで毛布を堪能できる冬が、早弓は大好きである。雪かきの手伝いをするのがつらいが、といっても流雪溝の管理までしている両親の方がつらいのだか、まあ、雪かきの本当のつらさは一人で暮らしてみないと体感できないだろう。
 大きく唸るような風鳴りの中に、外壁やトタン屋根、氷といった固いものに擦過するような音が断続して聞こえ、早弓は毛布から顔を出した。暗いところから出て不意に読書灯を直視したせいで、目玉が萎縮するような痛みが走り、早弓は目をつぶった。
 早弓の瞼の裏で、閉め出し損ねた読書灯の白い光が点滅し、こんな像を結んだ。この部屋の窓辺に今の、二十一歳(三月半ば生まれだから)の早弓が立っている。手には、子供の頃、学年誌の付録として買ったのか通信教育の教材として貰ったものかわからないが、デザインや大きさなどが、そんな感じの玩具同然な双眼鏡を持っていて、目に当てている。双眼鏡を下ろすと、両目が現れる。それだけ。
 早弓は目玉の痛みが引いた頃に、おそるおそる目を開けた。もうすぐ夜になるのか、部屋の暗さに青みがかかっていた。
 階下で母親が、夕ごはーん、と叫んだ。




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