見出し画像

【小説】対決の無い日々

 宮田良路(ミヤタ リョウジ)は新幹線の座席に着くと、早速、携帯ゲーム機を取り出した。本体に差したままのイヤホンを解き、電源を入れて、ふと、鞄からビニール袋に入った缶ビールを取り出し、開けて飲んだ。ビニール袋には一緒に肴が入っていたが、それはまた鞄にしまった。
 このセットは昨日、宮田が宿泊していた祖母の空き家で一緒に飲み会をした、内海肇(ウツミ ハジメ)が作って置いてくれたものだった。内海がこのセットをサッと作ってくれた時、宮田は「肴はいらないんだけどな」と思ったが、言わなかった。学生劇団にいた時から、肴はあまり食わない、と吹聴していたが、内海の「肴をセットにすること」が変わらなかったので、昨夜もニコニコして放っておいたのだ。
 新幹線が発車しても隣の席に人が来なかったので、宮田は両肘掛に肘を固定して、ゲームをプレイした。宮田は、ここは指定席車両だしな、と肘をかける前に周りの席に人がどれくらいいるかを確認しながら思っていたが、この新幹線は自由席車両のない、全車両指定席だったのには気が付かなかったようだった。

※※※※※※※※

 内海肇(ウツミ ハジメ)は同僚たちと昼食を取っていた。

「内海くん映画好きなの?」
「えーなんか意外だね」
「ねー」

 と、同意し合う同僚たちに「そうですか?」と首を傾げて内海は尋ねた。

「アニメも漫画も小説も音楽も好きだよな? あと、大学で演劇サークルだったんでしょ?」

 と、隣に座っていた同僚が言うと、また向かいに座る同僚たちが「えー意外っ」という声を上げた。

「だって、なんかそういうの好きっていう人って、こう、キモいの多そうだもん」
「そうそう、嫌みだったり、水差してきたりさ。クセが強そう」
「内海くん全然違うからさー」

 内海は乾いた声で笑って答えた。違和感が残ったが、なぜ違和感が残ったのかが全然分からないので、きょとんとする代わりに誤魔化したのである。

「地元にいたとき、あんまり観られなかったからですかね? 俺が住んでたとこ、映画館一つしかなかったんですよ」

「やばーい、ど田舎ー」

 と、向かいに座っている同僚が歌うように言った。
 その声は茶化しというより共感が滲んでいた。彼女は地方小都市の出身者である。そのことを内海も知っている。ここに赴任して来てから幾度も交わした雑談や飲み会で聞こえて来た話から、自然と入ってきた情報が無意識のうちに内海を始めとしたこの場にいる同僚グループの間に上り、「彼女の発言は『地方出身者』という僕たち私たちの連帯を確かめさせてくれるもの」という合意として確認し合われたのだ。
 だが、同時に内海はまた違和感を持った。その一館しかないミニシアターで、内海は学生劇団で大道具をしていた経験を活かして看板書きやロビーの装飾などのボランティアをしていたことがある。その時にお世話になった人のことも、一緒に映画を観た人のことも忘れてはいない。
 だが、この時は思い出せなかったのか、向かいの同僚が主導した同調の心地良さを味わった。内海たちが相槌を打ち合う様子はまるで、いいパスを出した選手とそれを受けてゴールを決めた選手を取り囲んで喜び合うような、言葉のいらない盛り上がりを見せていた。

「内海くん、ドラマは観るんですか?」

 と、向かいに座っている同僚の一人が上目遣いで質問した。

「観ます観ます。好きです」

 と、内海が答えると、彼女は今放送中のテレビドラマのタイトルを、「観てますか?」と尋ねて来た。
 そのタイトルを聞いた瞬間、内海は嬉しくなった。

「はい! 観てます! すっごくいいですよね⁈」

 主題歌もすごくいいでしょ? と、話題を出すのは一旦、堪えた。その主題歌を作ったのは、学生劇団で内海の先輩だった宮田良路なのだ。すると、同僚がこう言った。

「あたし、宮田さん、すっごい好きで」
「あー、いいよねー」
「あ、知ってる」
「ああ、ラジオで聴いたことある。マッサージ屋の」
「え? 加川さんマッサージ行ってるんですか?」

 内海は、今度は誤魔化せずにきょとんとしてしまった。

「うん」
「えー、お疲れなんですね」
「おじさんみたーい」
「おい」
「身体が、痛いとかですか?」

 だが、誰もかれも内海の顔を今は見逃していた。内海は気を取り直して雑談に相槌を打った。午後の始業時間になって席を立ってから、ふと雑談が途切れた一瞬、宮田さんすげぇなあ、とでもいうように「ふふっ」と笑った。

※※※※※※※※

 宮田は眉間に濃い皺を作りながらゲームをしていた。新幹線がトンネルを走り抜ける轟音も耳に入らないほど熱中していた。かちかちかちかちかち、とボタンを連打する音だけが宮田の耳に入っていた。
 親指が痛くなったので、一息ついてビールを飲んだ。やっぱりせっかくの充電期間なら海外に行けば良かったな、と惜しい気持ちになった。

「宮田さん、海外旅行とかどこ行きたいですか?」

 と、学生劇団の飲み会の一次会で後輩が訊いてきたことを、宮田は思い出した。確か、

「オランダとか行きたいね。あと、イスタンブールとかニースとか」

 そう答えたな、と回想した。

「あ、この瓶、ナイスって書いてるー!」

 一次会を引き上げる時、だいぶ出来上がった後輩が甲高く笑いながら、店のインテリアの瓶を指差していた。

確かに、「Nice(ナイス)」と書いてある、と宮田が瓶を見つめていると、

「Nice(ニース)ですね」

 と、背後から声がして宮田が振り返ると、三島問衣(ミシマ トイ)が立っていた。

「フランス語でNice(ニース)。あれオリーブオイルの瓶だから」

 彼女はそう説明しながら靴を履いていた。
 宮田はNice(ニース)の瓶が置かれていた一角を振り返った。そこは調理とは関係ないインテリアのスペースで、他にはアンディ・ウォーホルが絵に描いたやつに似ている缶とウォッカの空き瓶とタバスコの箱とシェリー酒の空き瓶……、ラベルに洋ナシが描かれたブランデーの空き瓶とカクテルシェイカー、その上にグラスハンガーに取っ手が吊るされて飲み口がひっくり返っているマグが並んで……、とそこで宮田はNice(ナイス)の瓶の陰にハイネケンの空き瓶も見つけた。
 そこで追想から覚めた宮田は、最後は結局Nice(ナイス)って読んだな、とビールを干した。

※※※※※※※※

 三島問衣(ミシマ トイ)は県立図書館で勉強をしていた。次の面談に備えて資料を作っていた。資料の内容は文献の要約だ。
 問衣は大学院でフランスの地方都市の文化政策を勉強している。要約しているのは彼女が一番感銘を受けた章である。
 問衣は付箋を貼った頁をめくり、要点をノートにメモして、それからパソコンで文章を打ち直した。端から見ればそのような同じ作業の繰り返しのように見えるが、文章を読んでいる問衣の目の前には文化をめぐるフランスでの闘争の歴史が拓かれていった。

 従来のフランスでは「文化の民主化」と呼ばれる、選び抜かれた素晴らしい文化に市民が触れられるようにすることが主流の考え方だった。だが、その「選び抜かれた素晴らしい文化」は「耕された文化」と言われ、社会的経済的地位の高い人たちに馴染み深い文化だった。「耕された文化」の普及に力を入れれば入れるほど、それに馴染み深い地位の高い人々が、例えば劇場や美術館などの社交の場で連帯し力をつけ、その子供たちが親から教養や財産を受け継ぎ、また同じように力のある人々と連帯し、その子供がまた受け継ぐ。そうしているうちに、労働者などの地位のあまり高くない人々との間に格差が開き、閉塞感や疎外感を強める。この文化に隠された不公平を社会学者のピエール・ブルデューが発見した。

 その考え方を参考にして、フランスでは「市民が文化を平等に受け取る権利」、「文化に格差をつけずに支援すること」を関係者が主張し続けた。まだ地方分権が実現していなかった当時の中央政府や「選び抜かれた素晴らしい芸術」を新しく作ることだけが大事とした芸術家を説得するために、「文化とはどういうもので、文化に対してどういう姿勢で向き合うか?」ということを徹底的に再言語化した、ラトリエという研究会の新理論について、この本には書かれている。
 その文章を読んだ時、問衣は力添えを受けたような心強い気持ちになったのだ。この文献に出会うまでは、なあなあで済まされた、それどころか話題にも上らなかったけれども彼女自身が最も、大事だって共有したかったことを、ここまではっきりとした言葉を紡いでいたなんて、口惜しいような嬉しいような、ほっとしたような、生身の人との語らいでは得られなかった満足感がもたらされた。

 問衣は導入である、章の全体を要約した文章を打ち終えると一息ついた。まったく、文章を読んで目の前に拓かれていく歴史を眺めるのと、こうして自分で再構成するのとでは労力が違う、せっかくこれから自分が一番読んでいて楽しかったところに入るのに疲れちゃったな、と不服気に伸びをした。

 時計代わりに置いておいた携帯電話の画面に、メッセージが現れた。送り主は内海肇、来週末に宮田さんの充電お疲れさま&送別会やるよ来る人は水曜日までに連絡ください、とのことだった。問衣はそれをちらりとだけ確認して勉強に戻った。

 問衣は本の文章にざっと目を通し、ノートにメモを取った。

 文化とは、名作絵画などのモノや財だけでなく、「人間が自分自身のあり方を決めるまでの過程」でもある、と再定義がされた。文化は「あり方」に関わる基盤である。だから本来、文化自体に優劣はないのだが、文化に「産業」や「教養・高い芸術」といった箔をつける必要がある場合に、正当性が認められず存在をかき消されがちな少数者や弱者の文化が現実にはあり、同時に「耕された文化」のような圧倒的に力を持たされた文化もある。

 問衣は頁に貼った付箋にメモした箇所を引用した。

「ある社会の文化は、社会を構成する各集団を特徴づける複数の文化から構成されるという視点から、『資本主義の文化政策』を批判した。『耕された文化(教養文化)』『規格文化』『大衆文化(マス・カルチャー)』『他なる文化』という四つの分類を示し、それぞれの文化と経済社会的な支配が相関する構造を説明している」(長嶋:2018)

 そして、学習のために表を問衣は自分で作り直した。

四つの文化とは
耕された文化……高度な芸術が核となっている。財産として所有できる作品。権力を証明する記号としての教養。財産と知識と持つ者同士が連帯する目印として機能し、支配階級の勢力拡大を助ける。そのため、耕された文化に無縁のものが親しむのが困難
規格文化……「『耕された文化(教養文化)』から遠いものに対して、文化産業が代替品として差し出す『製品』」(長嶋2018)ヒット曲や、そのレコード、テレビ番組などが例。「人々を受動化し、孤立させて、資本主義の支配的イデオロギーを大衆に刷り込む(中略)そして一定の生活様式をステータス・シンボルとして映し出しながら、そこから排除されていることを、ただちに大衆に意識させる」(長嶋:2018)
大衆文化……具体例は映画、まんが、シャンソン、ロック、ポップミュージックなど。豊かな創造の場であり、独自の芸術創造の可能性がある。幅広い社会属性の多くの人々が自発的に行う表現である。「ラトリエ」は、その点を重視し、大きな価値を見出している
『他なる』文化……「地域、職業、世代、ジェンダー、民族などの特性に結びついた文化であるが、正当性が認められていない場合が多く、支配的な文化からは軽視されている」(長嶋:2018)それぞれの社会集団に各固有の表現形式があり、各自が一定の観念と思想に基づいた独自の生産と普及の回路を持つ場合が多いため、人々を型にはめることで成り立つ「規格文化」に存在がかき消されがち

 このように社会の実態は多文化だから、社会の多数を占める大衆文化や他なる文化も耕された文化と同じように尊重される。その際、大事なのは文化間を対等な立場での交流と対決をさせることだ。そこから

「少数者や弱者が固有の文化の独自性と真正性そして尊厳を手にし、これを『資源』としながらみずからのあり方を主体的に決定する『文化プロセス』」(長嶋:2018)

を活性化させる。決して、それぞれの文化間を干渉させずに棲み分けさせるのではない。
 問衣は頷きながらメモを取った。

※※※※※※※※

 例えば、内海が飲み物を買おうとふらっと入ったコンビニで会計をしていると宮田の曲が聴こえてきて、その後に仕事で寄ったカフェで仕事相手と対面している最中に宮田の曲が聴こえてきて、飲み会が開かれた居酒屋で乾杯の後にビールをあおっていたら流れているBGMが宮田の曲だと気がついて、帰り道に甘いものが欲しくてコンビニに入った瞬間、居酒屋で聴いたのと同じ宮田の曲のイントロが流れてきて思わず笑ってしまった、ということがある。
 ある日、内海が仕事で外に出ていた時、宮田が写っている大きな広告がビルに貼られているのを捉えた。内海はしばらくそれを見上げていた。その時、内海の中では、地元から離れて不安だった自分と一緒に飲んだり芝居を作ったり、気さくな振る舞いで楽しませてもらったり、下らない話をした先輩・宮田は結び付けられていなかった。内海は、その広告を眺めている間は宮田を「アイコン」として楽しんでいたようだった。
 広告に背を向けて少し歩いてからやっと、「そういえば最後に会ったのは……」などと追想し始めた。宮田が充電期間で内海が通っていた大学がある街に帰って来ていた時、東京に戻る前日に飲んだのが最後だった。それから直ぐ内海も転勤が決まって上京した。
 学生劇団のかつての先輩・後輩・同期の中で、東京で働いている人たちとは内海は今もよく集まっていた。そこで内海たちが話すのは『東京で働くこと』『東京での娯楽』『東京での人間関係』といった近況についてであり、学生劇団の頃の話は誰も切り出さなかった。

「あ、そうだ。今日、宮田さんのでっかい広告見つけた」
「あー、あれでしょ? えーっと、あれ」
「えー何それ、見たい」
「内海、写真撮ってないの?」
「いや、ニュースとかに載ってるよ」

 と、内海はテーブルに置かれている携帯電話たちをぐるーっと指差した。
 
※※※※※※※※
 
 問衣はメモを取り終え、内容を見直した。
 特定の文化に圧倒的な権威があるように見せられ、それに関わる人間か関わらない人間かが社会階層に影響を及ぼし、それによって各自の「あり方」を矯正させる、あるいは洗礼を受けさせることでしか文化的であると承認されないという価値観が問い直されることには、問衣は大いに賛成する。
 ラトリエがすごい、と思ったところは、ただ単に「個々の文化を尊重する」と主張することに終わらないことだ。そうすることで、あらゆる個人と集団の切り捨てられていた力が実現され、すべての個人に力と尊厳があるという前提で力を発揮できる社会の実現に向かう、という見通しまで主張するところだ、と問衣は思っている。
 その見通しを実現させるためには、それぞれの文化に関わる人々が得た思考や表現様式から独自の創造が行われ、発表されるだけでは足りない。創造されたものとそれを観る人との間に質的に豊かな交流が必要となる。その「対決」と表現されていた内容に、問衣は惹かれた。

「『対決』は、(中略)傷つけ合わずに力を競い、支配せずに影響し合う(略)文化プロセスの到達点」(長嶋:2018)

 である。これまでの文化普及は、一定の顧客層を想定して作品あるいは製品が作られ、アナウンスがされていたため、真の対決がありえなかったのだという。

「個人がそれぞれに思想と力をもち、主体的に何かを示して他者と交流できることが、対決が実現するための必要条件となる。(中略)この段階を経てはじめて表現は外部に向かい、他者と対決することができる。また可動性が重要である。動かない表現は閉じ、集団における文化的芸術的生活はゲットー化するから、ある種の排斥や文化的な人種差別を招くことになる」(長嶋:2018)

 のだ。また、

「対決は、多様な創造作品を、互いに無関係なままに並行的に存在させることとは異なる。(中略)対決の実現には、多様性をとらえるアプローチの教育、つまりかけ離れた要素を相関させて展開するための推進力が必要」(長嶋:2018)

 なのである。引用した箇所を打ち終え、強張った指をほぐす為に手を振った。
 閉館を知らせる放送が流れ、問衣はパソコンの電源を切り、帰り支度を始めた。最後の10分で、予めリストアップしておいた東南亜文学、豪文学、弗文学の本を借りた。
 図書館の出入り口で立ち止まり、宮田の送別会に参加すると内海に返事を送った。
 
※※※※※※※※

 内海はローテーブルに置いていた携帯電話が震える音に気付いて、手に取った。画面に表示された送り主の名前は光(ミツ)だった。明日の新幹線の時間の確認と、「ドラマは録画して早く寝るように」という注意のメッセージだった。彼女は新幹線の時間を打ち込む手間を惜しんだのか、彼女の座席のチケットの写真を送って来た。700系のぞみ12号車1A。行き先は小倉。光(ミツ)は北九州の出身で、明日二人で彼女の実家へ行く。
 内海は「光(ミツ)」という名前表示を眺めた。来年には、彼女と自分は内海の姓で括られ、自分が所属する括りがもう一つ増えることに安心感を覚えた。
 中学の友人、高校の友人・部活の同級、大学の学生劇団、会社の同僚……それぞれの集団と連絡が取れる画面がある。集団の中には全く連絡を取らないばかりか、娯楽色の強いミステリー小説の冒頭のように、今も交流がある人間から名前を出されない限り存在すらなかったことになっていた人間だっている。内海には、自分と「今」交流がある人間だけが全てである。
 内海たちの合言葉は、価値観が合う、である。光(ミツ)も内海と価値観が合う。だから、ここまで来た。というか、最初からこんな風に二人、新幹線の座席にぴったり近づいて座りながら、それぞれ音楽を聴いたり、動画を観たり、電子書籍を読んでいたり、目を瞑ってじっとしたりしても楽な気持ちになるのだ。お互い、こんな時に気を使って会話したり相談したりするほど関係性が出来ていないわけではないと思っている。強いて言い表すならば、今のような関係性がすでに雛型としてあって、そこに自分たちが難なくはまることができたのだ。最初のうちはそれなりに微細な価値観のすり合わせを行う努力をしたかもしれないが、内海はそれを今は覚えていない。出来事は覚えているが、その時の感覚は忘れているし、今後、蘇ることもないだろう。
 内海は幸福な人間であるだろう。自分がなぜ幸福か、と考える必要が生じないという点で恵まれている。そして、周囲にもそういった点で恵まれていると言える人間が自然と集まってくる。
 もちろん彼にも、ある出来事にあって不穏な空気に触れたり、嫌な気持ちになったり悲しい気持ちになったりすることはいくらでもあるが、それらによって自分が不幸だと量ることが無い。
 内海は11号車との連結部にある手洗いに向かった。連結部に入ると、思っていたより広いな、と思った。手洗いは鍵かかかっていたので少し待っていると、奥の扉が開いて、大きな荷物を手に持ち子供を抱いた女が出て来た。内海は女と目が合った。そして、女が自分を睨んだ気がした。彼女の顔が、自分を憎んでいるような軽蔑しているような、ものすごく冷たくて、怖くて、禍々しい気持ちを向けられているように思えて傷ついた。
 女が11号車に戻って行ったのを内海は見届けた。11号車の中が見えた時、三席並んでいるはずの席が、ドアの近くだけ二席になっていて一席分空洞になっているのを発見して、なんだろうな、と内海は思った。そして、さっき女が出て来た部屋もなんだろうな、と思った。手洗いの個室からカチャカチャという音やするするという音が聞こえ、中で着替えているな、と内海は判断し、13号車と14号車の連結部へ行くことにした。

※※※※※※※※

 宮田は元々、メジャーでの活動をしようとは思っていなかった。自分の住んでいた街で、自分を今まで可愛がってくれた人たちと一緒に演劇と音楽を作っていこうと思っていた。だが、ある時から次第に、宮田は言いようのない疎外感に苛まれるようになった。自分が作った音楽や物語への反応が返ってこないように思ったのだ。直接感想を聞いているのに、何も感じられなかった。感想を聞かされれば聞かされるほど気持ちは虚ろになった。他の人間が作った芝居を観たり音楽を聴いていると、今まで自分が慕っていたはずの大人たちに甘えられている感じがして頭に来た。

「なあこれ面白いだろ!」
「お前にはただ見せるだけでこの素晴らしさがわかるだろ!」
「この経験を後世に残しておきたい、この誠実さは素晴らしいだろ!」

 そんなぞっとさせられるような叫びが耳について離れなくなり、座っていられなくなった。その上、作品の感想を聞かれたから話してみれば、気が滅入った。聞いてきた側は煩わしそうに腕を組んで顔をしかめ、酒を飲んでいた。演劇業界を舞台にした漫画でこんな業界人キャラ見たことあるな、と宮田は今まで自分を可愛がってくれていた大人たちを悪寒がするほど気色悪く思った。
 次第に作品を作っても作っても、他人が作った作品をいくら観ても聴いても、そこから何も拓かれなくなっていった。もっと広く自分が作ったものが目に留まる場所へ移れば、自分の目の前が切り開かれていくような作品を作る人間に出会えるのか、そして自分の作品で目の前が切り開かれる人間に出会い、その人によって自分ももっと先へ拓いて行けるのではないか。そうして宮田はメジャーデビューの話を受けたのだ。
 宮田の携帯電話にメールが届いていた。宮田の事務所の社長からで、「荷物を引き取りました」とのことだった。祖母の空き家に置きっぱなしにしていた音楽機材を予め作業場に送っておいて、社長に受け取りを頼んだのだ。あれらの音楽機材は宮田が高校生の頃に自分で買い集めたもので、東京で借りている作業場にあるものとは比べものにならないくらい低スペックのものだ。もはや使いもしない。 祖母が空き家を他人に貸し出すから片付けなくてはいけなかったというものあるが、宮田はあれらを自分の意志で持って帰りたかったのだ。元々置かれていた場所から追い出されるようにして、当時は自分の声や手足と同じくらい大事なものをほったらかしにして逃げて来たから。それらを回収することで、今度こそ自分の意志で行くべきところへ行こうと納得しようとしたのだ。
 宮田はメールを返信し終えると、ゲーム機のイヤホンを音楽プレーヤーに差し替えて、音楽を聴き始めた。

※※※※※※※※

 問衣の資料作りは最後のわずかなところを残して、今日中には終わらなかった。
 彼女は後に資料を完成させた時に、それを後悔した。口惜し気に打ち終えたばかりの資料の最後を読み返した。

 ラトリエはこうした文化プロセスが個々のレベルで起き、それらが対決することで新たな創造が生まれる一連の動きを「文化的発展」と呼び、そのダイナミズムを増すことが目的だった。文化プロセスに含まれる対決を煩わし気に避けて、閉塞することは文化的な行為ではないと、ラトリエはそのような疎外と闘うことを目的とした。

「大局的な目標は、現実社会の実態として存在する文化の差異を認め合ったうえで、多様な人間が多様なままにつながる『真に人間的な社会』を実現することに置かれていた。だが同時に彼らは、資本主義社会システムが支配的文化の優位性を肯定し、それこそが文化だと看做されている現状においては、自分たちの文化行動に真の意味が与えられることはないだろう、とも述べている」(長嶋:2018)

とのことである。


 対決を煩わし気に避けて閉塞することは文化的な行為ではないということ、そのようなことを疎外と言い、それと闘うと言った歴史があることを宮田に伝えられたら良かったのに。そしてそれが自分の言葉で話せればもっと良かったのに。さらに言えば宮田との対決によって得られた気づきであればどれだけの喜びだったことか。
 問衣は激しい後悔にしばらく浸り続けた。そうして頭の足りない、力のない自分を自分自身に突き付つけたのか、泣き出し、乱暴に涙を拭った。
 宮田と対決したかった、と問衣は嗚咽した。
 問衣の携帯電話が震えた。画面には妹からのメッセージが入っていた。用事が終わったら今からでもおばあちゃん家来いって、とのことだった。問衣は携帯電話を腹立たし気に鞄の底に叩きつけた。
 盆中には祖母の家で集まることが慣例だった。女の親族は昼間から集まって、仏壇に供えたあんみつを食べながらお喋りをする。問衣は、その場面を思い浮かべてぞっとした。忙しなくしゃべる女たちはあんみつを食べているというより、貪るように掻き込んでいるように見えたからだ。

※※※※※※※※

 内海は座席に戻って来た妻の様子を見て背筋を伸ばした。紙おむつなどで膨らんだ荷物を受け取って棚に上げる。険しい表情のまま子供の背中を優しく叩く妻を眺め、そういえば前まで彼女は窓際に必ず座っていたな景色が見たいからって言って、と内海は懐かしんだ。

「多目的室が使えなかったの。どうせサラリーマンとかが着替えで使ってんのかなって思ってノックしたら、通りがかって来た車掌さんに止められちゃった。今日は予約して使ってる人がいるからって」

 内海は戸惑っていた。妻は怒っているのか? 苛立っているのか? 拗ねているのか? 恥じているのか? 興奮しているのか? 混乱しているのか? 妻の声や佇まいに、感情が複雑に混ざっているように見えて、どうしたらいいのか分からなかった。

 子供がぐずり出したので、内海は荷物を下ろすために立ち上がった。

※※※※※※※※

 宮田は東京駅へ着いた。
 音楽を聴きながら、丸の内地下中央口の自動改札まで歩いた。改札手前の広間みたいな空間を行き交う人たちに目を凝らしていると、今聴いている音楽のリズムと行き交う人たちの歩調がぴったりと合う瞬間があって、思わず立ち止まった。そして、その瞬間が来る時、行き交う人々はいくつかの塊に分かれていた。リズムと人々が塊に分かれる瞬間、それぞれの塊の間にCGのように壁が床からせり上がって来るイメージが見えた。
 宮田はそこから、音楽になりたがっている息吹を感じ取った。例えの一つとして音楽が壁だとしたら、それを伝いながら進んでいこう、と宮田は覚悟が決まったような気がした。


参考文献

長嶋由紀子(2018)『フランス都市文化政策の展開ー市民と地域の文化による展開』、美学出版

作中に登場する本について詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。作中で主に話題になっているのは『C.文化行政研究会ラトリエの理論』です


この記事が参加している募集

推薦図書

コンテンツ会議

頂いたサポートは、本代やフィールドワークの交通費にしたいと思います。よろしくお願いします🙇⤵️