見出し画像

寄生住から共生住へ〜「利益」と「損失」の間で〜

どうも、寄生生活が10ヶ月目を迎えた佐奈田です。

前回の家守さんからの寄稿「寄生と共生」(生物学的考察文)を読んで、思ったことがあります。

「私、共生住かも(ブログのタイトルが虚偽になってしまう!)」

私が”共生住か寄生住か”を決めるためには、私がもたらす「利益」と「損失」を総合的に判断する必要がある、と家守〈やもり〉さんは解説してくれました。そう考えると、私とジェームス一家の生活は無意識にも意識的にも、お互いへの「利益」と「損失」を総合的にチェックし、微調整しながら、"共生"を目指して極めて協力的な生活を営んでいると思います(やはり、ブログのタイトルが虚偽になってしまう)。

この家(以下、寄生ハウス)の朝は、ナギ子(1番朝早く家を出る)からの業務連絡から始まります。例えばこんな感じです。


この業務連絡で寄生ハウスの状況を把握し、自分の貢献できることをそれぞれが出来る範囲で行い、少しずつ家事を前進させるのです。この家では、「誰が何を担当」みたいなはっきりした分担はないのですが、最近、佐奈田・ジェームス・ナギ子のチームワークがかなり上がってきているのを実感します。

特にキッチン周り。基本的に、私とジェームス一家の食事は、それぞれ各自で用意し、別のメニューを一緒の食卓で食べています(たくさん作ったらおすそ分けし合う)。食事の片付けも一緒で、ジェームス一家の食べた食器と私の食器は別々で、お互いの食器洗いに責任を負いません。ただ、私が自分の食器を洗うついでに、「子供たちの分も洗ってあげようかな。(洗っているうちに)ええい、もう全部やるわ」と全部片付ける。私が疲れて寝てしまったら、ジェームスが私の分も含め全部洗ってくれます。次の朝、ナギ子が水切りカゴに入った乾いた食器を戸棚にしまい、ジェームスは朝ごはんの食器を洗って、空っぽの水切りカゴへ。これで基本的に、”すぐに料理に取りかかれる”キッチンが保たれます。


このサイクルが周り出すまで、割と長い月日を要しました。かつてジェームスとナギ子は、子育てに忙しすぎるのか(片付けに無頓着なのか)、汚れた食器を放置し、戸棚から新しい皿を出すという負のサイクルを繰り返していました。ある日、私が長い1日を終え、「今日は晩御飯を作ろう」と思って夜遅くに帰宅すると、シンクの皿の山が未だかつてないほどに高くなっていました。皿だけでなく、調理器具もその山に埋もれています。とうてい料理ができる状態のキッチンではなく、何日間も放置され、また水にもつけられていない家族4人分のギトギトの、ガビガビの皿の山を片付けるほかありませんでした。シンクの底にある食器にたどり着く頃には自分の服がびしょびしょになっていて、料理をする気力も失せていました。

「住ませてもらってるけど、家賃払ってるし住み込み家政婦ではない」 (佐奈田、2018)

私がこんな発言をしつつも、「(家賃たかが3万やし)じゃあ出て行けや」とならず(感謝)、「利益」と「損失」の微調整をし(感謝)、共生の道を模索してくれるジェームスとナギ子だったから、最近チームっぽくなってきたのだと思います(感謝)

ただ私たちのチームワークはまだまだとうてい完成したものではありません。元々性格も習性も違う人間が暮らしているので日々の中で失敗もあります。

・お風呂の電気つけっぱなし&水ポタポタ(佐奈田)
・リビングのエアコンつけっぱなし(ジェームス)
・勝手口にストーブ用の灯油をこぼす(佐奈田)
・保育園への重要事項通達漏れ(ジェームス)
・ビールの空き缶を放置しすぎてゴミ箱にうじがわく(犯人不明)
...and more.

※ここだけ見ると、私とジェームスだけやらかしているように見えますが、ナギ子はやらかした時に私たちにばれないように隠蔽しているだけのことです。

ただ私たちはこれらの失敗を「損失」としてお互いをジャッジし、減点し合うのではなく、その失敗から学び、お互いに戒めあい、カバーし合い、日々研鑽を積んでいます(だって、それが唯一の共生への道だと思うのです)。

20代の頃、私は都会で一人暮らしをし、仕事にほぼすべての価値をおいた生活をしていました。仕事こそ自分の能力が試され、自分を成長させてくれる場所であると。30代、仕事だけが人生のすべてじゃないということを感じ始めた頃に寄生住(参照:「なぜ寄生?」)を始め、ライフスタイルがガラッと変わりました。そして、気づいたのです。日常生活にこそクリエイティブさが求められる場面、判断力が試される場面、限られた時間で一定のタスクを終わらせなければならない場面、コミュニケーション力が試される場面、法律や社会の制度を知っておかなければならない場面があることを。そしてそこから得られる喜び、学び、発見があることを。

仕事のプロジェクトはいつか終わりが来るけれど、日常の生活とは、死ぬまで終わりのないビッグプロジェクトであり、まさにライフワークなのだと捉えるようになりました。今、私は日常生活にもっと前向きに取り組んでいます。成長しています。そして試されています。この寄生生活がどれくらい続くかわからないけれど、人生のxヶ月を、この4人のプロジェクトメンバーと共に過ごせることは、私の人生に新しい風味を加えてくれるのでしょう。プロジェクトの主要メンバーは佐奈田・ジェームス・ナギ子の大人3人ですが、子どもたちもいい年(4才、6才)になってきたので少しずつ家事を覚えてもらおうと、OJTを始めました。

今教えたいのはゴミ捨て。かのんは(報酬目当て?なのか)進んでやってくれますが、みらいは6歳でイヤイヤ期に突入したのか、すべて否定形で応答してきます。

佐奈田
「今日はゴミの日だよ。ゴミ捨てるの手伝って。」

みらい
「ゴミ、捨てない~」

佐奈田
「今日もゴミ捨てれなかったね、次のチャンスは火曜日だ!」

みらい
「チャンスは、捨てがたくない~」

チャンスは捨てても、ゴミは捨てないみらいさん。OJTは続きます。