寄生と共生

【寄稿】寄生と共生(やもりの視点)

どうも、佐奈田の寄生先に行ったことがある家守〈やもり〉です。

今日は生物学の視点から佐奈田の寄生について考察したいと思います。ポイントはジェームス家族の「損失」です。

「寄生」という言葉を聞くと、多くの人は時間や空間を奪われる状況を想像するでしょう。学校の帰り道にいつもついてくる友人。いつまでも自立せず実家に居座るニート。そんなイメージではないでしょうか。しかし、生物学的にこれらを寄生とは言いません

生物学の世界では、「寄生」に定義があります。それは、「一方が損失を被る相互関係」です。

例を挙げてみましょう。
皆さんご存知のサナダムシです。サナダムシはヒトの腸内に生息します。ですが、腸の中にいる(空間の占有)だけで寄生とは言いません。栄養を奪う、攻撃する、病気を媒介するなど、ヒトに対して明確な損失を与えた場合に寄生となります。サナダムシにはたくさんの種類がいて、その多くはヒトの腸内でほぼ無害です。つまり寄生していません。ただいるだけです。

この状況を生物学的には「共生」と言います。

「共生」は皆さんがイメージするより大きな概念です。一言で言うと寄生でなければ「共生」です。「双方に損失が出ていない相互関係」が「共生」です。

自分の家に他人がいても、お互い損失がなければその人とは共生しています。もちろん、一方あるいは双方に利益がある相互関係も共生です。

ここで寄生であるか共生であるかを判断する、「損失」について考えます。この「損失」は個々のケースではなく、総合的に判断します。例えば、学校の帰り道にいつもついてくる友人が、話しかけてきて煩わしく感じたとします。ここだけを見ると損失が発生しています。しかし、その話においしいレストランの情報や、次の定期テストの出題範囲についての裏情報があるとどうでしょうか。これら友達がもたらす情報が先の損失を埋めるとすれば、あなたと友達との関係は寄生ではなく、共生となります。ちなみに、生物学の世界で子の生存は最大の利益です。つまり、自立していない子を養ったところで損失は発生しません。野生の世界はニートにやさしいのです。

ここで、冒頭の問いの意味が分かったでしょうか。

そうです。佐奈田が寄生しているかどうかは、ジェームス家族の「損失」で決まります。

佐奈田が納めている家賃や分担している家事など、ジェームス家族にとっての利益と、佐奈田が消費する食糧や子どもたちへの悪い見本など、家族にとっての損失を総合的に判断する必要があります

さて、私は家守です。家と人を見守るのが仕事です。佐奈田が「寄生住」なのか「共生住」なのか、その答えは皆さんで考えてください。

↑暖かくなると寄生ハウスにやってくるヤモリ。

※この文章は佐奈田がお仕事で「協働」する、家守(やもり)さんに寄稿いただきました。家守さんは、某有名国立大学の博士号(生物学)を取得されています。家守さんの生物への飽くなき探究心・学術知識・研究成果をもってして、地球上の一生物である私と一家の生活を考察し、それを易しい文章で解説してくださったこと、心より感謝申し上げます。