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仲間が味方だとはかぎらない

成熟した考えを持つ、自立した人間であること。
それは女であろうと男であろうと関係なく、とても大切な大前提。

時に羨望や嫉妬という厄介な感情が芽生えることもあるかもしれない。
それでも必要以上に翻弄されるでもなく適切な処理をする。
そして、自分にとって本当に必要なことを咀嚼して、消化してゆく。
それこそが人間としての魅力はもちろんのこと、人としての色気にも繋がる。

ちなみに成熟した考えを持つには、たくさんの選択肢の中から自分にとっての最適解を選び取ることが重要だと思うのだけれど、無論ここで必要になってくるのは、女性にも男性同様の選択肢があるということ。
決して女性なりの選択肢だとか、ゲイなりの、レズビアンなりの選択肢に留まってはならない。

以上がフェミニズムをはじめとして、現代社会を生きることについて考えた時に迷いなく思う一つの軸なのだけれど、日常生活でふと感じる違和感から過日のグランドスラムにおけるそれに至るまで、開かれた世界を阻むのは、案外本来味方であるはずの存在なのではないかと感じることも少なくない。

当たり前といえば当たり前なのだけれど、どうしても世界がフラットになると都合が悪くなる人はたくさん居る。そして時に彼らは自分が見たいように「敢えて勘違い」をしたり、「敢えて真実を見なかったり」もする。

彼女は美人だから何ごとも上手くいって羨ましい。
彼は差別を乗り越え、血の滲む様な努力で身につけた実力で勝負している。
あの人は地味だけれど、苦労をして知識を身につけている立派な人だ。

恣意的なミスリードをすることが自分にとって楽になるとしても、できる限り冷静に他人のことを見たいと思うばかりである。

無意識に隣人の足を引っ張らないために。

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