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透明感の秘密

透明感。それは私が昔からお金で買えるものなら買いたいと思っているものの一つ。お金で買えるなら、と言うのは、どうもこればかりは努力でどうにか出来る訳では無さそうだからというのが正直なところだ。

「透明感がある」と評される女優さんたちの芸能界に於ける立ち位置の盤石さが示すように、透明感という三文字が持つ力の絶大さたるや凄い。その言葉を聞くだけで同性は「かなわないもの」、異性は「尊い存在」と認識するように思える。どうやら透明感って物凄く圧倒的なのだ。

そもそも透明感って何なのだろうと考えた時、ある人がこんなことを言っていたのを思い出した。

「媚びを売った回数で清潔感が減る」

清潔感と透明感は全く同じという訳ではないだろう。だけれどその二つは従姉妹くらいの近さがあるような気がするし、更に言えば「媚び」という言葉の方にヒントがある気がしたのだ。

曰く、たとえ大金を投じて皺を無くしたり整形をして誰もが認める美しい顔になったとしても、それによって清潔感が感じられるかというとそうでもない。寧ろ一般的な美醜に対する評価や異性への媚びが感じられて不潔に感じてしまうことすらある、ということだった。

その鋭い意見に私は思わず唸ってしまった。そしてそれと同時に自分が知らず知らずのうちに媚びを売り清潔感を擦り減らしてやいないかと心配になった。

確かに、私が憧れる女性は揃いも揃ってシミや皺などを気にしている様子が無い。そして私自身もシミや皺を自ら欲することはないものの、今あるものにはそれなりに愛着もあるし美肌アプリで消してしまおうとは思わない。

肌がつるつるになり目鼻立ちが自然に整うアプリのように、恐らく日常には簡単に清潔感や透明感を奪い去るような誘惑が溢れている。ある種の魔法である「透明感」だけれど、魔法のようなものだからこそ手に入り難いと同時にシンデレラが12時の鐘と共に灰かぶり姫に戻るような儚さもある。

それでも媚びとは無縁に生きて、無邪気に清潔感を保てる人こそがとびきりの透明感を纏える人のような気がするし、出来ることならば少しでもそこに近付きたい。そうなれるのならば、笑い皺だって喜んで。

喉から手が出るほど欲しい、透明感についての考察でした。

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