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フレグランス・レッスン

最近、#10yearschallenge というハッシュタグが流行っているけれど、そういえば私がはじめて香りによる官能を目の当たりにしたのは、ちょうど10年前のこと。

冬のある夜、ボーイフレンドのベッドで毛布に包まって部屋を見渡していたら、マホガニーの棚の上に冷たく佇む存在にぶつかって視線が止まった。高さ10センチにも満たない引き算の極限とでもいうようなスクエアな黒い瓶は、香水瓶だという確証をなかなか私に与えてくれない洗練されたデザイン。それでもその正体が気になって仕方がなかった私は、彼が部屋を離れた瞬間、その日着ていたニットの下に素早く吹き掛けて帰ったのだった。その日の「悪いことをしたような感覚」は未だに生々しく覚えている。

吹き掛けて帰ったは良い。吹き掛けて帰ったは良いのだけれど、「おそらく香水であるはず」のその香りは、見た目の印象を一切裏切らずにただただ私に対して無言の圧力を与えてきた。それまでの私は、巷で流行する、石鹸や愛らしい花を思わせるような、甘くて癖のない香りしか知らなかったものだから、艶やかで性的な香りに対して少なからずショックを受けながらこう思った、ああ、私にはとてもじゃないけれど手に負えない。

だけど女というのはおそろしいもので、痛い目を見るとわかっても手を伸ばしてしまう。そうして少しずつ麻痺しては、気がつけばそれらはすっかり私好みの香りの礎となっている。

ベルガモット、パチョリ、シダーウッド、アンバー、レザー、そしてサンダルウッド。

「知っている?音階みたいに香りにも香階っていうのがあるんだって。だから香水もノートって言うみたいよ」

香りに関する話を交わすのは、色っぽくて愉しい。
いつか誰かが「男女の間柄で香水の銘柄を当てるのは前戯みたいなもの」だと言っていたし、私もそう思う。皮膚の一枚上に隠している秘密を辿り合うそれは、確かに二人にとって心地よい音階を当て合うようなものだ。

あれから10年、すっかり私は香水の沼にずぶずぶとハマって、毎朝目覚めた瞬間にその日に纏う香水のことを考えるようにまでなってしまった。そんな10年を経てもなお、私は飽きずにボーイフレンドの部屋にあるまだ自分が嗅いだことの無い香りを手に取る。

「ねぇ、あれってどんな香り?」

微笑みとともに吹き掛けられた香りは、ひどく甘美で柔らかなものだった。
今、そしてこれから。私たちはどんな風に触れ合って、どんな香りを混ぜ合うのだろう。

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