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できると思うのでできる

2024年1月12日
 何かをしないでおこうと決めた人は、「でも」といってできない理由をあげる。実際にできないこともあるが、多くの場合、したくないのである。「でも」といった人は、やってみようという気持ちとやらないでおこうという気持ちが拮抗しているのではない。「でも」といった時点で、やらないという決心をしているのである。
「Aだから(あるいは、Aでないから)Bできない」という言い方をする人もいる。そして、このAとして誰もがそれは仕方ないと思うことをあげる。
すぐに被災地の人を救助したい、でも、、、道路が寸断しているので、車で被災地にたどり着けない。それなら仕方ない、ではすまない。
 アドラーは、ローマの詩人であるウェルギリウスの「できると思うがゆえにできる」(彼らはできると思われるがゆえにできる))という言葉を引いている(『子どもの教育』)。アドラーは人間は何でもできるといっているのではない。しかし、初めからできないと決めてしまったら何もできない。
 実際にできるかできないかは現場にいる人にしかわからないが、現場で救助活動をしている人は、困難であっても救助するべきだと思って懸命に働いているに違いない。そんなことを思いながらも、自分は何もできないことがふがいない。
 誰かが為政者、国家の犠牲になるような社会は間違っているということも考えていた。
A society where individuals fall victim to exploitation or injustice is flawed.

 再校が届いたので、昨日からずっとチェックしている。今度の校正者の指摘は納得して受け入れられる。鉛筆で書き込まれた直しを受け入れたら赤で丸を入れ、すぐに解決できない箇所は青で囲み、後から直そうと思っているが、後からと思うと大変なことになるのでできるだけ先送りしないようにしている。

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