一体、いつ勉強しているのだ

 フランス文学者の辰野隆が小林秀雄についてこんなことをいっている(加藤周一『羊の歌』)。
 「小林(秀雄)もよくできたが……これは渡辺(一夫)とちがって、教室にちっとも出て来ない。家で本ばかり読んでいる。ぼくの家の本を持っていって、煙草の灰で汚してかえしてくるんだ。実によく勉強をしたな。試験をすると、講義に出ていないから、できませんね、それで通して下さいというのだから、ひどいものだ。卒業論文だけは書いて来て、とにかくこれを見て下さい。見ると、驚いたね。これが素晴らしい。最高点だ」
 学生の頃、「君たちは真面目に講義に出てきているが、一体、いつ勉強しているのだ」と教授の一人がいったことを思い出す。
 私は教師としては当然講義に出席し、講義をしっかりと聴いてほしいが、試験の解答に私が話したことがそのままなぞってあるとがっかりする。
 いつか講義をしていたら、「〔板書の〕どこを写したらいいのですか」という学生がいて心底驚いた。「そんなことは自分で判断して、必要があると思ったことは筆記すればいい」と私は答えなければならなかった。
 自分では何も考えずに筆記するようではだめなのである。自分で何も考えず、自分では何も判断できないから、誰かの指示を待つようになる。そんなことをしていれば、いずれ自分の首を絞めることになる。
 私が話したこと以上に的確に論点を明らかにした独創的な答案を見ると嬉しい。「よし」とつぶやいて高い点数をつける。

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