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私は私なのだ

2023年12月22日
 昨日で、今年の講演、講義は終わった。直近の締切がある原稿も書き終えたので、年始までは来年出版予定の本の原稿書きに専念したい。帯状疱疹は緩解といえるくらいにはよくなったが、病気そのもののためなのか、それともまだ飲んでいる痛み止めの薬のためなのか連日朝方まで眠れない。
『サムダルリへようこそ』というドラマを見始めた。まだ完結していないのでどうなるかはわからないのだが、写真家としての名声を失ったチョ・サムダルが故郷の済州島に戻るところから話が始まる。
『イ・ドゥナ』のことは先に少し書いたが、大学生のウォンジュンが、アイドルグループを脱退したイ・ドゥナを元アイドルというような属性で見ないように、『サムダルリへようこそ』では幼なじみのチョ・ヨンピルはサムダルを写真家としては見ない。
「チョ・サムダルはどんなに変わってもチョ・サムダルだ」
「二十年間、私はカメラだけを見て生きてきたけれど、それが消えてしまった今、私は私ではない? 朝起きても何をしたらいいかわからない。人と何を話したらいいかわからない。写真家でなかった私が何をして生きていたか記憶がない」
「夢が消えても、本当のお前が消えたわけではない。だから、探そう、写真家チョ・ウネでなく、本当のチョ・サムダルを」
(彼女は、チョ・ウネという名前で写真家として活動していた)
 本当の自分を探しに行く必要はない。写真家でなくなっても、私は私なのだと思えればいい。写真家でなくなかったからといって、自分に価値がなくなるわけではないのである。
 定年や病気で仕事を辞めても、自分が自分でなくなるわけではない。簡単なことのようで、そのことを受け入れられず、社会的な肩書きから自由になれない人は多いように思う。
 昨日、三歳の孫が部屋にやってきた。「オセロしよう?」最近はまっていて、大人を捕まえては長い時間対戦している。あいにく、夜の講義の準備が終わっていなかったので、忙しいから今はできないといったところ、「わかった、いいよ〜」とあっさりと引き下がった。そういわれると、次は一緒に遊ぼうと思う。

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