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出産とウンコ

もしかしたら私が今から言うことに
「何と失礼な!」と
怒り狂う人もいるかもしれない

でも言わせて。

野性的な視点でいうと
ウンコも出産も同じ排泄行為

もしもの話
ちょっと想像してみて。

便意が来て
いよいよと思ってトイレに入ったら
そこは分娩室

パンツを脱いで分娩台に上って足を開き
煌々と明るい電灯で肛門を照らされ

何人もの同性・異性に覗きこまれて

「はい、頑張っていきんでください」

大声でと応援されたり
いきむのが下手くそだと罵倒されたらどうだろう…

私ならきっと便意は喪失する…
出るものも引っ込む

そんな時に
「この人いきむの下手だわ」と
ヒソヒソ言われたり

「便意が弱くなって来たので強くするために薬を打たないと」

と言われたら泣きたくなる

「私をここから降ろしてください。

トイレに行かせてください。

一人で便意に合わせていきみます。

そうすればちゃんと出せます!」

でも、そんな勝手なことは許されず
「そんなの無理に決まってるでしょ?」と言われた挙句

肛門に手を入れて広げられたり

便が降りてくるようにお腹をグイグイ押されたりしたらどうなるだろう…

もう二度とウンコなんかしたくない…

本気で落ち込むかもしれない。

でも、たとえそのような状況下でも

本当だったらトイレでウンコをしてもらいたいのは山々だけど
今はどうしても無理な状況なので

なるべくトイレに近づけた環境を目指して静かに見守るね

ギリギリまで電灯は消そうかな?

足元は寒くない?

掛物かけておきますね

そんな配慮があれば
心は随分穏やかになる

ここは病院だから
これが当たり前だとか

分娩台が悪いとか

助産院だから

畳の上だからという問題ではなく

本来持っている、
本能としての身体の働きを知ってるか知らないか

我が身のこととして感じられるか感じられないか

そこに気づいて配慮をするかしないかこの違いは大きいと思う

産む場所はどこであれ
この場所で
この条件下で

この人に一番の心地よさはどこ?
気持ちいいことは何?

そこを軸にしている人たちが
お産の場にいて
見守ってくれたら

どんなに電灯が明るくても
どんなにたくさんの人が周りを取り囲んでいたとしても

最高に気持ちよかった
幸せなお産だったって言えるんだと思います

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