夢をかなえるゾウ 34の偉人の逸話・名言まとめ
こんにちは、副業愛好家のまきです
ゾウの姿をして関西弁で話す神様ガネーシャは、歴史上の偉人を数々育てたといいます。
そんな偉人たちのちょっといいエピソードをまとめてみました。
なお、ガネーシャが数々の逸話をどんなことを伝えたくて話していたかは解釈の部分になるので書いていません。
読み方によっては「それがどうした」と思えるようなものもあるかもしれません。
しかし、「自分だったら同じことをできたか」という視点で読んでみてください。
きっと気付きがあるはずです。
イチロー(メジャーリーガー)
イチローは他の選手が先に帰っても、ずっと残ってグラブを磨いている。
彼は、小学生のころからそうしていて、「神聖な商売道具を粗末に扱うことは考えられない」と言っている。
ジョン・ロックフェラー(スタンダード・オイル創業者)
若いうちから収入の一割を寄付し続けていた。
億万長者になったが、全然お金持ちではないころからやっていた。
しかも、この収入を一割寄付する教えはその子どもにも受け継がれている。
ロックフェラー・ジュニアは優秀な投資家になり、孫のネルソン・ロックフェラーは副大統領、ウィンスロップ・ロックフェラーは州知事になって、一族がそろいもそろって出世している。
この習慣については、ビジネスや芸術、ありとあらゆる分野で優秀な人間を送り出しているユダヤ人の律法書にも「汝の収入の10%を分け与えよ」と書かれている。
松下幸之助(松下電器(現パナソニック)創業者)
・「世の中から貧困をなくす」と言って、誰でも買えるような安い電化製品を作った。
・誰よりも早く会社に行って、仕事をする前にまずトイレ掃除をしていた。
・「すべての責任は自分にある」(他人が起こす出来事、身の回りの環境で起きる出来事は全部自然の法則どおりに発生しているため、自分が望む結果を出すには、自分を変えるしかない)という言葉を残した。
釈迦(仏教の開祖)
「一切の疫病は宿食を本とす」(食べすぎがいろいろな病を引き起こす)と説いた。
ヘンリー・フォード(自動車の育ての親)
制作したT型フォードは世界で1500万台生産された。
「もし私がお客さんに何が欲しいかとたずねたら、彼らはもっと早く走れる馬を、と答えていただろう」と言った。
ハーブ・ケレハー(サウスウエスト航空創業者)
サウスウエスト航空の出した広告と、同業者の出した広告がほとんど同じだったことがあった。
このとき裁判沙汰にはせず、相手の航空会社の会長に「腕相撲で勝負しましょう」と挑戦状を送り、実際にその勝負を行った。
ケインズ(経済学者)
イギリスが不況だったころ、報道記者が「長期的に見て、イギリスの経済は一体どうなるのでしょうか」とケインズに尋ねたとき、「みんな死にます」と答えた。
本田宗一郎(ホンダ創業者)
トイレをあえて工場の真ん中に作り、みんなできれいにしようと呼びかけた。
スティーブン・キング(「スタンド・バイ・ミー」原作の小説家)
小説家になる前は学校の先生をしていた。
学校から帰ってきた後や、週末にずっと小説を書いていた。
手塚治虫(漫画家。「鉄腕アトム」や「ブラックジャック」を描いた)
60歳で亡くなった際に、死ぬ直前の入院している病院のベッドの上でも漫画を描いていた。
カーネル・サンダース(ケンタッキーフライドチキン創業者)
昔は「サンダースカフェ」というカフェを経営していた。
しかし、当時の大統領アイゼンハワーの政策でサンダースカフェのあった国道とは別に、新しい道路を建設することになり、彼は25年続けたカフェを閉めた。
しかし、年金を頼りに余生を送ろうかと思っていたものの、年金が想定より少なく何とかしようと思い、
カフェをやっていたときに人気があったフライドチキンの作り方を他のレストランに売った。
それが今のケンタッキーのフランチャイズのはじまりとなった。
リンカーン(アメリカ大統領)
「人民の、人民による、人民のための政治」で有名なゲティスバーグ演説を行ったが、この有名なフレーズはある牧師の演説集に載っていたものを引用したものだった。
福沢諭吉(慶應義塾創設者)
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というセリフはアメリカ独立宣言から引用した。
ナポレオン・ボナパルト
「人はその制服の通りの人間になる」と言った。
ココ・シャネル(シャネル創業者)
当時、女性はコルセットをつけて重いドレスを着るのが一般的で、それを着て人形のようにじっとしているのが社会の常識だった。
しかし、シャネルはそれを壊して、動きやすいスーツやパンツをはくスタイルを作った。
これが女性の考え方に影響を与え、女性の社会進出をうながしたとまで言われている。
ピーター・ドラッカー(経営学者)
「強みの上に築け」(自分の得意なことを徹底的に伸ばしていくのが成功につながる)と言った。
マイケル・ジョーダン(バスケットボール選手)
一時期、急にプロ野球に転向し結果は打率.220と成功とは言えなかった。
しかし、そのあとまたバスケットボールに復帰して、ブルズを優勝に導いた。
リチャード・ブランソン(ヴァージョン・グループ創設者)
生まれつき難読症で文字を読むのが苦手だった。
しかし、「企画書を読むのには苦労したが、その分イマジネーションを膨らますのが得意になったから、自分はビジネスに成功した」と言った。
ノエル・ゴダン
パイ投げを生きがいにしており、40年近く有名人にパイをぶつけ歩くことを楽しみに生きている。
ビル・ゲイツなども投げられている。
トーマス・エジソン(発明王)
どれだけ実験に失敗しても、何千回失敗しても「成功だ」と言った。
「この実験が失敗だと分かったからまた一つ成功に近づいた。だから成功だ」と考えていた。
シェイクスピア(劇作家)
とても口がうまく、お金持ちが皆彼のことをかわいがった。
そのため、舞台が失敗しても「次も助けるから頑張りな」とまたお金を出してもらえていた。
このことが、舞台を作るのにかかる多大な費用をまかなっていた。
リンドバーグ(人類初の大西洋無着陸飛行に成功した飛行家)
当時は航空技術が進んでおらず機体がとても重かったため、普通は他の搭乗員を一緒に乗せて飛ぶところを一人で飛ぶことにした。
しかも、緊急脱出用のパラシュートまで乗せなかった。
しかし、その分、周到な準備をしており、当時はレーダーがなかったため、大西洋の転向や季節風を何度も計算し、緻密なルートマップを作り上げた。
搭乗員やパラシュートを乗せなかったのも、とても細かい計算をした上での判断だった。
孫氏
「算多きは勝つ」(事前に周到な準備を行うことが勝敗を決める)と説いた。
ロベルト・ゴイズエタ(コカ・コーラ社長)
コカ・コーラの大株主のウォーレン・バフェットに必ず毎日電話し、「今日ペプシがこんな戦略を打ち出してきました」などとすべて報告していた。
これに対しバフェットはコカ・コーラの業績がどれだけ下がっても支援し続けた。
カーネギー(鉄鋼業の成功者。カーネギー大学やカーネギーホールを作った)
小さいころ、たくさんウサギを飼っていたが、ウサギのエサを一人では集められなかったため、他の子どもを使った。
具体的には、ウサギのエサをたくさん持ってきてくれた子どもの名前をウサギに付けた。その結果、子どもたちは嬉しくなってどんどんウサギの餌を探しに行った。
この方法をカーネギーは大人になってからも使っていて、同業者をどんどん合併、吸収して会社を作ったが、そのとき相手の会社の名前も残すようにしたため、合併会社の社員も頑張って働いたという。
カーネギーは鉄鋼王と呼ばれるが、実は鋼鉄のことをあまり知らず、人の自尊心を満たすことに長けていたという。
モーツァルト(音楽家)
同じ世代の作曲家を研究したりマネすることで有名だったが、誰もパクリとは思わなかった。
それはモーツァルトの曲が圧倒的に素晴らしく、聞く人を喜ばせたからだった。
サム・ウォルトン(ウォルマート創業者)
自分の店にいるよりもライバル店にいる時間の方が長かったと言われるくらい研究熱心だった。
ウォルトンは「自分がやったことの大半は他人の模倣だ」と公言している。
スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)
・側近の人間から「彼は人のアイディアを盗む天才だ」と言われていた
・アップルにマーケティングに優れた人をスカウトしようとしたとき、当時ペプシコーラの社長をしていたジョン・スカリーを口説くことにした。
そのときジョブズはスカリーに「お前はこのまま一生砂糖水を売り続けるのか。それとも世界を変えたいか」と言った。
ダーウィン(進化論提唱者)
カブトムシを捕まえるのが好きで、珍しいカブトムシを二匹捕まえてそれを右手と左手に持っていたときに、目の前に更に珍しいカブトムシが現れた。
どうしてもそのカブトムシを捕りたくて、ダーウィンは両手に持っていたカブトムシを口に入れたという。
すると変な液体が出てきて、とても苦く、驚いてカブトムシを全部逃してしまったということがあった。
タイガー・ウッズ(プロゴルファー)
母親の影響でよくお参りに行っている熱心な仏教徒。
ここ一番のときに余裕を持ったり、集中力を発揮したいとき、信仰心に意味があるのを認めている。
アインシュタイン(相対性理論を提唱した物理学者)
「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」と言っている。
アルバート・セント・ジョルジ(ビタミンC発見でノーベル賞受賞した)
「発見とは、みんなと同じものを見て、誰も思いつかないようなものを考えることだ」という言葉を遺している。
ツルゲーネフ(ロシアの小説家)
ツルゲーネフが散歩していてホームレスのおじさんに出会った時、「何か恵んで下さい」と言われて、ツルゲーネフは何かをあげたいと思ったが、朝の散歩だったため、財布を持っていなかった。
仕方がなく、「今は何もあげられないけど頑張って」と握手したらおじさんが感動して泣き出してしまったという。
ライト兄弟(飛行機の発明家)
機械が好きで純粋な男だったが、飛行機の発明で特許を取ったあと、「飛行機を発明したのは自分たちだ」と言って、他に飛行機を作ろうとした人たちをどんどん訴えた。
その結果、航空会社全体を敵に回して孤立してしまった。
それと対象的だったのがグレン・カーチスだった。
彼も飛行機づくりには興味があったが、どちらかというと「頼まれたら引き受ける」という気のいいタイプだった。
カーチスはそもそも飛行機もグレアム・ベル(電話機の発明家)から頼まれて作り始めていた。
そのカーチスとライト兄弟が裁判で戦うことになったとき、完全に明暗が分かれた。
自動車王のヘンリー・フォードがカーチスのために弁護団を用意したほどカーチスはみんなから応援されていた。
最終的に、ライト兄弟の作った航空会社はほとんど誰にも知られず姿を消し、カーチスの会社はアメリカ最大の航空会社に成長した。
エステル・ゴランタン(女優)
当時85歳だった彼女は町でたまたま「イディッシュ語(ユダヤ語の一つ)を話せる老夫婦求む」という映画の出演者募集のチラシを見つけた。
彼女は特に演技の勉強をしたこともなかったが応募し、オーディションに受かってしまった。
しかも、アビル映画祭で最優秀女優賞に選ばれ、その後も映画のオファーが続々来たという。
彼女は戦時中に収容所に入れられていた時期もあった波乱万丈な人生だった。
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