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初期配属を想う。それは”遠い最短”かもしれない。

僕の勤めている会社では確か、明日が新入社員の配属発表だったと思う。たぶん。そして、この時期になると必ず思い出すことがある。8年前、まったく予想もしておらず、まったく期待もしていない場所へ配属を告げられた自分のことを。

今思えば会社員である以上、当然ありえる選択肢だった。 でも僕はこのことを想像さえしていなかった。「どの部署でも頑張ります!」と口では言いながらも、インタラクティブ領域に自信があったゆえ、当然東京本社のそういう部署で仕事を始めるものだと思い込んでいた。不思議と自分の能力にも、そこで働くことにも根拠のない自信があった。

告げられたのは、中部支社(名古屋)だった。 

死ぬほどショックだった。血の気が引いた。会社を辞めようと思った。 行きたい部署に配属になった同期は愚か、本社配属の全ての同期が不愉快だった。むかついた。そして誰かはわからないが、この配属を決めた人間にありったけの…不幸が訪れることを祈った。呪った。 凄まじい敗北感と劣等感に打ちひしがれて、東京本社ビルから帰った日の光景を、今も鮮明に覚えている。むしろ絶対にこの日のことを忘れないと思ったから今も覚えているのだと思う。

僕は顔も知らない偉い誰かに、最も行きたくない場所に行かされ、やりたくもない仕事を与えられた。

今でも、東京配属だった方が自分には合っていたし、活躍できていたと思っている。会社は判断ミスをして損をしたと確信している。
でもそのとき思ったことと一つだけ違うのは、名古屋配属になったことを今は、まったく後悔していないということ。後悔しないように変えたということ。

人はやりたくない仕事をやらされている時にこそ真価を問われると思う。

仕事なんてほとんど思い通りにならない。思い通りにならないことだらけだから、自分を変えていける。変えなくてはいけないから、発見があり成長がある。腐るのではなく、楽しみ方を見つければいい。見つけなくてはいけない。

環境のせいにするのは簡単だ。 でも結局、何の解決にもならない。

だから環境に勝てなかった自分を恨んだ方がいい。 僕は腐らなかった。楽しさを見つけた。 今思えば楽しさ意外とどこにでもある。 なければ、楽しいことをつくればいい。 今もこの能力に日々救われている。
初期配属ごときで潰える程度の“やりたい仕事”であれば 所詮それまでだと思う。 

やりたい仕事についてこそ発揮できる力よりも、 どの仕事に就いても腐ることなく、楽しめる力の方が強いと思う。

どうか配属先なんかに負けないでほしいのです。

岸勇希(2012年5月29日に書いた記事です)

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