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新年の挨拶に代えて

2018年と会社の一周年がほぼ一緒だったので、起業の振り返りをしようと思ったら懺悔になりました。
苦しいとかしんどいとかを表に出すのが下手なタイプなのでよく調子がいい会社と思っていただけるのですが全くそんなことはなく、私の失敗談や、それによって少しだけ見えるようになったことをシェアして後続のプレイヤーの方々の糧になればと思います。
※ただちょっと特殊なのが、私の起業や資金調達はよくスタートアップ界隈で語られる「一つのプロダクトを磨き込んで一点突破で市場に殴り込み指数関数的に伸びる」ものではなく、プレイヤーを増やすための「起業家の、起業家による、起業家のためのオフライン×オンラインのインキュベーション事業」がスタート地点でした。そこらへんのストーリーやそれぞれの事業内容は各種メディアに転がっているので今回は割愛します。

起業しようと思い立ったのは2017年でした。
SV木下さんが誘ってくださったスタートアップのイベントがDMMにて行われ、そこでたまたまいらっしゃった亀山さんにご挨拶させていただき、当時考えていた社会起業家向けの投げ銭サービスのお話をしました。
私も亀山さんも酔っ払っていたので「途上国の子供に向かって投げ銭するとかどうかな」みたいな他愛もない会話だったのですが、なぜか帰り道強く「起業して成功してお礼を言いに来よう」と決意しました。「なぜそれ?」という感じなのですが、今でもその時使ったDMM社の入館証を実家にとってあります。

思い立ってから登記まで約2週間ほど、登記完了する前の11月末にSkylandVenturesとEastVenturesから出資していただくことが決まり、12月半ばのIVSで家入さん含め大御所のエンジェル投資家の方々からの出資が決まり、さらに12月30日にそのプレスリリースを見た佐藤裕介さんに東京に召喚していただき出資が決まり、同時にコワーキングスペースの不動産契約とオープンと社会起業家向けアクセラレータープログラムであるタリキチプロジェクト一期生のスタートをした、激動の1ヶ月から2018年を迎えました。(年越しの瞬間はひたすら卒論を書いていました)

ビジネススクールに通ったことがあるとはいえ、ぶっちゃけ当時は全てに対して無知で、上場ストーリーなどなく、事業創出に知見もなく、思い出すだけで死にたいぐらい無力な小娘でした。
特にEVの大河さんと六本木でお話しさせていただいた際は「大河さんはとにかくめちゃくちゃスゴイ人らしい」ということだけ分かっている状態で緊張と無知で意味不明なことを喋り続けていた気がします(全く覚えてない)。ですが「良い意味で生意気な感じ、京大生っぽい!そのままでいいよ!」という懐の広すぎるありがたいお言葉を頂き、こんな株主の方々のためにも頑張ろう、と感じたのを憶えています。「起業家増やすなら」「社会課題に取り組むなら」「なんか成功しそう」などの理由で現在の株主の皆様に投資していただいたのは本当に奇跡のような機会の授かり方だったなと思います。

1月-3月らへんは「社会起業家のWeWorkを創りたい、ゆくゆくは資金調達を容易にする金融サービスに繋げたい」みたいなふわっとしたビジネスプランを持ち、コストと時間を極限まで抑えるために真冬のビルのフローリングを自分たちで張り替えたり(エンジニアにまでやらせてしまった)、VCの方にソファを組み立てていただいたりしながら、エモエモでピュアな哲学に基づいた「幸せとは、世界平和とは」みたいなのをテーマにU25による社会事業の創出に注力しました。


結果として今プログラムの一期生が次々と起業し(あるいはそれ以外の道で自分らしく)活躍しはじめ、これからも確実に社会に価値を生み出していくであろうと思われるので私たちがやっていたことには意味があったのかもしれません。
しかしプロジェクトを一回転して様々な事業の立ち上げに挑戦するプレイヤーを見ていく中で、ビジネスで本質的な社会課題に切り込むことの難しさと、何の武器も持たないプレイヤーが持続可能性を伴うのは今後かなり大変になっていくな、ということを再認識しました。
同時に”儲からない領域”に対する解像度が上がり、「私がやってることなんかめっちゃしんどいじゃん」という今更すぎる気付きを得て色々分からなくなったのがこの時期です。

よく言うと「現実見えてきた」という感じですが、「社会を良くしたい」とか「株主に恩返したい」という気持ちに実力や知識や事業が全くついてきておらず、「グロースってなんだ?経営ってなんだ?」と世間の声やメディアやポジショントークに翻弄されてただ迷走しました。
バリ島に一人で逃避行し我らがドラッカー大先生の”What do you want to be remembered for?(あなたは何によって憶えられたいか)”を海に沈む夕日を見ながら考えてみたりもしましたが、「お前が何者かなんてどうでもいいから黙って目の前のことに向き合え」というよく分からない結論に至り帰国しました。


そんな中で「好きな人と仕事して酒飲めればそれでいいんだ、もう」という緩やかな絶望と隣り合わせの幸せに決め打ちしていた自分に対して、ふと「自分に期待してないな?色んなこと諦めてるな?」と気付き、「諦めない」ことに執着し始めたのもこの時期です。

6月-9月らへんはとにかく分からんの連続でした。
自身がやりたい領域と、自身が得意な領域と、IPOを前提とした経営戦略と、社会に今後必要とされる事業との交点が分からないし、探し方も分からないし、そもそも交点を探ること自体が間違っているのかもしれないという感じでした。
また「起業直後はよく騙される」というエピソードにビビりすぎて、「手伝おうか?」と言ってくださった方々をことごとく避けていたせいでとにかく孤独でした。人生を諦めないことへの執着だけはあったので「やらなきゃ」という感じでとりあえず目の前のタスクをこなしていた時期です。

この時の反省としては、キャッシュが潤沢なうちに、自分より優秀な人を採用することと事業の素早い意思決定と検証をすべきだったということです。

悩んでいるだけで調達した資金で事業にレバレッジをかけることが出来ず、タリキチプロジェクトと親和性の高い育成型の新卒採用向けサービスの開発や、オウンドメディアの収益化や、「ちあちあ」という個人を応援するオンラインサービスのリリースなど様々な挑戦をしてみたのですが、自身の見積もりの甘さと意思決定の不十分さゆえに多くが頓挫しました。
いくつかのサービスは「いいじゃん!上手くいきそいう!」と色んな方に言われ追加の資金調達に乗り出したりもしたのですが、結果上手くいかなかったので、「皆がいいねっていう案は大抵あかん」的な定説を身を以て実感しました。(余談ですがこの時に「それ相当難しいしタカちゃんがやるべきじゃないんじゃない、出資した時に比べて迷いがあるね、頑張って」などなど的確すぎるアドバイスをくださったのが佐藤さんでした、圧倒的に正しかったです)

綺麗事や正義感「だけ」じゃ世界は変わらないし何も成し遂げられない、歪んだ業界構造も変えられない、そして何よりも実力のない自分が生きてることが悔しい、という憤りと焦りで全ての景色に靄がかかっている状態でした。この頃にそれでも「talikiが好き、タカさんが好き」という理由でコミットしてくれていたインターンの子達にはありがたさと申し訳なさで今でも心が痛みます。
一方で何も成し遂げていなくてもハコモノ運営にはつきものである結構な固定費が毎月かかるので、この時期はマジで倒産しそうでした。

ただ、今振り返るとこの期間にご縁で香港・深センなどを訪れ「やっぱスタートアップ面白いな」となったり、投資家・民間企業の総務部、人事部、事業部・経営者・若手起業家・非営利団体・学生・ホームレス・マイノリティの方々・研究職・専門職・外国人など本当に色んな方々と密に関わることで、社会構造や、事業を成功させる人間性や、事業創出の解像度みたいなものが少しずつ上がっていたように思います。

とはいえ倒産すると死ぬので、それ以降は私の中での優先順位が「まず目の前の経済合理性をロジカルに追求すること」にシフトしました。朝倉さんの言葉をお借りすればいわばPL脳なのですが、手元のキャッシュを増やすことしか生き残る道はないのでやるしかない、という気持ちでした。

ちょうどその辺りでプライベートでも色んな事件があったので、人を雇う精神的・経済的余裕もなく「もういいや自分が頑張れば」みたいなモードになり、この辺りから平均睡眠時間が極端に減り、日々の摂取カロリーは1000kcalを切るようになり、アパートの6階に住んでるといつでも死ねるな、といういよいよ「起業家っぽい」ところまで来ました。「今は正気じゃない、ということをメタ認知できてるから正気である、ということを自分に言い聞かせているということは正気じゃないのかも」みたいなヤバめな日々も結構ありました。
その頃は大企業の方や業界の偉い方を巻き込んでいたので「ちゃんとしなきゃ捨てられる」と勝手に苦しくなっていたのですが、途中で「私らしくやった方がクライアントの満足度は上がる」ということに気付き少し楽になりました。

結果としては、売上がちょっとだけ上がりました。
以前先輩経営者に「俺、倒産しそうって何回も思ったけどその度になんとかなった」と言われていたので、それを信じて倒産自体は気合で乗り切れるという成功体験が積めて良かったというところと、そんな状況でも様々なメディアに取り上げていただき応援してくださる方が増え、家入さんをはじめとする心優しく強い応援者の方々にたくさん助けていただき心理的余裕が生まれ、長期的な会社の成長を前提としたリソースの使い方が考えられるようになりました。

そんな様々な迷走や失敗から得たものと、インキュベーション事業やオープンイノベーション事業まわりに仕込んできた種が少しずつ形になりそうな兆しが見えてきたので、2019年はそこから事業創出のためのtoBサービスの開発とそれを担保するエコシステムの構築・強化をしていく方向に舵を切り、頑張って生きてるのが現在です。

これからも苦労すると思いますし、胸を張れるような結果が出るまで全ての失敗に意味があったなどという自己正当化はしたくないのですが、総じて学んだこととしては
・意思決定し続けないと死ぬ
・余裕がなくても直近のキャッシュにならなくても目の前のクライアントやユーザーの課題に真剣に向き合ってサービスを磨けばそれが会社の無形資産になり、将来的に換金可能な価値になることも多い
・伸びるサービスのスポットは確実に存在するし、そもそも求められていないサービスを検証せずに力技や頭脳戦で需要を生み出そうとしても無理
・上記を見極めるのはビジネス書やビジネススクールでの知識だけでは厳しい
という至極当たり前のことでした。

このようなエピソードは色んなところに書いてありますし、結局経験しないと身にならない可能性もありますが、聡明な起業家の卵の皆様、あるいは何かを始める方々の一助になれば幸いです。

そんな訳で2019年の抱負として
・よく学び自分を愛すること
・質の高い約束を確実に履行すること
・人と共に生きること
・一点突破すること
の4点を設定し実践していきたいと思っています。

いつになったら株主や支えてくださった方々に恩返しできるのだろうという焦りは依然としてありますし、会社としてのゴールや自身の在り方みたいなものには毎日悩んで決め切って悩んでの繰り返しですが、無事会社の一周年と新年を健やかに迎えられたことは本当に皆様に感謝しかありません。
まず生きる、会社を成長させる、事業で社会に還元する、今年もそれをとにかく真摯に取り組みたいと思います。2019年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様にとって、とびきり素敵な一年になりますよう。
愛を込めて

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