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飛鳥クリニックは今日も雨~Vol.1~4(誌面連載版)

飛鳥クリニックは今日も雨~Vol.1 

慌てる乞食はもらいが少ないなんてよく言ったもんで、序盤からポンだのチーだのしたせいで、どれを切っても当たられちまいそうな牌勢だ。

それにしても雨の日の麻雀は牌の手触りが悪い。

空調はしっかり動いているはずなのに、どうにもじめじめする。ベタつく牌を見ながら俺は何を切るか考えていた。

「リーくん、早く切ってよ」

そう急かしてくるのは、対面で立置かけてる事件屋の純ちゃん。しょうもない顎ばっかり回しているから、この街では「顎回しの純」なんて呼ばれている。

黒く焼き上げた肌に高そうなゴールドのネックレスはいかにもな雰囲気だが、どこか人懐っこいところがあって憎めないのが純ちゃんの持ち味だ。

煙草を吸うペースがやけに早くなってそわそわしちまっている聴牌丸出しの下家のおっさんは、デートクラブのフランチャイズで一発当てたマサキさん。

俺にとってこいつは大事なカモだし、正直、麻雀の腕はそこらの学生よりもひどい。待ちは萬子の上でほぼ間違いない。まず振り込むことはないだろう。

上家の客引きはベタ下りだから問題ないとして、さてこの局面をどうやって凌ぐかーー。

「当たりにいってやるから待っとけって」

二人の間を取ってここは六索でいいか。ドラだが切る根拠が一番あるのがこいつだから、これで当たられるなら仕方がない。

そんな事を考えながら六索に手をかけた時、事務所のドアが突然勢いよく開いた。

「やっぱり純さんここにいたんだ! ちょっと私の話、聞いてください!」

純ちゃんが指名している、区役所通り沿いにあるキャバクラの女だった。

SNSかアドトラックかなんかで見かけた事のある顔。5メートルは離れているっていうのに深夜のドン・キホーテで嗅ぐような甘ったるい香水の匂いがたちまち充満するもんだから、どうにも調子が狂う。

「ああもう、デコかと思ってやっちゃったよ」

純ちゃんはテンパって牌を倒してしまっていた。

単騎で六索待ちだったから、これには助かった。安いレートでも勝負事は負けたくないものだしな。

せめて電話くらい鳴らしてから来てくれよーーと俺は言おうとしたが、すぐに諦めた。

南場に入ったあたりから純ちゃんの携帯はポン中からの着信が引っ切りなしにかかってきて、サイレントモードに切り替えろと怒鳴ったのを思い出したからだ。

しかし明け方の飛び込みの訪問で俺が良い思いをした事なんて、ただの一度でもあっただろうか。

ヨレておかしくなっているようなのが街を徘徊しがちなこの時間帯に俺達みたいなのに相談ってなると、ろくでもない内容が必然的に多くなってくるんだ。

◆たった一度の配当でハマった泥沼◆

別にでかでかと看板を掲げている訳でもないが、この街で探偵業の真似事を初めてずいぶんになる。

ウチの場合、紹介でしか依頼人は来ない。だいたいこんな煙たい雑居ビルに相談に来るような客は脛に傷のあるやつばかり。

業務内容も非弁行為すれすれのネゴシエーションから、あと一歩踏み込んだら違法な素行調査が主。大手を振って宣伝するようなものではないから仕方ない。

「で、どうした? 悪い男にでも引っかかったのかよ?」

女に聞くと、内容は案の定、筋の悪い金絡みのトラブルだった。よくあるポンジスキームってやつで、人様から集めたゼニをぶっこんだら自転車がパンクしたってだけの、ありふれた話だ。

こういうのに引っかかるやつって、みんな同じ事を言うんだよな。

すごい時計をしてすごい車に乗っていたとか、キャバクラでえらいゼニ使ってる有名人だとか。あとは何回か本当に配当が来たからとか、そんな感じ。

「そんなの明日でもいいだろうが」

マサキさんが面白くなさそうに牌を崩した。これでもうこの局はノーカンだな。

よく見ると美人なこの女は愛梨という源氏名の売れっ子キャスト、下心もあって純ちゃんが相談に乗っていたらしい。

金を預けたまま飛ばれたのは商社で金の先物トレードをしていたという触れ込みの櫻田という男で、複数の人間から10億単位の金を集めているって話だった。

愛梨には最初は客として接触してきたらしく、あまりにも羽振りがいいものだから、なんでそんなに金を持っているのか? と聞いたのがそもそもの発端。

そこから、「愛梨ちゃんもお金を増やしたいなら自分に投資してみないか」という流れとなり、「F店のHちゃんやD店のKちゃんからもお金を預かっている」なんて風に、愛梨が尊敬している有名嬢の名前を出したのも、当然ながら櫻田の策略だった。

預けた金額は800万になっていた。配当で一割を一度だけもらっているから、それを差し引いても700万と少し。

愛梨の馬鹿なところは、そのたった一度の配当をもらって信じ込んでしまい、多くの友人を櫻田に紹介してしまった事だった。

この辺がポンジスキームの厄介なところなんだよな。愛梨の友人がさらに紹介した枝まで入れると、被害額は億を超えていた。

「でもどうしてここがわかったんだ? 純ちゃんに聞いてたのか?」

気になった俺がそう聞くと、不服だったのか愛梨は頬を膨らませながらこう答えた。

「えっ、この事務所、純さんがオーナーだって……困ったらここに来いって言われてたから……」

キャバ嬢に良い格好をしたくて純ちゃんはまたフカシを入れていたのか。いつもの事なんだけど、予想通りすぎて呆れてしまった。  

「俺に任せれば大丈夫だって、イージーイージ」

純ちゃんは愛梨にこれくらいの事を言っていたらしい。

「違うよ、シノギになるかもと思って風呂敷広げといただけだからな? わかるだろリーくん」

純ちゃんはそう耳打ちしてきたが、実際の所はわからない。

とりあえずは安請け合いに巻き込まれる格好で愛梨の話に耳を傾けていると、話が見えてきた。

ポンジに気付いた愛梨が櫻田を喫茶店で問い詰めていたところ、続々と他の債権者が駆け付けてきてきたらしい。押しかけた男たちは櫻田にヘッドロックをしたまま、別の店へと連れ去ってしまったとのこと。

「そこ、不良っぽいのいたか?」

純ちゃんがそう発した。見た目が不良っぽくなくても七三分けみたいの本物もいる時代だから、この質問の回答がどうあれ何の根拠にもならない。

とはいえ、愛梨の話では櫻田のガラを持っていったのは人数が多いだけでそうタチは悪くなさそうだったから、様子を見に行ってみるかって話になったんだ。

5月某日、歌舞伎町が朝日を迎えるほんの1時間前くらいの出来事だ。外からはベランダのボロい室外機を叩く雨の音がぼんやり聞こえていた。

飛鳥クリニックは今日も雨~Vol.2

歌舞伎町は午前4時。

巷では見かける事も少なくなった事務所のCDラジカセからはFugeesのReady or Notが流れていた。

繁盛しているとはおよそ言い難い私立探偵事務所だけど、バイトを雇っていた時期もあってさ。2年くらい前、収集癖がひどかった細田ってやつがごみ置き場から拾ってきた東芝のボロいラジカセが妙に気にいって、以来置いている。

Fugeesのアルバム「The Score」もこの時に拾ってきたものだ。

「here I come, you can't hide」

ローリン・ヒルがこう歌っているところで俺は音を止めた。キリトリするにはゲンのいい歌詞だ。そんな気分でもあったから、よく覚えている。

「よし、車回して来いよ。櫻田のガラ抑えに行くぞ」

襲撃に出るメンツは、俺と事務所のスタッフ二人、こういうのは絶対ついてくる純ちゃんになぜかマサキさん。上家の客引きは舌打ちをして帰った。

櫻田が連れ去られた場所は愛梨が抜け目なく把握していた。現場の場所を聞いて驚いたんだが、普通の中華料理屋なんだよな。

そのうえ職安通り沿いと来たもんだ。本気で詰めにいくならそんな店は絶対に使わない。通報リスクがあるし人目につく。そんな店で掛け合いするのは大抵、素人だ。

「これあれだな? 囲んでるのって素人じゃないか?」

純ちゃんも同意見だったが、お前は何の玄人だと言うのか。つい口から出かかったが、士気を削ぐのもなんだしやめておいた。

予想はドンピシャだった。現場に急行したら、一般のお客さんもいる店内で男たちが櫻田を囲んで押し問答をしていやがる。

トラブル慣れしていない様を見て、これはもう大丈夫だと確信した。

「あんちゃんたちさ、悪いけどこいつ一瞬だけ貸してくれないか?」

櫻田の横に座るリーダー風のGUCCIのジャージくんに言ったら、すんなりと身柄を渡してくれた。

むろん、演出は欠かさなかった。

マサキさんは絶妙に和彫りが見える角度で尖った雰囲気を醸し出しているし、純ちゃんに至っては小芝居を始める始末。

「ご苦労さまです、会長ちょっと今手が離せないんで、私のほうから折り返させてもらいます」

どこぞの親分から電話が来た風だが、100%エア電話だろう。

聞けば櫻田を囲んでいた男たちは大学生や会社員からなる即席の連合体で、知恵も回らず暴力的な後ろ盾がいるわけでもなかった。

誰だって面倒事に首を突っ込みたくはない。それは俺達だって同じだけれど、この街で生き抜くには勝てなそうな相手にはさっと引く事も大切なスキルなんだ。

デカい看板がある訳でもないのに誰にでも食ってかかっているようなやつの生存確率は著しく低い。本当に引けない場面以外では見極めも重要になる。

俺たちは四軒隣の地下のカラオケ店Mの個室に移動した。

◆キャバクラに隠された埋蔵金◆

このカラオケの気味が悪い所は、個室の張り紙に「店内での花火は禁止です」って書いてあるところなんだ。

店主の韓国人のおばちゃんだってそれが花火ではないことは知っているはずだけど、まあそう書いてあるわけ。音が鳴っちまったって事をこういう洒落にできるのは、この街の好きなところでもある。

実際こんなところに連れ込まれたら嫌だろう。

見回りが絶対に来ない地下の個室。言葉の通じない店員さん。トイレに逃げたってケータイの電波は圏外と来たもんだ。

さて、櫻田。こいつにはいくら残っているのか。

ポンジ野郎の末期は驚くほど寂しいもので、何億集めていても最後には数万円なんてのは良くある話。ポンジをそれっぽく見せるためには一部には配当を付けたりとゼニの出入りが激しいからな。

櫻田もそうだった。全然現金がない。

「お前よう、なんでそれしかないんだ! 愛梨の金はどこに行ったんだよぉっ!」

純ちゃんは唸り飛ばしてたけど、櫻田は青い顔して下向くだけ。

ただ、こういうヤツって派手に遊んでいた時のお釣りがどこかにあるものでさ。それを見極めるには携帯取り上げてLINEやらSMSやら見るしかないわけよ。

ところが、だ。ネットバンクにログインさせても、仮想通貨持ってないか調べるため色んな取引所にログインしても、まったく資産がない。

メールをチェックすれば督促の嵐だし、金の先物取引に使う証券口座にも50万しか入っていない。

「前に私に見せてくれた口座には何億も入っていたじゃない!」

愛梨はそう言っていたが、櫻田の画像ファイルには残高を偽装した口座のスクショがいくつも入っていたから、どうせそれを見せられたのだろう。写真で口座残高を見せるようなやつは詐欺師と思っていい。最近は偽の銀行サイトを作ってログインするところから見せる手口さえある。

もうこれは厳しいかなと落胆しかけた時に、LINE解析担当のごとく櫻田のスマホをチェックしていた純ちゃんが大声を上げた。

「あ! あった! お前キャバクラに積立してるだろ!」

櫻田がこの街の有名キャバ嬢にバースデー積立金なる名目でゼニをデポジットしている痕跡をLINEで見つけ出したらしい。

「そんなことしてないですよ! キャバ嬢にリップサービスで言っていただけで……」

「いいや、してるね。じゃあなんだよこのLINEは。なあ?」

セルフブランディングのために有名嬢の太客になる事で金回りの信用を付けたかったのだろう。

キャバ嬢を引っかけるためによく名前を使っていたF店のH、それとD店のNに多くの積立をしていた証拠が出てきた。その女どもの誕生日なんか何か月も先なのに大したもんだよな。

文面を見るに櫻田は人様からかき集めたゼニでスケベな事をしまくっていた。これだけ使えば超がつくほどの売れっ子キャバ嬢でも簡単にヤレるものなのか。

LINEを見ていくと金を使った嬢とはたいていセックスをしていた。

「この野郎! Hちゃんもヤッてるじゃねえか、お前!」

指名が被った純ちゃんは嫉妬心からか櫻田をグーでビンタしている。長髪の櫻田の顔は痛みと恐怖で歪み、前髪がぐしゃぐしゃになっていた。俺も数秒だけ櫻田に電気を当てた。

「それやめてくださいっ! 全部正直に話すので……あああっ」

歌舞伎町には武器屋がいくつかある。もちろん防犯グッズ専門店という名目だが、お気に入りのタイタン社のスタンガンを当ててみたんだ。櫻田は素直になった。

さて、本番はこれからだ。櫻田の埋蔵金をサルベージできる可能性はグッと高くなり、俺達のボルテージは上がる一方だった。

「here I come, you can't hide」

出掛けに事務所で流れていたローリン・ヒルの歌声が頭の中で鮮明に蘇った。

飛鳥クリニックは今日も雨~Vol.3

いつだかに債務者から取り上げたデイトナの針は4時23分を指していた。好きな時間を少し過ぎた頃合いだからよく覚えている。

職安通りのドン・キホーテの反対車線を少しガードの方に歩くと辿り着くカラオケMは、俺やここらへんの不良には馴染みの深い仕事場だ。

ガラを抑えた詐欺師が泣こうが喚こうが、あるいは殺気立った俺たちがそいつをぶっ飛ばして大きな音が出ようが、店側は滅多なことでは介入してこない。

お気に入りのキャバ嬢を先に抱かれていた嫉妬心から櫻田に鉄拳制裁をくだした純ちゃん。挨拶代わりに涼しい顔でスタンガンを一発当てた俺。2人のコンビネーションは櫻田の口を開かせるには十分だったようだ。

「なんでもしますから、暴力はやめてください。皆さんにだけは本当に、本当のことをお話しますので勘弁してください……」

もう一息だな。面白くなった俺はバチバチっとスタンガンを鳴らす。火花がしっかり見えるように櫻田の目の前で何度も何度もスイッチを押す。

しかしもう当てない。すれすれでも当てないんだ。

こいつは当てすぎても慣れてしまう。痛いけど死ぬ事はないーーこんな風に開き直られても困るからな。

「それだけは本当にやめてください、ね、話しますから。気絶しちゃいますよ。そうしたら話せないでしょ? スタンガン、しまってくださいよ……」

懇願する櫻田はすっかりおしゃべりマシーンと化した。この程度のカマシで済むなら安いもんだ。

もういいだろうと思った俺は純ちゃんとマサキさんに目配せした。

「愛梨と周りの分だけでも何とか金策してみろよ。そうしたらもうお前の事は触らねえから。キャバクラにデポジットしている金、あるだろ? まずはあれだ。今から引き上げに行くぞ。手間かけやがってムカつくなぁ、お前」

吐き捨てるように純ちゃんは言ったが、付き合いの長い俺は目の奥に隠した歓喜を見逃さない。

一度おしゃべりマシーンにしてしまえば、今ある分を回収するのはそう難しい事ではない。

俺たちにLINEやSMSをすべて見られてしまえば嘘をつき通す事もできないし、やけっぱちになって何でも教えてくれる公算が高い。

「積立はもうないんです」

最初こそすっとぼけていた櫻田も店からそれを回収するのに協力的になり、各方面に電話をかけ始めた。

判明したのは、F店に1000万とD店に600万のデポジットだった。現金を隠す意味で散らしていたのかと勘繰ったが、単純に流れで預けたのだという。もう自転車操業の額が大きくなりすぎて、櫻田は何の気なしにデポジットしていたらしい。

幸い店の責任者は2店舗とも純ちゃんもよく知る人物だった。

櫻田本人が来店したら返金するとの事だったので、四人体制で櫻田を囲みながら車で集金に回った。

朝方にも関わらず1600万円もの大金をサルベージできたのは運がよかったし、純ちゃんの顔もあった。

普段はキャバクラで散財する浪費家の相棒を疎ましく見ていたが、飲み散らかすのが役に立つこともあるってのがこの街の不思議なところでもある。

「ちょっと入用になったから、一瞬戻させてもらうね。倍返しにするから安心して」

「バカラで負けこんじゃってさー。一瞬お店のお金使わせてもらうね。大丈夫、勝っても負けてもHちゃんのバースデーはちゃんとするからね?」

一旦預けた金を引き上げるわけだから、キャバ嬢にはLINEでこう説明しておいた。文面を打ったのは櫻田本人ではなく、もちろん俺。

てめえの金を他所には逃がすまいと勘繰る女達にはハートの絵文字でも送っておけばいいという安直な考えで櫻田っぽいテキストを送っておいた。

◆詐欺師から回収する唯一の方法◆

「なあ、お前あそこの〇〇ちゃんはまさかヤッてねえだろうな?」

「あそこの〇〇ちゃんはどうなんだよてめえ」

櫻田がどこの誰をこましたか純ちゃんは気が気でない様子。車が信号で止まるその度にしつこく奴を問い詰めている。

愛梨が事務所に飛び込んできてから3時間が経った頃合いか。この時点で愛梨が投げた以上の金の回収に成功した俺たちではあったが、話はそう簡単ではなかった。

問題は愛梨の“枝”だ。欲に目がくらんだこの女は周りにも櫻田を紹介し、何人も送客していた。

「私の紹介した人の分も返してもらわないと、責任が私に来ちゃう。純さん、どうしよう……」

途方に暮れてみせる愛梨。だがこの女も結構曲者なわけよ。

気になる点がいくつもあったから、俺は遠慮なく突っ込んだ。

「櫻田とのやり取りを見てると、お姉ちゃんもこいつから紹介料をもらってみたり、傍から見たらグルみてえなもんだよな。その理屈わかる?」

「それは……私は櫻田さんを信じていたから……良い話だと思って友達に教えただけで」

「本当か? 薄々は自転車操業だって気付いていたんじゃないか? 先週も新規のカモを紹介しているようだけど、なんでだよ?」

「新しい投資家を紹介すれば私の分はすぐに返せるって言われて。それで仕方なく……」

押し問答をしていると愛梨はしくしくと泣き始めた。狙って涙を見せているようにも見えたが女は得だよな。

妙に色気がある表情をするもんだから、こっちが悪いことをしているような気にもなってくる。

俺からすれば当たり前の事を言っていただけなのに、男ってのは損な性分だよな。一方でこの状況に妙な恍惚感を感じてしまっている自分もいるから厄介だ。

「愛梨ちゃん、泣くなって。悪いのは櫻田なんだからさ。ほらリーくんもあんまいじめるなよ」

下心の塊と化した純ちゃんは声を震わす愛梨の背中をさすってやがる。

さて、マサキさんの計算によると、依頼が受けられた分だけで残金は8200万。これは普通に考えたらもう取り戻すのはなかなか難しいという金額。

こうなってくると、新たに仕事させるしかなくなるんだよ。鵜飼いの鵜みたいに首に縄をつけて、再度金集めをさせるしかないんだ。

悪意のジョーカーをテーブル向かいの見ず知らずの誰かにそっと引かせたら、その場を静かに立ち去る。そして自分はもう厄ネタに触らないように同じカードでは二度とトランプ遊びはしない。

それがこの街のそこら中で行われている詐欺師のババ抜きだ。

「なあ櫻田、実際お前まだ金引っ張れるところあるのか? 大口の債権者のリスト、これに書いてみろよ」

テーブルに置いてあったチラシを裏返して、俺は櫻田に返済見込みを考えさせることにした。

投げつけたボールペンがワンバウンドしてテーブルの下に転がる。それを拾う櫻田のケツを純ちゃんが思い切り蹴り飛ばした。


飛鳥クリニックは今日も雨~Vol.4

「実は金策できる心当たりがいくつかいます。こんな時間ですが、連絡してみましょうか?」

キャバクラに預けていたデポジットを回収した俺達がなおも残金8200万円を吐き出させるべく圧をかけると、櫻田はこう言った。

これ、追い詰められた詐欺師が土壇場で口にする台詞ナンバーワンなんだよな。

こういって電話をさせたが最後、ケツモチの不良に連絡されるのはよくある話。

あるいは別の債権者に連絡して現場にこさせ、俺たちにぶつけるパターンだって考えられる。この状況下で誰に連絡させるかはシビアに見極めなければならない。

「長いお客さんでトータルプラスの人もいます。しっかり引っ張って愛梨さんの周りだけでも今日中に返済するので、僕に電話させてください」

櫻田はメモ用紙に自分がカモにしてる太客の名前を書いて寄越した。嘘だろ。それを見た俺たちの率直な感想だった。

「リーくん、これってあの人だよなあ?」

「櫻田、この人って地元〇〇の人じゃないか?」

マサキさんも純ちゃんもこれはさすがに気づいたか。

櫻田が汚い字で書いて寄越したリストにはいわくつきの名前が並んでいた。まるで俺たちを試すかのように。

某広域組織のびっくりするくらいの親分から8000万。某中国系組織からも3000万を引っ張り倒していた。他にも同和団体幹部からも1000万引っ張ってるじゃないか。

「お前何考えてるんだ? 詐欺師ってのは踏み倒せる弱い相手探して金引っ張ってなんぼだろうが。なんだよこれ」

これは非常に寒い。

このままこいつの身柄なんか握っていたら大きなトラブルにもなりそうだし、あるだけ回収して放り出しちまった方がいいな。

純ちゃんなんかはさっきまで優しくしていた愛梨に「もう満額は諦めろ、愛梨ちゃんも泣くとこは泣こう」なんて撤収モードで説得をしている。

どこまで行っても路地裏のドブネズミが群れを成しているだけの俺達が大きな組織とぶつけった時に勝てる可能性は限りなく少ない。

甘い汁をすするだけでなく、幾度となく苦い思いも味わってきた俺達はよくわかっている。

◆悪徳弁護士がLINEに残した残高証明◆

夜はすっかり明け、時計の針は9時を指していた。

「どうするリーくん? 引っ張れる自信はあるみたいだけど……」

「けど不良の金ってわかってポケットにしまいこんでも後から寒いだろう。脂っこそうなのはやめて知らない名前の方から当たるか?」

「これとかどう? 俺聞いたことあるよ、これマルチ商法のやつだろ、なあ櫻田?」

純ちゃんが目をつけたのはライフという名のマルチ商法グループだった。

そこのボス格である松川兄弟ってのがいて、櫻田は2000万預かっているがすでに4000万も払い戻しているらしい。

これは明らかに何かあるな。櫻田の襟を掴んだ俺は畳み掛けた。

「お前そこら中飛ばしてるくせに、どうしてこいつだけ儲けさせるんだよ? 偉い親分の銭だって遅延しているのに、よくマルチ屋にはしっかり金回すよな」

すると櫻田は困ったような顔でぼそぼそと呟いた。

「だってその人怖いんです。静岡でも有名な半グレみたいで家にもすぐ来るんです……」

このくだりを聞いて純ちゃんが色めきたった。松川の地元に詳しそうな仲間に次々と連絡しては、その力量を測る材料を必死に集めている。

結論。松川なんて誰も知らない。

粋がってるだけのマルチ野郎なら話は早いかもしれない。

「こいつさあ、もう元本2倍くらいになってるんだろ? それ寄越せって言った方が早くない? なんか材料ねえのかよ」

純ちゃんが櫻田を問い詰めている間に、俺は再度LINEのやり取りを見直していた。するとひとつの穴を見つけた。

「これなんだ? お前ら弁護士巻き込んで金集めのエビデンス偽造してたのか?」

松川は自己資金を入れていたわけではなく、人を櫻田に繋いでその金をピンハネするような事をしていた。

借用書を巻くのは櫻田、繋いだ自分は金が出た瞬間に手数料を取って後でトラブっても知らん顔という寸法だ。

櫻田は紹介された客をクロージングしやすいように銀行の残高証明書や証券口座の取引履歴なんかを偽造していたんだけど、その指示をしていたのも松川だった。要するにポンジの共犯みたいなもん。

驚いたのは、そのやり取りをしているグループLINEに元弁護士までいたって事。

こいつどんな弁護士だったんだろうと検索してみると、ヤクザのお抱えみたいな弁護士だった。

それも、700万の着服で業務停止を2か月を食らった後に今度は1億5000万の着服がめくれて除名になっている筋金入りの泥棒だ。一年中ケツに火がついてそうな野郎の動きだなと思って思わず笑っちまったよ。

騒ぎになったら相当まずい。松川だってそれくらいは認識しているはずだ。

急所を見つけた俺はすぐさま櫻田に電話をかけさせた。挨拶もそこそこに、櫻田から電話を取り上げる。

「松川さん? 櫻田被害者の会代表のもんだけどよ。このガキの身柄取っておたくとのやり取り全部見たんだわ。お前、随分なことしてくれるじゃねえか」

面食らった様子が電話越しでもわかる。

そこからは俺と純ちゃんで電話を回しながら唸り続けた。

櫻田にとっては怖い半グレに映った松川だが、そこまで弁が立つわけでもなく、何より不法行為の証拠を握られているかもしれないという恐怖から防戦一方。純ちゃんなんか数分の間に「殺すぞ」って二十回くらいは吠えてたんじゃないかな。

結果、すんなり取れたんだよこれが。

元本を抜いた分の2000万をすぐ振り込んだから金輪際連絡はしないってところで落ち着いた。向こうからすれば絶対に警察沙汰が嫌だったのだろう。

振り込みが済んだという一報を受けるまで、俺達はなんだかんだ昼過ぎまで例のカラオケ屋にいた。

櫻田を厳重ガードしながら銀行窓口で金を下ろさせてようやく撤収となったんだ。

「今日はある程度形作ったから帰るけどよ、てめえ全部返すまでつきまとうからな」

そんな捨て台詞を吐いて長い夜は終わった。

櫻田とはまたすぐに会う事になるのだが、ヤマとヤマっていうのは別々のタイミングで来てくれないんだよな。

この俺が相対性理論でもないが、時間の相対性は時に不思議な現象を生み出す。

この街の住人が生き急げば生き急ぐほど、俺たちを取り巻くトラブルの質量は大きくなっていく。

矢継ぎ早に起こる様々なそれは、櫻田との再会を前にしてすぐに俺たちの前に現れた。あいつがこの街に帰ってきたんだ。

続きは週刊SPA!の連載で

現在vol.36が発売中(4/17現在)

vol.5~36を読むには、amazonでSPA!を買うかキンドル、dマガジンってサービスで読むという手もある。

いい加減な性格の俺だから締め切りにいつも悩まされながら書いている。

SNSなどで #飛鳥クリニックは今日も雨 のハッシュタグで感想を呟いてもらえるとモチベーションになるからよろしく頼むぜ。

わかる人にはわかる実話ベースの話だから、この〇〇ってもしかしたら〇〇のことかな?などと想像してもらえると楽しめるかもしれない。


俺にゼニなんか投げるならコンビニの募金箱に突っ込んでおけ。 ただしnoteのフォローとスキ連打くらいはしておくように。