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note開始へ、背中を押してくれたコトバ2つ

発信は恥ずかしい?

note読者の中には「noteを始めようかどうか迷っている」という方も多いのではないでしょうか。かつての私がそうでした。

私は文章を書く仕事をしています。しかしnoteを始める前は無記名で書くお仕事の経験しかありませんでした。

noteを開設し、名前を出してものを書く。多くのnoteクリエイターの方々が日々当たり前のようにしていることですが、私にとっては結構な冒険でした。

理由はシンプルです。恥ずかしいからです。

でもやるんだよ!(※)という気持ちにさせてくれたコトバを2つ、紹介します。

※スチャダラパー ノーベルやんちゃDE賞のトーンで

発信を「自分のためのメモ」だと考える

1つ目は、徳力基彦さんの著書『「普通の人」のためのSNSの教科書』から、こちらの言葉です。

発信のハードルを上げないためのマインドセットがあります。
それは、発信を「自分のためのメモ」だと考えることです。

徳力基彦著『「普通の人」のためのSNSの教科書』より

この考え方なら自分にもできそうだと思いました。「自分のためのメモ」なら恥ずかしいも何もありません。なんせ「自分のため」なんですから。「メモ」なんですから。

・ネットに上げれば後で検索できる
・自分のメモが人の役に立つかもしれない

といったメリットも書いてあり、なるほど、確かにそうだよなーと。

『「普通の人」のためのSNSの教科書』というタイトル通り、普通の人の私がnoteを始める上での教科書となりました。

創作は「羞恥心早捨て競技自由形」

2つ目はこちらの言葉です。

そもそも創作というのは「性癖カードバトル」「照れた奴から死ぬ戦場」「羞恥心早捨て競技自由形」と呼ばれています。

pixivision「カレー沢薫の創作相談」より

自分の作品を人に見せることが恥ずかしい、という相談にカレー沢薫先生が答えた記事からの引用です。

恥ずかしいのは当たり前で、だからといって「照れ」を出していてはダメという話です。

「いい作品を描いたから自信がつくのではなく、描いた人間が自信満々だから作品も良く見えるという現象もあるのです。」という言葉もありました。

この記事は創作に携わる全ての人に刺さるはずです。全文がパンチラインで構成されています。

〈まとめ〉
まさに「自分のためのメモ」を発信しました。この2つのコトバをこれからも忘れないようにしたいです。

最後まで読んでくれたあなたにも役立つといいなと思います。

やんちゃー 使命か本能か