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タモリの平成最後の日の発言抜粋、に思う。


【抜粋】
さまざまな著名人や一般の人たちがこの日、平成はどんな時代だったか、令和はどんな時代であってほしいかといったことを、テレビカメラの前で語っていた。そんななか、このタモリの言葉は異色だった。というか、そもそも問いに答えていない。まるで、人為的に引かれた時代の境界線など、人類どころか生物もまだいなかった地球の46億年の歴史から見れば、あまり重要ではないとでもいうように。
【抜粋終わり】

この方の、視野の広さと思考の深さには感嘆するほかない。
それ以外の、言葉を見つけるのが僕には難しい。

しかし、発言そのものは「本当に当たり前の事」ばかり述べているのだから、我々の人間様的な常識というものを半分くらい捨ててしまい、新しい「本当に当たり前の事」を、よくよく自らも思案しないとならないな、と思ったりする。

最近、話題のテレビドラマで「回収しなければならないのですか?」という趣意の、ストーリーが流れていた。
回収なんてものは、「クイズ形式の受験勉強みたいなもの」なので、なぜ娯楽やその枠組みから離れて楽しんだりするテレビドラマで「元ネタをすべて回収するゲーム」をやりたがるのか?

残念ながら、僕には全く理解ができない。
「わからないままにしてこそ、様々な想像力が働くのが当たり前」だと思っていたからね。
色々と長くなりそうだから、もう一つだけ云えば「令和の歌謡曲???」※歌謡曲とは呼べるのか?わからないが・・・

日本の楽曲が「メッセージ・詩的・言語優先」なのは、洋楽と異なるところだけれど、今までここまで「ストレート言語言い切り一本の歌詞が流行っている時代」も珍しいのではないか?
そこには、本来「何か」があった方が「芸術的にも、人間的にも良い余白」が生まれて本当の「豊かさ」を体験・体感する機会があったのではないだろうか?

その分野においては、もはや元ネタを回収するレベルではなく、もう「言論人」が「論文でも書いているか?」のような、ストレートに言い切る奇妙さが当たり前になっているので、それは既に「エンタメ」でもなければ「楽曲」なのか?「絶叫」に他ならないように感じている。

ため込み過ぎなんじゃないか?今の時代って。

タモリくらい余裕を持ちたいものだ。

#文春オンライン

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