街は人いきれの雨で(1) ~プロローグ~

MANNEQUIN
作詞・作曲 宮沢一

電子の文字が意味を持ち出す
止まった時も流れ始める
君の言葉は溢れやすくて
少し遅れて心が痛む

スモッグ越しに空を見上げた
陰る私に星が煌めく
今宵の月は少し緑で
道行く人も青い溜め息

デジタル仕掛けの時計を見つめる
私の外で世界は流れる
今日の時間は少し早くて
眩く街が私を置いてく

君が形すらない mannequin に恋をしていても
君の中に流れてる血が
この温もりを求めているの

胡乱な星は水を欲しがる
雨の音色がノイズに混ざる
今の私は朧にかすむ
映る景色も黄色に滲む

緑の雲が街に降り出す
助けを呼んでも誰も来やしない
君のパルスを見つけられずに
彷徨う先は空も見えない

君が形すらない mannequin に恋をしていても
君の中で流れてる血は
この温もりを求め続ける

君が形すらない mannequin と旅に出る日が来ても
君の中に流れてる血が
きっと私を求める日が来る

君が形すらない mannequin に恋をしていても…

もう何度目になるだろうか。自分が作ったその曲を、今日も一人で聴いていた。自分で言うのも何だが、中々に良い曲だと思う。人ではないものを愛する世界に行ってしまった人に、人を愛する気持ちを思い出させるという中々ない切り口、そしてそれをVOCALOIDという人ではないものに歌わせるという矛盾をはらんだコンセプトも実に面白い。
と、思っているのだが、いつまで経っても「投稿」のボタンを押せずにいた。最初にこの画面を見てから、もう何ヶ月になるだろう。まだリズム隊の音の作り込みが甘いのではないか。やはりBメロはあった方が良いのではないか。今の時代に音だけの動画が注目されるとは思えない、誰かにPVを作ってもらった方が良いのではないか。自分の目指す完璧さにはほど遠い出来栄えのものを、人に見せる勇気がなかった。いや、いつまで待っても完璧な物など作れるわけがないのだ。ただ、表に出さない理由を探しているだけなのだ。そうやってチャレンジの機会を自ら放棄して、また一つ二つと年を取ってきた。それが今まで26年間の積み重ねだった。


別に何も出来ない訳ではなかったのである。小学校の頃に書いた絵は県展に選ばれてデパートに飾られたことがある。中学生の頃に書いた作文はその年の学校で配られる校内誌に掲載されたこともある。
小さな頃は大人が背中を押してくれた。放課後まで残って図画工作の授業の絵を描いている時も、締切から一週間以上過ぎた作文を誰も居ない教室で書いていたときも、親や先生が「もういいから」と言ってくれた。それが完成の合図になった。


自分自身が大人になったとき、誰も背中を押してくれなんかしないことに気が付いた。漠然と自分は芸術で食べていくんだろうと思っていた。きっと今は大人の合図が居るが、大きくなれば自分で何かを作り出せるようになり、時に傷つきながらも世に何かを残す人になるんだろうと。だが、26年生きてきて、傷は一つも負わなかったが、そこ代わりに何一つ世界に対して干渉も出来ていない自分がそこには居た。朝になるとまた街に出掛ける。街にはこんなにも沢山の人が居るのに、「もういいよ」と言ってくれる人は一人もいない。自分が作っている音楽を気に掛けてくれる人も一人も居ない。大きな街二出れば何かが動き出すと思っていた。だが実際は、あまりの人の数や転がるチャンスの数に圧倒され、より縮こまるだけだった。もっといい人がいるんじゃないか、ここで必死になる必要はないんじゃないか。何も守る物がない人なんて居ない。誰だって心を持っている。それが傷つくのはとても嫌なことだ。そうやって、また目の前でどう見ても自分より才能がないストリートミュージシャンがスカウトされたり、どっかで聞いたことのあるような平凡な曲が巨大なビジョンでタイアップされているのを見ていた。街には自分と同じ道を目指している人が沢山居るのに、そして自分はこんなにも才能に溢れているのに誰も気付いてくれない、誰も分かってくれない。そこには、人いきれの洪水に溺れているのに、それら全てが自分を通り抜けていくような不思議さがあった。


窓の外が赤らんできた。また一日が始まる。