見出し画像

2023年は「動物園」でした。

今年は、3月くらいからレッサーパンダにどはまりしてしまいまして、ついには動物園のため遠征するほどになってしまいました。
地元安佐動物公園にもレッサーパンダがいるので、とりあえず年間パスを買い、足繁く通っております。
(現在、レッサーパンダのいる「西園」がクマ親子出没のため閉鎖。それ以外は開園中)

暖冬のクマ騒動から安佐動物公園のパンダたちに会えないから、神戸の動物園に行ってきました。
しかも、2つの動物園、神戸どうぶつ王国と王子動物園をハシゴ。
レッサーパンダを主にいろんな動物を拝見してまいりました。
今年になってこれまで数える程しか行ったことのない動物園にこれまでからすると10年分くらいかよったのです。

私の性質上、物事に傾倒すると深堀していく癖があります。
仕事にしてもサッカーにしても写真にしても、とにかく深く考えてしまいます。
そして「動物園」についても深く考えることになっています。

これまで動物園というのは私たち人間がつかの間野生動物、犬や猫のようにペットとして飼えないような動物を目の前で、しかも安全に見ることができる場所、という位置付けでした。
なので、10年に1回行けば充分だったんです。
しかし、通ってみたり、SNSで流れてくる動物達の生き様は、そんなそんな10年に1回行けば充分どころか毎週通ったって足りやしないくらい、日々、こ刻々と刻まれる命の時間をその場所に留めているという事を知ったのです。

ある意味「かわいそう」という人もいるでしょう。
自分がその立場だったらどう思うだろう?
野生動物として生息地で当たり前に生きるのが幸せだったのか、人間と生きることが幸せだったのか、それはわからないのです。
もしかするとそれは人間のせいでもあるし、地球環境の変化にもよるし、環境が悪くなりすぎると生きていくこともできず、淘汰されてしまう事が起きるのを人間が救いあげた、とも言えますが、いろいろな葛藤の中、現実、動物園で数少ない個体を育てているということに私としては反論できないと思っています。

そして、ペットと同じく、老いて天寿を全うするもの、野生がゆえに、命を落としてしまうものもあり、その命と日々向き合う人々がいて、命のサイクルが長いあいだ続けられている、という事実に私としては珍しく感動しているのです。

レッサーパンダから始まった事なのですが、この子達もあと数年のうちに老いてしまうのだろうなと。
このところ2000年代前半に生まれた子達が寿命を迎えてなくなっています。
それは、手厚く看取られていますし、老パンダが健やかに飼育されている報告も目にします。
人間よりも病気になるのがわかりにくく、一度体調を崩すと先があまり長くない小さな生き物たちから、この年になって初めて、命とは、ということを突きつけられ考えさせられています。

ただ、かわいいというところから始まったレッサーパンダへの入れ込みですが、私にとって新しい感情を芽生えさせてくれているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?