文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 5

前項●教務との一度目の面談(2/19~2/21))


●教務との二度目の面談(2/22)

2月22日(金)10時、定刻通りに指定された場所に行くと、そこにはJ教務と、論系の専任教員であるJK氏が並んで座っていました。

JK氏は、19日の教室会議の決定事項について伝えるために来た、と紹介されると、昨晩すでに送られてきたメールと同じ文面を、わたしの目の前で読み上げました。

「①2月8日の論系教室会議において、「文芸・ジャーナリズム論系演習(編集実践2)」の授業に関連して学生が北原先生からハラスメントを受けたと主張している件と、北原先生が論系からハラスメントを受けたと主張している件については、(北原先生自身の主張を受け入れた形で)第三者であるハラスメント防止室に託すことにした。

その決定にもかかわらず、2月14日、北原先生が学生B【原文ではイニシャル】をはじめとする学生たちに直接会って記事の取り下げを訴えるという、先の論系教室会議(2月8日)の決定を無視する行為に出たことが確認された。これについて、論系としては看過できない事態と判断した。

③この行為により、学生たちは(2月8日の決定後に起きたこととして)ハラスメントを受けたと感じている。以前、北原先生から「ハラスメント加害者とされていて自分が授業から外されないのはおかしい」と主張されていたことがあることからも、論系としては、北原先生と学生たち双方が顔を合わせないように配慮することが望ましい状況だと判断し、北原先生と学生たち双方のためを考え、今後、北原先生には「S」作成の担当から離れていただくこととする。」
(太字引用者)

前夜に先行して伝えられたこのメールには、たくさんの、そして大きな疑念がありました。先に言ってしまえば、
「ほんとうに論系はこのような決定をしたのか」に尽きます。

まず①について、
H主任が2月10日にわたしに送ってきた「教室会議の決定事項」は、要約すれば
・X氏の原稿は完成された「作品」であり、文言の修正等はできないと「確認」した
・学生との事案、論系との事案については、当事者に事案化の希望があった場合、論系では何も対応ができない。防止室に行ってほしい

です。

繰り返しになりますが、「学生Aのハラスメントの主張」は、わたしが主張していたことでした。いっぽう論系は、学生Aの主張の掲載されたX氏原稿を「作品である」と判断しました。

しかし19日教室会議においては、8日会議の決定事項が、「北原と学生Aとのハラスメント事案を防止室に託すことにした」と、「論系がみずから事案として認識した」ことに変化しているのです。
そしてその変化のもと、8日教室会議の「決定を無視する行為に出たことが確認された」とのことですが、わたしが受け取った報告はあのメールです。わたしは14日の学生との話において、論系の決定として伝えられたことの、いったい何を無視したのでしょうか。
(言い方を変えれば、8日の論系の決定に、いったい何を「見る」ことができるのでしょうか?)

そして14日の件自体についても、「記事の取り下げを訴えるという行為に出たことが確認された」という記述は、全く事実ではありません

第一に、当事者として、そのような事実はいっさいありません。「学生たちによって取り下げてほしい」と言ったことは、絶対にありません。

一般論として、X氏の原稿のように、事実確認がなされないまま誹謗中傷を含む原稿がそのまま掲載されるべきではないという自分の考えは伝えましたが、取り下げを訴えるものではありません。
そのような、事実確認を行わないまま掲載を即決した論系の判断が不当であると批判したのです。

そして、「行為があったことが確認された」という記述にも、強く疑問を抱いています。
なぜなら、当事者として、行為の確認のための聞き取りが行われていないからです。
もし論系あるいは学術院教務が、学生B本人に確認をしたうえで、強い確証のもと判断したのだとして、なぜ14日の席に同席した当事者全員ではなく、ひとりの聞き取りのみをもって「行為があったことが確認された」と断言できるのでしょうか。※

※後述しますが、論系が当事者確認を経ないで決定したこの判断「北原が…行為に出たことを確認した」は、その後確定事項として扱われます。


ほんとうに論系はこのような決定をしたのか。

X氏の原稿を「「作品」として完成されている」と言った会議体ですから、率直に言ってその判断に期待はしていませんでしたが、8日の教室会議においては、学生Aのハラスメントの主張に対し「論系では対応ができない」と言った論系が、19日の会議では、先の主張の事案化どころか、あらたな主張の事実認定まで行っている。

つまり、19日会議の決定として伝えられたメールは、
①8日会議の決定事項においても、②14日事案の事実認定においても、矛盾をはらんだものでした。

この矛盾に、非常に混乱を感じたわたしは、
1)8日の会議の決定事項としてここに記載されている内容(①)が、わたしの受け取っているメールとは異なる。それに基づいて14日のことを「決定を無視した行為」と言われても、当然納得がいかない。
2)本当に論系は8日、19日にこのような判断をしたのか。とても信じられない。教務のもとに届いた報告を正確に共有してほしい。

と繰り返し述べました。

1)について、JK氏とJ教務の主張はこのようなものでした。

・「8日の会議で「防止室に託す」と教室会議で決まった。その連絡があったら、「もうハラスメント事案だな」と思うべきで、その場合、相手側とは接触しないというのが普通のあり方。にもかかわらず14日に学生に接触したのが間違っている。(JK氏)
・北原先生から、学生がハラスメントをさらに受けるということにならないように配慮するのは当然ですよね。「ここからこの線を越えたらハラスメントになる」という意識はなかったのですか?(J教務)

いま一度確認すれば、8日時点でわたしが事案として扱ってほしいと訴えたのは、学生Aとの関係です。そして14日に接触したのは、学生Bです。
もちろん企画「B」に学生A・Bを含めた履修生3名が関わっていることを知っています。
しかし、X氏への依頼を立案し、インタビュー内容について熟考し、署名付きの依頼状を書き、(その過程でX氏の全作品を読み、)そしてX氏の原稿内で、「自分をハラスメントの被害者だと感じている」とX氏に伝え、わたしとH主任にゲラを送ってきたのは、学生Aです。
学生Aも学生Bも、企画「B」だけでなく、履修生全員が参加する特集企画に携わっています。とくに学生Bは、他の記事の代表でもありました。諸連絡のほか、制作指導の過程で、学生B本人から、自分の作った記事に関する確認や相談もありました。
そのような状況で、学生Aとの接触に配慮するのと同じように、学生Bとの連絡に対し、(企画「B」に関与しない)ほかの学生を仲介する、あるいは(学生Aとトラブルを持たない)デザイン担当のO氏に代行してもらうべきだったのでしょうか。

わたしが14日に話したことは、各班の代表に先んじて知っておいてほしいと考えていたことでした。そこに学生Bがいたのは、学生Bが仕事を積極的に行い多くの履修生の信頼を受けた代表であり、そこにいる権利があったからです。
学生Bが持つ、企画「B」の構成員であるという属性に「配慮」し、わたしが一方的に「接触しない」「教えるべきことを教えない」措置を取ることは、学生Bが正当に持つ権利を奪う、ある種差別的な、また別のハラスメントではないのでしょうか。

そして、8日(10日)には作業の継続や関与についてなんの判断も指示もせず、結果的に学生から新たなハラスメントの訴えが生じたあとで、遡行して論系自らの決定をつくりなおし「接触を控えるのが普通」だという理由で非常勤の自主判断に委ねたうえでその行動を「論系の判断を無視した行為」と断ずるのは、専任教員たちで構成される論系として適切な判断、行為なのでしょうか。

1)に対するJK氏、J教務の言い分は、わたしには依然納得がいかないものでした。

2)(本当に論系は8日、19日にこのような判断をしたのか。教務のもとに届いた報告を正確に共有してほしい)について、
J教務は二度ほど、わたしがH主任から受け取ったメールの内容について、「自分が受け取っている報告とは大きく異なる」と言いましたが、ではJ教務がH主任らからどのような報告を受けたのか、開示してはくれませんでした。
同席したJK氏とふたりで、「決定はこれですべてです」と言ったかと思えば、「議論はこれだけではありません」「すべてを語ることはできない」など、聞くたびに返答を変えていきました。
こちらも平行線で、わたしが知りたい、「本当に論系がこのような決定をしたのか」という問いに、納得のいく回答は得られませんでした。

ひととおり問答が収まるとJ教務は、「大事なところなのでご理解いただきたいのですが、」と前置きしてから、このような見解を述べました。

・14日の件に対し、いまハラスメントの認定を行い「いけません」と言っている訳ではない。しかし、そのように主張している学生がいる。それを無視はできない。「S」を離れることは、北原先生自身が希望していたことでもある。お互いのために一番いい方法である。

1)についてのJK氏、J教務の主張は何だったのか……という疑問はありましたが、もちろん、これが論系、学術院教務の決定事項である以上、わたしに従う以外の選択肢はありませんでした。

その後、前回の面談で聞かれた補償に関する件で、H主任の指示による引き延ばしの事実について、J教務は

・北原先生はH主任による引き延ばしがあったと主張していたが、その事実と、学生たちが妨害を感じた時期が異なる。H主任の責任ではないのではないか。

という見解を述べました。

これも理解しがたいものでした。

当然のことながら、3回分の引き延ばしは、後の授業進行のすべてに影響してきていました。H主任の指示した引き延ばしの時期と、学生たちが妨害を感じた時期に違いがあったとして、それが関係ないことだというのはどういう根拠によるものなのでしょうか。

すべてにおいて納得をいく説明を受けられないまま、「こちらの決定を受け入れてもらうしかない」というJ教務の宣告によって、面談は終わりました。

面談室を出るとよい天気でしたが、とにかく疲弊したのを記憶しています。

この面談において些末ですが印象的なことを記述しておくと、「H主任の代理で来た」というJK氏は面談のなかで、わたしの発した「論系からのハラスメント」というフレーズを「北原先生の論系へのクレーム、不平」と言い換えました。そして、わたしが論系からのハラスメントに対しほんとうに防止室へ相談に行ったのか、具体的な日付などを問うてきました。
それらの言動は、会議の決定事項の通達が目的であったはずのこの場において、必然性があるとは思えませんでした。そして、自分が苦痛を受けている論系の専任教員によって、訴えが軽んじられ、不必要な詮索をされた、とてもつらい体験でした。
論系会議に関する話が終わりJK氏が先に退室したあと、急激に体温が下がり、よく暖房の効いたあたたかい部屋のなかで、J教務から許可をいただき、コートを着直したことを覚えています。

ともあれ、12時頃に終了したこの面談をもって、わたしは正式に「S」の担当を外れました。以降の作業は論系が引き取るということでした。


次項●「S」離脱後の不可解な出来事(2/22〜現在))


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