文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 3

前項●原稿到着とその諸対応について(2/8~2/10))


●ハラスメント防止室と学生への説明(2/12~2/15)

前項で書いたように、わたしは①学生Aと ②論系およびH主任との紛争解決を求めて、早稲田大学ハラスメント防止室(以下防止室)に行きました。

その場での相談員のかたたちとの話とHPを参照し、防止室での紛争解決のプロセスをまとめれば、下記のようになります。

①防止室の初回面談では問題についての相談を行う。相談者の「気持ちが落ち着いたり、納得できたら」それで終了することもある。
②相手に謝罪等の具体的な対応を要求したい場合、「申立内容」と「要望」を記載した苦情申立書を提出する。
③申立書は、防止委員会での審議を経て、受理された場合のみ、小委員会が組織され、委員会から任命された調整委員による、双方への面談、事実確認、調整などが行われる。
④この段階で、調査に関する守秘義務が関係各位に課せられる。(もちろん、それ以前であっても、防止室側は相談内容について外部に漏らさない)


わたしは防止室の相談員に、

・ここまでの授業の経緯

・この原稿が出た場合の不当な社会的評価の低下への懸念

・しかし問題の本質はX氏原稿ではなく、学生との認識の深刻な齟齬であり、それを解消しない限り、本質的な解決には至らないという考え

・論系の判断への疑問と不信

・これまでの学生指導などでの言動を含むH主任への不信

・非常勤講師としての、質量ともに大幅な過重労働

・校了までの時間のなさ

など、ここまでで問題と感じられることをすべて伝えました。
登場人物も多く、話は長時間に及びましたが、4回の面談で会った3名の相談員のかたがたは、こちらの訴えを真摯に受け止めてくださったと感じています。

同時に、実際に防止室に行くことで知った性質として、
・苦情申立書が受理され、小委員会が発足したとして、対応のスタートまでに通常は数週間を要すること

・委員会発足後の調査や聴き取りについても、あくまで任意であり、当事者または関係者が応じない場合があること

・防止室が相談者の代理として、当事者に働きかけたり、意向を代弁することはできないこと

・相談窓口である以上、大学の各所内への働きかけにおいて、強い効力を持たないこと※

などがありました。

※これに関連し、防止室の学内の立ち位置について、把握がしやすいガイドライン第6項を引用します。
「ハラスメントに関する紛争は、大学における継続的人間関係および信頼関係の維持を考慮し、当事者の合意を得て、カウンセリング、調停等、人間関係の調整によって解決することが望ましいといえます。したがって、紛争解決にあたっては、調整手続を原則とします。(…) 他方、調整手続にもかかわらず当事者の同意が得られず、調整が不調に終った場合、またはハラスメントが重大な場合で、かつハラスメント防止委員会が懲戒処分等の必要性を認めた場合には、教員、職員、学生・生徒等の処分等を勧告するために、関係機関に調査報告書を提出することができます。」
http://www.waseda.jp/stop/hpc/guideline.html#sent6

ケースを具体的に想定すれば納得できる話ですが、
①前提として防止室は被害申立人の要望(どうしたいか)を最優先にした問題解決を基本としている。
②当然、被害申立人の多くは、安心して研究・教育に携われる環境が整うことを希望する場合が多い。
③そうした研究・教育環境には必然的に人間関係が発生し、また研究・教育成果のためにも関係者相互の信頼関係が維持されることが望ましい。
④そのため、双方が納得できる関係調整や、十分な精神的ケアが重視されている。
ということだと理解しています。

そして、この性質による今件最大の困難として、
・加害者とされる側からの苦情申立書の申請は前例がないこと

がありました。

ハラスメント防止室では、苦情申立書は被害当事者からの申請を前提としており、加害当事者(とされる側)からの申立書の提出および受理、その後の調査や聞き取りを経た紛争解決(調停)は、「前例がない」ということでした。
あくまで「不可能」とは言われませんでしたが、今回の校了までの期間の短さを思えば、意味していることは明白でした。

それでも防止室(防止委員会)経由で調停を望むのであれば、苦情申立書を通すために、学生Aとの関係を「第三者を通じて故意に中傷原稿を書かれた」と被害者視点で捉え直すことが可能だったかもしれません。ただしそれは、被害を訴えた学生Aの認識とはあまりにかけ離れているでしょうし、わたしが求めている、誤解の解消と相互の納得への道からは遠ざかります。

前項①の学生Aとの関係調整は、防止委員会経由では諦めざるを得ませんでした。

それでも、相談員のかたがたは、こちらの要望を確認しながら、複数の案を提示してくれました。
わたしが強い苦痛を与えられたと感じる文芸・ジャーナリズム論系経由以外で、学生らとの紛争解決を働きかける方法、
具体的には、論系が所属している文学学術院の、学生や非常勤などの学内生活の保持を取り扱う事務所や、論系と事務所を束ねる執行部教務、さらに原稿の性質を考え、大学本部法務への働きかけなど、相談のなかで、いくつもの提案と検討が繰り返されました。
この週は、毎日長い時間を取ってもらい、喫緊の課題である①について、そして②についても、論系以外を通じた解決の方途を相談しました。

いっぽうこの間、「S」の編集作業はひとつの山場を迎えていました。
I氏の見解でも説明されているように、「S」では
・授業履修生全員が参加する特集企画
・授業履修生が自主的に企画を立案し授業内でのプレゼンと承認を経て成立した2つの自主企画
・公募作品とその作品評企画

全部で4つの企画が進行中でした。

外部への原稿確認の時期が迫っていたこともあり、連日、学生の原稿やDTP作業を経たゲラが届きました。多くはメールでのやり取りでしたが、作業場所を取って学生を集め作業をすることもありました。
記事ひとつひとつに目を通し、構成からレイアウトの提案、写真の選定、文章の推敲、気づいた範囲での誤字脱字や文法のあやまりまで、可能な限り指導や指摘、相談への返答や提案を続けていました。
幸いと言ったらいいのか、学生Aは、もちろん授業内の特集企画で職責を果たしていましたが、作業のうえで、わたしやI氏と直でやり取りを行う必要はありませんでした。そして自主企画「B」はH主任が指導責任を負っていましたから、X氏以外の記事も含めた企画「B」については、H主任が監督指導をしているはずでした。

日中から深夜まで及ぶ学生との応酬の日々のなかで、しかし作業指導はこの数日を越えれば終わるものでもないと感じていました。
経験を積んだプロではない学生の記事作成やDTP作業について、現時点から校了まで、ひとつひとつの段階ごとに、指導とサポートが必要でした。
効率化が進んだ定期刊行誌の編集部と違い、このメンバーで雑誌を作るのはこれが最初で最後です。
各記事の完成=校了ではなく、記事が揃ったあとで決めるべきこと、行うべき作業が多くあることは明白でした。
またそのような、刊行成立のための最低要件という意味だけでなく、その作業自体が、この雑誌制作に力を注いでいる学生たちにとって、多くの愉しみと学びに満ちたものになることを、自分の経験から確信していました。
自主企画「B」参加学生を含めたすべての学生にとって、完成された「S」が納得のいく、「やりきった」と思えるものになってほしい。そのために、自分にできるすべてのサポートをしたい。
この数ヶ月の授業と「S」制作のなかで、わたしは心からそう願っていました。

いっぽう、論系が正常に機能すれば、わたしは「S」指導担当から外される可能性がありました。外形的に見れば、わたしには、雑誌全体をコントロールできる権力があります。学生Aとの関係の非対称性はあきらかです。ハラスメントにおける基本的な一次対応を考えれば、少なくとも学生Aとの、そして場合によれば学生全員との関係に対して、何らかの指示があって然るべきでした。
そのことを考えたとき、先の願望と矛盾するようですが、本来であれば論系は学生Aの告発を受け止め、8日時点で、担当を替える、関連する学生の接近禁止をわたしに命じるなど、何らかの一次対応をすべきだったと、いまでも思っています。

とにかく時間も体力も一瞬で吸い取られていき、体が気力だけで動いているような混乱の日々のなかで、この一件について、当時のわたしが感じていた危惧をいま一度整理すれば、このようなことでした。

・個人誌などではなく、文芸・ジャーナリズム論系の機関誌掲載原稿のなかで、第三者を通じて、担当教員2名が授業を通じた学生へのハラスメント加害者として実名で名指されていること。
・当事者同士の認識が著しく異なること。

・ともあれ学生が「ハラスメント被害者だ」という認識でいることが第三者を通じて確認されているならば、まずはその声を聞き、当事者対応が必要であるはずであること。
・しかし加害当事者として名指されている担当教員にはそれができないこと。
・本来は論系が確認や対応をすべきだが、現状では訴えの記載された原稿を「作品」と見做し、事案として取り扱うよう望む加害者(とされている)側に防止室に行くように指示するだけで、なにも対応を行っていないこと。

・論系が正常に機能する、あるいは論系以外の判断によって担当教員が交代になった場合、対個人間でのハラスメント事案であるため、仔細はおろか、概要すら説明はなされないであろうこと。くわえておそらくわたしからの通信や連絡は禁止されること。
・「S」は企画「B」だけでなく、30名弱の履修生によって作られており、そのほとんどがX氏原稿の内容を知らないこと。
・担当教員が交代になり、校了直前の状況でX氏原稿がほかの学生の目に触れたとき、学生の混乱や誤解、場合によれば学生間での対立が起こりかねないこと。
・近年の実際にあった騒動からも明らかなように、正当性や適格性が疑わしい原稿は、それ単体ではなく、掲載した雑誌全体の信頼も損ないかねないこと。この場合、「S」各記事そして編集である履修生全員にその累が及びかねないこと。



2月14日(木)19時、わたしは防止室での3度めの面談を中座して、「S」各企画の代表が集まり、表紙についての会議が行われている個室喫茶店に向かいました。

予約場所に1時間半ほど遅刻して到着すると、各班の代表メンバー5人と、もうひとりの担当非常勤講師のO氏による会議が続いていました。
会議は、あらかじめ履修生から集めた表紙ラフ候補の検討と選定、および修正案とそれを発展させるアイデア出しとその再検討が繰り返され、ひじょうに白熱したものでした。

「自分たちの雑誌」を飾る表紙に、どんな意味を持たせ、ふさわしいものにするか。そこにいた学生たちは、班の代表である自負と責任感をもって、全員参加の特集企画との照合、象徴性、ユーモア、批評性、かわいさ、「こう読んでほしい」という希望……さまざまな観点から、時間をかけて真剣に、かつ多分におしゃべりに、粘り強く議論を続けました。
当然予定時間は過ぎ、方針の決定前に学生1名が、決定したところで帰りの予定時間を過ぎていた学生1名とO氏が急いで帰宅し、最終的に、3名の学生が残りました。

学生たちの議論の様子を見て、「「S」は学生が作るもので、かれらは「自分たちの雑誌」についてすべてを知り、考える権利がある」と、強く感じました。
その認識は、もちろん初めて感じたことではありませんでしたが、雑誌全体について、このように真剣に考え、主体的かつ自己本位に陥らず取り組んでいるかれらに、「自分たちの雑誌」で起きていることを伝えないのは不誠実ではないか。そう思いました。

ずっと悩んでいたことでしたが、自分とI氏以外の、著者や学生、企画名などの固有名を伏せ、原稿を読まなければ記事や企画の特定が難しい状態で、先述の、自分が感じていた危惧を話しました。

くわえて、
こちらの動向として
・すべての学生に、とにかくそれぞれの取り組んでいる制作に集中してほしいと思っていること
・もし自分が担当から外されても無事校了できるよう、現時点でできるサポートを進めること
・当該学生やわたしやI氏を含む、全員が納得した解決を模索していること

学生3名への要望として、
・わたしと不可解な理由で連絡が取れなくなり、それにより学生たちが混乱した場合、自分の判断で良いので、前から可能性があったことだと混乱を鎮めてほしいこと
・明確な動きがあるまで他言無用でお願いしたいこと

を併せて告げました。
話は3、40分ほどで終わりました。話し終えたところで、ちょうど個室の予約時間が終わったのですが、とても「じゃあ」と解散する雰囲気ではなかったため、1時間延長して4人で夕食を摂り、駅で別れました。

翌15日(金)、さらに防止室との面談を行った結果、動きがありました。
連日の相談に乗ってくださった防止室の相談員を通じ、①学生Aとの関係調整について、文学学術院の執行部教務J氏、事務所O氏と面談をしていただけることになったのです。


次項●教務との一度目の面談(2/19~2/21))


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