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デリカシーのない私

ダリア・マザー

窓から庭の草花の豊かな香りと、初夏の薫風が流れ込むリビングに、娘たちの笑い声が溢れる。連休に帰省した姉と話す妹は、嬉しさを隠しきれない。久しぶりに家族揃って食卓を囲む一家団欒は、至福のひとときです。

食事をしながら会話が弾み、笑顔でいたのも束の間、私が何気なく質問したひと言が場の空気を一転させてしまいました。娘が眉間にしわを寄せて「お母さんは、デリカシーがない」と言うのです。一体何がそう思わせたのか、尋ねても教えてもらえず、心が悶々とし始めました。「私が、デリカシーがない?」衝撃的な言葉に、心がネガティブ・スパイラルに巻き込まれていきました。教会長のお役から、毎日信者さんのお話しを質問しながら聴いているので「もしかしたら、失礼なことを言っているのでは…」「教会長が聴くからと、受け入れてもらっていたのかもしれない」。その後は、電話の受け答えも慎重になり、気を遣いながら話しをしていて、疲れてしまいました。そのことを娘に話すと、「お母さん、大丈夫。他の人とはちゃんと話しているから」と慰められ、ちょっと安心でき、娘に不快な思いをかけたことを謝りました。

翌日、娘とスーパーへ買い物に出かけたときのことです。お刺身の選別をしていた娘が、「これ、あまり美味しそうじゃないね」と店員さんが側にいることも気にせずに言ったのです。思わず「そんな大きな声で言わないの」と耳元でささやいてしまいました。「デリカシーがないのは、私だね」と恥ずかしそうに言う娘と顔を見合わせ、クスッと笑いあいながら、ふと、私の姿だなと素直に思えました。知らず知らずに人を傷つけているとしたら、「デリカシーがない自分」を知ってふれあい方を変えた方がずっといい。スーパーを出て見上げた青空は、雲一つなく清々しかった。


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