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娘の一言に「はっと」して

カスミソウ

新幹線で赴任先から帰ってくる私をいつも車で迎えに来てくれる娘と「おかえりなさい」「ただいま」と、言葉をかわす瞬間を今はとても幸せに感じています。

娘は、反抗期が人より少し早く、小学2年から小学4年まで続きました。口喧嘩が始まると、30分でも1時間でもくってかかる日々。あるとき、あまりのひどいへりくつに、つい手をあげてしまい、しかも3回ほど叩いてしまいました。すると、娘は私の顔を冷静にみながら「今の3回叩く必要ないよね」「1回でもよかったよね!」と言ったのです。その時は、怒りのほうが勝り、あやまることはできませんでした。

あとから自分の心を見つめると「このままでは娘のためにならない」と思い叩いたはずが、感情が収まり切れずにした行動だったと反省。私の心をみすかされ、「はっ」とした瞬間でした。

そんな娘は、時期がくると反抗期も収まり、正義感の強い、人が困っているとほっとけない、思いやりのある子に成長してくれました。

高校受験のとき、立正佼成会の教会で受験生祈願供養がありました。娘と一緒に参加し、ご供養をさせて頂いていると、受験生の名前が読み上げられました。あろうことか、娘の名前が読み上げられませんでした。私の心は、ご供養中怒りの心で占領されていました。すぐに、担当してくれていた方に、その怒りの心をぶつけにいきました。「私は出したはずだから、私のせいではない」と言われ、さらに私の怒りの心はヒートアップしたのです。すると娘から、「お母さん!私がここにきて祈願したのだから、もうちゃんと祈りは通じているんじゃない。たとえ名前が呼ばれなくても大丈夫だよ」と言うのです。

その言葉に、「はっ」としました。その通りだという思いに立ち返り、はずかしくなりました。

今でも、「いつも教会長というお役として見られている意識を忘れずに!」と、私の心が自己中心にならないよう見守ってくれるありがたい存在です(笑)


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