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~子供たちに「ありがとう!」~

なわしろ

4人の子供たちは、寂しい思いをしてきました。自分たちの希望や楽しみを我慢して、大人中心の日常生活を過ごしていました。それでも今では、私たち夫婦を支えてくれています。母親として「ありがとう」の感謝の言葉を伝えている日々です

当時中学生だった長男は、私と一緒に畑の草むしりをしていた時に、「農家の後を継ぎたくない」と言葉にだしました。突然の一言にびっくりしましたが、幼い頃から「跡取り息子」と言われ続けてきた長男にとって、どんなにかプレッシャーだったろうと息子の心を察した私は、「無理ないよ。好きにしていいよ。」と伝えました。あれから約25年経った今では、嫁と一緒に幼い子供たちを育てながら、おかげさまで主人と共に農家の経営に励んでくれています。

また、小学5年生だった長女は、田んぼで稲刈りの手伝いをしてくれました。私が教会のお役に行く時間になると、「お役に間に合わなくなるよ。あとは私がやるから早く行って。」と私を助けてくれました。娘の優しさを感じると同時に後ろ髪をひかれる思いでした。また、四番目に生まれた幼い次男の世話係となり、ある時は次男をおんぶしてけなげに遊んでいました。

私が30歳過ぎてから体調不良になり通院しながら仕事をしていました。その時に、5歳になっていた次女は、「お母さん、大丈夫?」と私の体を心配して私が寝ているそばにいてくれました。今でも私への思いやりを沢山かけてくれる娘です。

長男長女次女の3人が子供の時は、年老いた義父と義母が健在だったので世話をしてもらうことができましたが、次男が幼い時に二人とも亡くなりました。次男は、幼稚園の時から夕方まで児童館に通っていました。遅い時間に私が迎えに行く頃には、ほとんどの子供たちは帰っており、それでも次男は不満を言わずに待っていてくれました。小学校の低学年で児童館が卒業となりました。その時次男が「僕、これからどこで待っていればいいの?」と問いかけてきました。私は、息子が自分の寂しさより家の状況を子供心に感じとっていたことに、心が痛みました。本当は、すぐにでも迎えに行ってあげたいと思いながら、「そうだね。これからどうしたらいいか、、、」と伝えるのが精一杯でした。その後、次男は自分からスポーツ少年団に入部することを決めて、小学校卒業するまで充実した時間を過ごしました。

子供たちは、幼い頃から教会での少年部や学生部活動に参加していたので、親孝行や先祖供養の大切さを学んでいたと思います。遊びたい、自由に過ごしたいと思いながらも、親の言うことを聞いて手伝いをしてくれました。親としてもっと子供の心に寄り添ってあげればよかったという反省が沢山あります。過ぎた時間はもどってきません。でも、子供の心に寄り添うことは、これからでも遅くはないと自分に言いきかせています。そして、「あの時は、寂しい思いをかけてごめんね。」そして「ありがとう」の言葉かけの実践をしています。子供たちなりに当時のことを少しづつ受け入れてくれていることがありがたいです。感謝の実践をすることによって私自身の心も楽になっているのを感じます。子供一人ひとりの人格を尊重しながら、明るく優しく温かい母親になっていきたいと思います。


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