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おしゃべりは、いつもふたりで(5)

『ハレとケ、というほどではないけれど』

19時ちょうど、道明寺の部屋の片隅で機械的な音が小さく鳴った。
それを合図に、もっぱら寝室として使っているロフト部分から、真っ黒い影が動きだした。
無灯の室内で黒いものが動いても、普通の人間ならちょっとわからないかもしれないが、今ここにいるのは道明寺ときなこだけ。カーテンのひかれていない窓から差し込むわずかな街の灯さえあれば、お互いを察知することは十分に可能だ。

「今日はかの子は遅いのか?」

いま開いたばかりの自動給餌器から1粒、2粒、ペレットを頬張って、道明寺が聞いた。
前もって帰りが遅くなるとわかっているとき、かの子は道明寺ときなこに平謝りしつつ、たっぷりの水とタイマー式の自動給餌器をセットして出かけてゆく。
滅多にあることではないけれど、その場合はいつも決まって同じマシンが登場するものだから、察しのいいきなこはもちろんのこと、目の前のものから別の何かを推測することの不得手な道明寺でさえ、自動給餌器とかの子の帰宅時間の関係を理解できた。

「新人歓迎会だって言ってたわよ」

きなこは少し離れたキッチンの片隅から返事をした。
そこにはきなこ用の自動給餌器があり、その前できちんと四つ足を揃え、しっぽもきちんと体に巻きつけたまま、フタが開くのを今か今かと待っているのだ。
だが、フタはなかなか開かなかった。
暗がりの向こうから道明寺の誇らしげな咀嚼音だけが聞こえてくる。

「まったく、どうなっているのかしら」

きなこは常々、この自動給餌器に疑問を感じていた。
同時に購入した同じ機種なのに、フタが開くタイミングに時差があるのだ。
そしてまた、かの子が「きなこはお姉さんだもんね」といって遅くフタが開く方を自分によこしたことにも、疑問を感じていた。
お姉さんなら優先されるべきじゃない? などと、胸の内で100万回思ったとしても、そんなことを訴えるつもりはない。
つまらないことを言って自分をおとしめるくらいなら、かの子のお気に入りのデニムで思う存分ツメでも研いだ方が建設的というものだ。
きなこの耳が動いた。
タイマー式のフタが音をたてて開き、中からドライフードが姿を現した。

「よかった、好きなやつだわ」

きなこはガリガリと音をたててドライフードを食べ始めた。
道明寺の方から聞こえていた音は、もう止んでいる。
すでに食べ終わり、わら座布団に足を投げ出して横になっているのだろう。

「きなこ、ひとつ聞いていいか」
「まだ食事中。あとにして」
「シンジンカンゲイカイ、って何だ」

まったく、道明寺はひとの話を聞かない。
きなこは、ひときわ大きな音でドライフードをかみ砕いた。

「新人を、歓迎する会よ」
「新人とは?」
「新しく仲間になる人のこと」
「歓迎とは?」
「これから仲よくしましょうって迎えること」
「なるほど。その会をすれば仲よくなれるのか」
「さあね。そうとも限らないんじゃないの」
「じゃあ、なぜやる?」

きなこは答えなかった。
正解がわからなかったこともあるが、何より、食事中なのだ。
先ほどから夜目にもわかる立派なしっぽがすばやく左右に揺れている。
きなこはイライラしながら食事をするのは体によくないことだと知っていた。
そういえば——
残り少なくなってきたドライフードをかみしめながら、きなこは考えていた。
道明寺が来たとき、歓迎会ってしたかしら。
道明寺がやってきたのは今から1年と少し前のこと。
かの子が黒くて小さい、やわらかそうなかたまりをこの部屋の床にそっと置いたとき、きなこはそれが生き物であることに気がつかなかった。
かの子には脱いだ靴下を丸めて床に放置する習性があるので、今回もそれかと思ったのだ。なのにかの子が「仲よくしてあげて」などと言うものだから、きなこは心底戸惑った。いくら面倒見のいい気質といっても、靴下と仲よくなれる自信など、きなこにはない。
勘違いはすぐに解消されたものの、そこからずるずると3にん暮らしが始まり、何となく今に至っていて、やはり歓迎会をした記憶はなかった。
今では少なくとも、靴下とよりは仲よくできていると思うけど——からっぽになった給餌器の中を見つめ、きなこはキッチンを後にした。
うさぎ用ケージの前を通り過ぎると、案の定、道明寺はすでに満足げな面持ちでわら座布団に横になり、寝そべったまま床に落ちているチモシーを食べていた。

「大きくなったわね、道明寺。もう靴下には見えないもの」
「一体、何の話だ」
「今度、歓迎会やりたいわ」
「誰の?」
「アンタのよ。アタシもむかし札幌でやってもらったの。あのときは特に何とも思わなかったけど、今は、やってもらってよかったと思ってるわ」
「しかし、仲よくなれるかどうかはわからないのだろう?」
「その時はその時よ」

仲よくなれるかどうかなどわからないし、その必要があるのかどうかもわからない。
ただ、延々と続く日常のなかに、ぽつりと非日常があってもいいではないか。

「かの子ちゃんに上手に伝えて、ごちそうを用意してもらわなきゃね」

きなこと道明寺は目線をあわせて頷くと、小さな舌で口のまわりについた日常をぺろりと舐めとった。

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2018/04/09 初稿
2018/05/28 本文修正、かつ改題。『4月6日(金)』から『おしゃべりは、いつもふたりで(5)』とし、本文冒頭にサブタイトルを挿入。

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