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おしゃべりは、いつもふたりで(4)

『二本足サイド(2)』

電話の向こうから母の笑い声が聞こえてきた。

「雪、降ってるんだって?」

私のところに遊びにきていた母が、東京は暑すぎるといって札幌の家に帰っていったのが一昨日の夜。空港で見送って帰る途中、なんだか寒いと思ってはいたけれど、まさか3月に雪が降るとは。

「先週、上野に連れていってもらったとき、桜、咲いてたわよね」
「そうだね、早咲きの種類だったらしいけど」
「変なところね、東京って」

たまたま例年より暑かったり寒かったりしているだけで、別に東京が変なわけではないと思うんだけど。母の発言はいつもざっくりしている。
私は話しながら窓の外を見た。
雪はまだ止む気配がない。かれこれ30分くらいは降っている気がする。
ソファの上でうたたねしていたきなこがいつの間にか起きてきて、出窓風に設置したカウンター棚に飛び乗ってきた。
横から見る猫の目はガラス玉のように透き通っていて、なんとなく不安なかんじがする。
きなこは空から落ちてくる雪を熱心に見つめているけれど、札幌にいた頃のことをおぼえていて雪を懐かしんでいるのか、それとも——。

「お母さん、本当によかったの?」
「よかった、って何が」
「きなこのこと、本当は札幌に連れて帰ろうと思っていたんじゃない?」

母が突然「猫がほしい」と言い出したのは、今から7年前。
母は生来自由奔放な気質で、あまり自分の身のまわりのことに世話をやくタイプではないから、放っておけばじきに忘れるだろうと私を含めて誰もが思っていた。
だが予想は大きく裏切られ、気になる猫がノルウェージャンフォレストキャットという種類であること、そして家からそう遠くないところに専門ブリーダーが住んでいることを母は自力で探しだしてきたのである。予約の電話を入れ、仔猫を見るため何度も足を運んだのも、もちろん母自身だ。
本気だったのかと、周囲は心底驚いた。もちろん、私を含めて。
あの母が自分でそこまでやったことに、猫への真摯な思いが窺える。
なのに、私が東京へ出るときにきなこを一緒に連れていきたいといったら、母はあっさり「いってらっしゃい」と言ったのだ。
やっぱり毎日の世話が面倒だったのかな、とか、飽きちゃったのかも、とか、いろいろ(おもに悪い方向で)考えてしまったけれど、どうもそうではなかったようだ。
というのも、私が家を出る前日まで、きなこのブラッシングは母の担当だったし、引っ越しが終わって新居に着いてみれば、きなこ用の段ボールには「きなこチャンへ」と書かれたポチ袋が入っていて、中に5万円が入っていたのだ。
飽きた相手にお金を渡すほど、母は俗悪な女ではない。
だから、今回、母がこっちに来ると聞いたとき、いよいよかなと身構えた。結婚式とか、お葬式とか、何にもないのに来るなんて、きなこを連れ戻しにきたとしか考えられなかったから。
なのに、母は一人で来て、一人で帰っていった。
なんでだろう——「ね」とだけ声に出して、私はきなこを見た。きなこは前足を体の下で折りたたみ、外を見ながら丸くなっている。ボリュームのあるしっぽが返事をするようにやわらかく揺れているが、あいにく、意味はわからない。
ふふと笑い声をもらして、母が言った。

「きなこチャンを連れ戻したりしたら、あたし、怒られちゃうじゃない」
「誰に」
「もちろん、きなこチャンに」
「なんで?」
「あのコ、自分でついていくって言ったのよ」

母は、たまにファンシーでファンタジーでファニーなことを言う。
そして私はそういう発言に往々にしてついていけない。
ファンシーショップは子どもの頃大好きだったし、ファイナルファンタジーは今も好き、ファニーフェイスは毎日鏡の中で嫌というほど見ているにも関わらず、だ。

「なんで、無言なのよ。本当よ? 聞いてみなさいよ」

聞けるものなら、聞きたいけど、でも。
きなこは窓の外を見たまま、しっぽの先をムチのようにしならせてピシピシと棚の天板を軽くたたいている。
指先でなめらかな額をそっとなでると、きなこは目をつぶって小さく鳴いた。

「よく、わかんない」

私の返事に、母がため息をついた。

「なるほどね、きなこチャンが心配するわけだわ」
「私、きなこに心配されてるの?」
「そうよ」
「何を?」
「誰か、会話する人を見つけないと、猫の言葉だけじゃなくて人の言葉もわかんなくなっちゃうわよ」

なんだ、それ。
そんなこと言うために、きなこをダシに使ったのか。
呆れてため息も出ない。

「そろそろ電話切るよ。電話代かさむから」
「かけ放題じゃないの、これ」
「わかんないけど。お風呂入るから」
「冷たいわぁ。でも、たしかにそろそろ。風邪ひかないようにね」
「はーい」
「お風呂入るときはちゃんとテレビ消すのよ。きなこチャン、心配してたわ」
「はいはーい」

まったく、最後まできなこにかこつけてお説教か。
って、あれ? 私、テレビつけっぱなしにしてた話、したかな。
——ま、いいか。
電話を切って窓の外を見ると、雪はもう止んでいた。
きなこは大きな伸びをして、窓辺から降りてくると私の足元に駆け寄り、ひときわ高い声でニャウンと鳴いた。

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2018/03/22 初稿
2018/03/23 修正(タイトルの曜日違い)
2018/05/28 微修正、かつ改題。『3月21日(水)~二本足サイド(2)』から『おしゃべりは、いつもふたりで(4)』とし、本文冒頭にサブタイトルを挿入。

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