おしゃべりは、いつもふたりで(7)

『とっておきの休日~何もしない宣言と恐怖のテレビ』

 今日は何もしない。
 ごはんを食べたり、テレビを見たり、道明寺やきなこと遊んだりはするけれど、それ以外は絶対に何もしない。
 そう心に決めたかの子の前に今、最大の敵が姿を現わした。
 テレビ――人類が生み出した史上最悪の情報モンスターが今、10連勤明けのかの子に牙をむこうとしているのだ。
 髪も梳かず顔も洗わず、当然のようにパジャマ姿でソファに横たわるかの子。
 これからどんな苦難が待ち受けているのか、この時はまだ、かの子は想像もしていなかった――。

「今の時期に済ませておきたいオススメの家事を、今日はご紹介したいと思います」
「あらっ、家事に時期とか関係あるんですか?」
「あるんですよ。これから梅雨に入るとムシムシして、そのあと暑い夏になりますよね。そうなると、よく使うのが……?」
「エアコン!」
「そうなんです。今日はエアコンをフル稼働させる前に、しておいた方がいいことをお伝えします。エアコンのフィルターに埃がつまると効きが悪くなるのはご存じだと思いますが、カーテンって実は埃をいっぱいため込んでいるんですね。カーテンは毎朝毎晩開け閉めしますでしょ。そのたびにエアコンに埃がはいってしまうんです」
「あらっ、じゃあそのままだとエアコン代も……?」
「その通り。無駄に高い電気代を払うことになってしまいます」
「それは困りますね。どうしたらいいんですか?」
「梅雨に入る前のこの時期に、洗っておくことをオススメします。梅雨時期にカーテンなんか干すとお部屋がいっそうジメジメしますからね、今のうちに――」

「……まじか」
 かの子は腕にのせていた頭を起こして、テレビの画面から部屋のカーテンへと視線を移した。
 明るいブルーの地に細く白い縦縞がところどころに入った、お気に入りのカーテン。
 まだ日の高いうちにあえてカーテンを引き、日差しを透かすと、まるで海の中にいるような気持ちになる。少し値は張ったが、いいものを買ったとかの子は自負していた。しかし――。
「カーテンって、洗うんだ?」
 かの子はタッセルを外し、試しにカーテンを少し閉めてみた。
「あれ……こんなに暗かったっけ」
 買ったばかりの頃、このカーテンを通して入る日差しはテレビで見たカリブ海のようだった。なのに、今は冬の小樽の海の色をしている。どちらかといえば、確実に小樽の方が馴染みはあるが、部屋のカーテンにそれは望んでいない。
「まぁ、洗濯くらいなら、してもいいか」
 はずすのとかけるのは多少面倒だが、洗剤を入れてボタンを押すだけであとは洗濯機がやってくれるのだから、大した手間でもない。
 それで小樽がカリブ化し、さらにエアコンの電気代も安くなるのなら、それくらいはやってもいい気がする。
 かの子は盛大なため息をついてソファから身を起こし、ダイニングの椅子を持ってきてカーテンをはずした。
 はずしたカーテンをきれいに丸めて、洗剤と一緒に洗濯機の中に入れる。ボタンを押すと、38分後に完了すると表示が出た。
 やれやれ。今日は何もしない日だと決めたはずなのに、まさかカーテンを(しかも、購入後初めて)洗う羽目になるとは。
 でももうこれ以上、何もしないからね。
 決意を新たに、かの子はリビングに戻った。
 昨日買ってきたブルーベリーのパンを手に取って、ソファに深く身を沈める。
 トーストもレンジアップも面倒くさい。そのままかじりつくと、しっとりとしたパン生地が上あごにくっついて、慌ててテーブルからティーカップをひったくり、冷え切った紅茶を流し込んだ。
「ああ、びっくりした。窒息するかと思った」
 細かいパンくずがパジャマのズボンの上にぱらぱらと散っている。
 何も考えず反射的に手で払うと、パンくずたちは毛足の長い白いラグに吸い込まれて消えていき、かの子はテレビの画面に視線を移した。

「うわぁ、とてもきれいなお家ですね!」
「そうですね、Aさんはとてもきれい好きで、毎日きっちりお掃除していらっしゃるそうなんです。でも、ちょっとこれを見ていただけますか?」
「えっ。これは、カビでしょうか?」
「そうなんです。お風呂場の下の方はお掃除していても、シャワーヘッドや換気扇など高いところはなかなかお掃除が行き届かないんですね。このままですと、呼吸器に影響が出るかもしれません」
「なるほど。でも、お部屋はやはりきれいにされていますね」
「と、思いますよね。こちらをご覧ください。お布団、クローゼット、リビングのじゅうたんと、3カ所の埃をとらせていただきました。そして、それぞれ顕微鏡で見たものがこれです」
「うわっ!」

「うわっ!」
 かの子は思わずテレビの中の人と同じリアクションをとってしまった。
 テレビの画面いっぱいに映し出された塵芥は高倍率の顕微鏡でどアップにされ、そこに含まれるダニの足がチョロチョロと動いているのまではっきり見える。しかもダニは1匹ではない。うじゃうじゃといっていい数だ。
 かの子はおもむろに背中に手を伸ばし、音をたてて掻きむしった。
 無意識に、さっき手で払ったパンくずが落ちているであろう足元に目が行く。
 ダニの餌付けをしてしまったかもしれない――。
 その時、足音がした。
 本棚の上で眠りこけていたきなこがいつの間にか目を覚まし、下りてきたのだ。
 かの子がソファでくつろいでいるのを見つけ、しなやかな足取りでゆっくりと近づいてくる姿にかの子は声を上げた。
「きなこ、ちょっと待って! 動かないで、そこにいて!」
 もしこのラグにダニがいるならば、きなこが歩くのはマズい。
 自分の足ならどうってこともないが、きなこがダニに噛まれたら、きっと一生自分を許さないだろう。
 かの子は慌てて掃除機を取りに行った。
 もしダニがいるなら、今さら遅いというものだが、知る前と後では精神的ダメージが違う。知ってしまったからには放置するわけにいかない。少なくとも、かの子はそういう性分だった。
 かの子はラグの上を念入りに掃除機をかけた。せっかく出したのだからついでに、とフローリングの上もかけた。キッチン、トイレ、バスルーム、玄関とフローリングでつながっているところは全部かけて、リビングに戻ってきてみるときなこがいない。
「きなこ……? あああっ! だめ! ベッドの上、ダメ!」
 掃除機が苦手なきなこは寝室に退避していた。ベッドの端にちょこんと座る愛らしい姿が、薄く開いたドアのすき間から見える。
 だが、さっきのテレビのいう通りだとすれば、今、きなこの足下には数万匹のダニがいるということに――かの子は慌ててきなこをベッドから抱き上げ、リビングの本棚の上に戻した。ここならきなこの定位置だから埃だけは毎日とっている。
「ちょっと、布団干してくるから、そこで大人しくしてて」
 かの子はパジャマの袖をまくりあげて、寝室に入っていった。

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「ずいぶんと元気だな、かの子は。今日は何もしないんじゃなかったのか」
 ベランダで欄干を拭いているかの子の後ろ姿を見て、道明寺が言った。
「アタシの予想だと、かの子ちゃんはこの後、お風呂掃除とクローゼットのお片付けもするわよ、きっと」
 本棚の上から、きなこが応えた。
 手足を投げ出し、ふさふさのしっぽをゆらゆら揺らしている。
「かの子の決めたことに文句はないが、たまには休んだ方がいい」
「同感だわ……『何もしない』はアタシたちの方が上手みたいね」
 洗面所で洗濯機がピーピーと鳴っている。
 きなこは大きなあくびをひとつして、道明寺はゆっくり目を閉じた。

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2018/05/31 初稿

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