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僕は面白い人ではない

23歳から芸人として活動しておりました。
当時のネタ番組は一回りさせてもらいまして。

オンバト、おもしろ荘、エンタの神さま、イロモネア、、、

そして次のステップは、そう、ひな壇です。

MCは千原ジュニアさん。ひな壇最後列に僕らや瞬間メタルさん。
前列にはサンドウィッチマンさん、ブラックマヨネーズさん、フットボールアワーさん、、、

何もできずに収録を終えるんです。ちょっと待ってくださいよ〜!の団体芸のみ参加。

次こそは怒られてもいいから、何かしてやる!と意気込んで収録に向かうも再撃沈。

実は前々からうっすら気づいてはいたんですが、認めるのが怖くて目をそらしていた問題がありました。

僕は面白い(芸)人ではない。

・面白い人
・面白いネタが作れる人・演じれる人

これは全然違うと気づかされました。

面白いネタを書いてテレビに出る自信はありました。面白いネタを表現(演技)する芸人(役者)である自信もありました。

でも、僕自身が面白い人間かと言われると、自信を持てなくなっていました。

ちょっとテレビに出ていてるだけなのに、その時はまだ出ていない同期や先輩を内心少し下に見ながらのライブ出演。
そこの平場(エンディングなど)で気付くんです。

あれ?俺この人たちより全然笑い取れてないぞ?

当時の僕は、ド若手にとっては、すぐには意味のない筋肉を鍛えてました。
人をいじって笑いをとる。滑った人をフォローするMCの練習。そんなことをしていました。
要は、中学校時代に憧れた松本人志さんになろうとしてたんですね。典型的な松本信者でした。

そうこうしているうちに、テレビ出演の機会も減りました。
30歳までにこの世界でご飯を食べれていなかったらお笑いの世界を諦める。
そう決めていた僕が当時28歳。

残りの3年間をどう過ごすか。
一から芸人として鍛え直すのか。

そして僕の出した答えが作家転向です。
臆病で冒険のできない性格の僕は、自分で自信の持てる部分で勝負する選択しか取れませんでした。芸人を続ける勇気がなかったんです。

ネタに関わりながら作家として飯を食っていくには、座付き作家(芸人と一緒にネタを考える人)になるのが一番いいんじゃないかという思いつきで、誰かネタを一緒に書かせてくれる芸人を探しました。

求めていた条件はただ一つでした。

面白いネタができる人ではなく、面白い人であること。

単に面白いネタができる人では、ネタで世に出たとしても僕と同じところでつまづくから、無償でネタを作っても座付き作家としておいしくない。そんないやらしい計算もありましたし、何よりワクワクしません。

僕とは違い、世に出ることができたなら、何かしらの爪痕を残すことができる人。
僕の得意な、構成力とかフリの立て方とかが苦手な人。

そんな人いないかなぁ〜って周りを見回したら、すぐにレーダーに引っかかりました。

養成所の二期先輩で、当時3ヶ月事務所ライブに不合格だと解雇される厳しいルールで、3年近くマンパワーでサバイバルしていた人。

その人とは、あまり話したことがありませんでしたが、思い切って声をかけました。

「池崎さんの座付き作家をやらせてもらえませんか?」

こうして空前絶後超絶怒涛の座付き作家になりました。



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