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スーパーヒーローみたいに強くないけど私の静かな願い


起業家??art?? 服が好きな人? HAPPY? KIE?

こんなにも深く自分の存在を考えたのは人生で久しぶりな気がする。

 でもどうして久しぶりと感じるんだろう。

 なぜHAPPYを大切にしたいのだろう。
どうして?と掘り下げても、あれ?20年近くの記憶が薄い、ほとんどない。

8月やっとやっとやっと、自分の過去がようやく過去になった。

 ここでもう過去にしよう。スーパーヒーローのように強くなく、感受性が強くてもろいところもあるけど、それでもまっすぐと繊細に愛を持って物作りをしたいと想う私で生きる瞬間でもあった。




「君のしたいことを叶えるんだ」
「君の世界を明確にする、それが君の仕事、それをどうビジネスにするかだ」

 過去を思うとこんなに私という存在を考える声が聞けるとは思っていなかった。

 この声が全く無かった訳ではない。ポツリポツリとこの声が聞こえてきたけど2月に始まった、MAKERS UNIVERSITY でこの声が大きく近く聞こえるようになった。

 MAKERS生はいろんな人がいる。その人がしたいこと、願い、考え、性格、周りの環境、いろんな中で全力の人たちがたくさんいた。

 そんな中で見つかった私のすることが、好きな色を見つける。雑誌の切り抜き。好きなものを見つけることだった。不思議な数ヶ月が続いた。
 
 毎月の1回のMTGがある。報告と相談と勉強を交える時間。さまざまな報告が続く中、私は雑誌の切り抜きしたスケッチブックを提出した。

これでいいのか。これでいいのかな。って毎月が不安だったけど、久しぶりに楽しかった。

 それから今までの悲しみを洗い流すかのように7月23日誕生日に泣いた。初めて「悲しみの蓄積」という言葉をもらい泣いた。「そっか、私悲しかったんだ」っ名前が着けれてなかった感情に名前がついて安心した。


7月終わり、ずっとずっとコンプレックスで隠していた「記憶がほとんど薄い、ほぼない」ことを指摘され閉ざしていた琴線に音がなった。

 音がなり、気持ちがパーーンって宇宙にちり、この地球の出来事もSNS何も興味がわかず、身体は今ここ。にいるとしか思えない時間を過ごした。頭の中は過去というブラックホールに吸い込まれたように過去の記憶に溺れて

真っ暗な中の何かよくわからない物体と向き合った。

 

さて、私がわたしと向き合ったことをサササーーって書いていこう。

 
最初重たい話から始まります。嫌な記憶のためはっきりと覚えてないところもあります。
何か誰かのつらい過去に関連しないかなととても心配だから
パラパラーとさささーと読んで下さい。

 「きえちゃんあっち行って」保育園の時から仲間に入れてもらえなかった。保育園の室内から外で遊ぶ人たちを眺めてた。
保育園から中学校までずっと同じ地域だったから環境が変わらずずっと違和感をかかえて生活した。

 小学生の時も変わらず、ランドセルにアロエがぬられベトベトのランドセルで帰宅。
友達に指を指されては死ねと言われ…勉強がほとんどできない小学生だった。人と話すのが苦手だし話すのが苦手で先生にも友達にも「バカか、お前はアホか」とからかわれていた。頭に手を置いて「バカかっ」て言う人がいて、それは可愛がっている意味だって言っていたけど最後まで話を聞いてくれないし、理解してもらえてないのにそれで可愛い。。。って違和感だった。

 今でも話すのは苦手で遅いけどでも最近は理解してくれる人が増えた、最後まで聞いてくれる人が増えてきて、やっと誰かに聞いてもらえる、少しは考えが伝わるって会話嬉しいなって思えた。

 小学低学年、共働きの家庭で学童保育に通っていた。先生の似顔絵を描いたのに下手くそって言われてぐしゃぐしゃに捨てられた日もあった。そこから棚の中に引きこもり、安全地帯を探していた。

 あんまり戦うことができず、友達に何か言われると泣き過呼吸でほどんど息ができず小学生の間よく保健室行きだった。泣いていたら「もう泣くな!」って先生に怒られ、涙が死んだ。泣く理由も聞いてくれないんだっていろんなことを一旦ここで諦めたと思う。

小学校でもいろいろで唯一、お腹が痛いって言ってよく休んだ時期だった。

 中学校では何が原因かわからないけど確実にわたしは何もしてない。けど挨拶してもずっと先生に無視されてた。その先生と仲の良い先生にも声かけると嫌な顔をされ、結局最後まで挨拶は無視され続けた。


 わたしの存在がじわりじわりと無くなりだした。

 
 同期とも上手くいかなくて、1人でお弁当を食べてて、何も知らない人がなんでお前だけここで食べてんの?って聞いてきた。仲間外れにされたんだよって泣き叫びたかった。


 中学3年生の時たまたま若い先生と2人きりになった。なぜか2人で体育座りして、ぼんやりと会話を始めた。



 なんだか大人も大変だね。なんかこの学校変だよ。って2人で悩みを共有してお互い「うん」って頷いた。その時の先生と同じ年になった。あの時の「うん」って言った先生の悩みってもっと重たいものだったんだろうなって今なら別なことを伝えられる。



それから高校に進学。関わる人がみんな変わってもあまり状況はわからなかった。


 中学まで勉強ができなかったが高校では少し偏差値を下げた高校に入ったため突然勉強ができる人風になり、最終的に商業教育過程成績優秀者になった。でも成績が良くても悪くても相変わらずな状況だった気がする。


先生にクラスの状況はどうですか?と聞かれる、いわゆる優等生タイプになり、それもそれで嫌なおもいをすることが多かった。結局、何かあると私が告げ口したことになることがあって、とりあえず呼び出されることも、クラスでの居心地はあまり良いものとは言えない。

 担任とは別の先生に激怒され(怒られた理由も意味がわからないぐらい下らなかったが)
君がいると僕の気分を害する。と2時間も怒られた。その時、先生はただ先を生きる人間で教師と先生は別の生き物だと悟った。

 中学時代に続き、高校でもわたしの存在がさらに霞みだした。

 教室に入るとほとんどの人に無視される日もあった。
 時間が経って、きえって無視されても声かけてくるの心強すぎって笑ってきたことが今でも怖い。震える。
目の前でニコニコしてる友達が裏で自分の悪口を言ってるなんて日常の一部だった。


 大学入っても似たことが起きる。「君は社会不適合者だ。君の夢に賛同する人なんて誰、1人もいないよ」って散々だった。


無視されることも男女間のことで男女から被害を被ってもう心身ともボロボロだった。二十歳にいろんなことが崩壊して摂食障害がそこから1年以上続いた。あんまり相談できる環境もなく、痩せては少し太ってまた急に痩せての繰り返しだった。
 
 何しても目立つし怒られるしけぎらいされる。

 20歳の終わりあたりから大学から離れて大人の人と一緒にいる時間が増えて少しずつ楽しくなった。海外の友達も増えて少しずつ理解する人、気持ちいい場所が見つかり出した。

 でも、大人の人に相談していたメッセージ内容を切り取られツイートされて、いつの間にか間接的にだが炎上していった。その引用リツイートがわたしのタイムラインに溢れていた。

今でもトラウマで人にメッセージがほぼ送れない。聞きたいことがたくさんあるのにメッセージを送るのに何日もかかってしまう。

他にもたくさんのことがあるけどあんまりはっきりと思い出せないこともある。記憶が断片的にしかない。でもここに言葉を打ちながら涙が止まらない。

 今、わたしは23歳。
20年ちょっと似たことがずっと続いてきてやっと最近嫌な思いをすることが減ってきた。

でも記憶が薄くても深くわたしの心に刺さった言葉はなかなか抜けない。
周りの環境が変わってもトラウマはそう簡単に消えない。

何をするにもこのトラウマでダメになる。

寝る前に耳元でささやいでくる。
何かを始める前にもささやいでくるのだ。

なぜわたしが苦しまなきゃいけないのだ。っていうぐらい何回も何回もやってくる。

「バカでアホで目がちっさいブス、君がいると気分を害する。死ねよ…って過去に言われた言葉がザザザって嫌な騒音が流れてくる。

何度も周りの人に相談してもこの人たちは消えない。

ただただ、うるさい!うるさい!うるさい!!あっちいってよって唱える。
 
耐えれない日もある。
わたしにも心がある。そのトラウマにむしばまれ、泣き続ける夜もある。それから全身がぶつぶつで波をうつように腫れ上がる。

好きな人といたのに怖くて上手くいかないことも多い。団体行動も怖くてあまりできない。何かをリリースしたい、とことんこだわって成し遂げたいのにトラウマの囁きがわたしを阻んでくる。


 このトラウマと上手に生きていかないと延々に人が怖くて泣き続ける日々になってしまう。


ここままだとわたしの未来がトラウマに食べられてしまう。だから何度も何度も前を向いて進んでいき、このささやきが消える日が来て欲しい。とずっと思っていた。

 

 その人たちを許さない。とか怒りの感情はほぼ皆無。許す許さないとかではなくていじめはダメ。いじめられても前に進もうとか言うでもなくて、それぞれの問題、状況があるから安易に言葉を並べられないし何も言わない。

 言うとしたなら君はどうして私を傷つけるの?そのエネルギーは自分に向けてどうしてそんなことを言うのか考え直して。私もどうしてこうなるのか少しは考えるよ。と言うかな。

でも、それよりも

ただただ私はまっすぐ前に進みたいと願っていた。

わたしは過去が過去になるまでまっすぐ生きないといけない。と願っていたけど

でも強がるのももう終わりそうだ。今、過去が過去になった。

私の持っている心臓のリズムで生きていこう。と気持ちが落ち着いた。

そして、たくさんの痛みがあるからこそ、

愛を詰め込んで繊細に物作りをしたい。の方が大きくなった。

両手を広げてハグするようにあたたかく繊細にhappyをモノに変換していきたい。

 嫌なこともたっくさんあったけど嬉しいこともたっくさん増えた。

誕生日に友達が生まれてきてくれてありがとう。ってメッセージをくれた。今までの悲しみが1つ2つ…と涙で浄化していった。

人は人に傷つけられて、人に救われるのかと思った。

 ネガティブの方がエネルギーが強いみたいだけど、人は人にされたことを人にするという現象をわたしはhappyがあふれることに活用したい。目指したい。だからこそ癒し時間作家にもなりたいのだ。

 いろんなことを抱えながらかもしれないけどでもゆっくりとゆっくりと

 今、風船のようにゆらりはらりと嫌なことを避けて必死に生きてきたわたしの私が心臓に戻ってきた。これがしたいのだ。って小さいころに美術とミュージカルが好きで高校の時美大に行きたいと思っていた自分がゆっくりと帰ってきた。



友達に好きって言われて嬉しい。誰かを思うあの温もり。
そんな嬉しいを増やしシェアする仕組みも作りたい。

お1人お1人ハグしていきたい気持ちだがそうすると限界がある。

だからハグするように服作りを今頑張っている。

 服は私にとって大切な存在でもある。泣き虫だろうと服に袖を通すとスッと背筋を伸ばしてまっすぐと生きようとさせる。

自分の想いを把握し言葉にするのが苦手だからシチュエーションで服を変える。気持ちにフィットする服を探す。表現する。わたしの内側の心臓を守るように服を纏う。。だから服がやめられない。

そして、ハグするような物作りの1つとしてポストカード。


 わたし1人だと限界があるけど、ポストカードを通じて誰かが誰かを想い、それからまたその人がまた他の誰かを想い、それからまた、それからと…

わたしからの先の人、その周りの人へポツリ、ポツリと…繋がっていくことを本気で願っている。

 強さ!が目立つけどそんななか苦手や不器用な弱さを抱えながら、優しさがあふれるようになれ〜と1人ぐらい柔らかい優しい時間を生み出す人がいてもいい。その1人でありたい。

その先に愛がいっぱいつまった花びらが人に舞い込み、花の色がその人に入り込み、色移りをして今以上にカラフルな日常があふれだす。と信じて。

ここに書いたことも過去になる。

また何かと出会いこの考えを解き、また新たに何かと結びつけて行くと思う。これからもこれからがはじまり。 KIE



好きなお洋服作り幸せ作りにします!