なぜシーシャを吸うのか??
「なぜシーシャを吸うのか??」
なんでこの話になったかは覚えてないけど、シーシャ屋さんで理由を追求されて確かになぜシーシャを吸うんだろう、吸う必要あるかな?って立ち止まるほど鮮明的な質問。
その時は、「うーーん、なんでだろう。」が素直な答え。
なんとなくシーシャに行きたい人たちについてきた。が近いな。
確かになんで吸うんだ。あの謎の煙を吸うだろう。たぶん、あの煙を欲しているわけではない。甘い味もフルーティーな味、香りが誘惑しているのかもしれないけどなぜ吸うんだろう。
その質問に答えることなく別の話題に変わった。その話題で頭がぐるぐるしだし、シーシャの質問は忘れかけていた。そのぐらい別の話題が盛り上がり、お互いの思考を伝える時間が白熱していた。
白熱した後に吸ったシーシャで気分がとってもすっきりした。とても良かったんだよ。なんとなく吸う理由がわかった気分で嬉しかった。
その数日後、ヨガ教室に行った。
始まる前に「いろんなことを手放しましょう」という言葉で始まった。
うん??欲を捨てることかなって思っていたけど、ヨガの先生から続いた言葉は「働いている自分、母の自分、娘の自分、家での自分などいろんな自分を手放して」って。
そのあとから呼吸法からヨガがスタートした。まず注意されたのは呼吸だった。
ただ吸って、ふーーーってはいてという簡単な呼吸ができてなかった。頭の中は空っぽにしたリラックス状態のなかに驚きの感情が出てきた。
「え、わたし呼吸ができてない。。」
つまり、深く呼吸ができてなくて浅い呼吸しかできていなかった。胸で呼吸しているのかお腹で呼吸しているのかもわからない状態だった。
ここで息してねっていう位置でなかなか呼吸ができなくて、終わってから呼吸を少しだけ教えてもらった。
じっくりと教えてもらった呼吸を少しできた時、シーシャと同じ感覚だった。
頭がすっきり。吐き出すのも気持ちがいい。
みんないろんなものを言葉として出すのではなく、人にはバレないように吐き出したいんだ。気づかない自分の緊張もスーーってどこかに置きたいのかもしれない。
なんでシーシャを吸うのかのアンサーは、煙に紛れ込ませていろんなことを吐き出したいのだ。その時だけいろいろ手放してなんでもない無の自分でいたいのかもしれない。
そしてシーシャを必要とする人はなんだか同じタイプが集まるのかもしれないし、シーシャもヨガも必要と思った時にやってくるのかもしれない。
なぜシーシャを吸うのか。なんだか大人の階段を上った気分。ふふっ。
好きなお洋服作り幸せ作りにします!