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恋人は花と共に

恋人はお花屋さんだ。

こう言うと、小さい子から大人まで大体なんの仕事をしているのかイメージできるので偉大だ。私が小さい頃、女の子の夢といえばケーキ屋さんかお花屋さんだった。私の妹もケーキ屋さんになりたがっていたように思う。私の仕事などは、簡略化すれば「塾の先生」だが、厳密な話をすると小学生が途中で飽きてあくびをするくらい退屈で難しい単語を並べなくてはいけない。そもそも「塾」も、小学生にならないとわからないので、幼稚園児にも伝わる仕事というのはなかなかないだろう。

私達はお互い全く別の業種だが、仕事の話を始めるとすごく揉める。お互いに自分の関わるものには真剣なので、いつの間にか会話がヒートアップしてしまう。なので仕事の話が出たときは、かなり頑張って聞く方に徹する。それでも、口を開くとお互いに夢中になってしまうので、できる限り仕事の話はしないようにしていた。

むしろあまり普段の仕事に関係のない話や、嬉しかったことをほんの少しだけ聞かせてもらうことがある。そのどれもが「そっかそっか、良かったねぇ」と相づちを返せば終わるものだ。接客コンテストで上位だったとか、プロポーズ用の花束を作ったとか、上司との会話とか。私は「そうかそうか」と言うだけで、それ以上に深くは聞かないけれど、恋人が楽しそうにしているのは、私も嬉しい。

ところが、以前、恋人が泣きながら電話をしてきたことがあった。人間関係のトラブルらしい。私と同じ年なのに、恋人はもうお店を一つ任されている。

アルバイトの人が、辞めたいと申し出てきたのだという。今日までの経緯を恋人は順番に話してくれた。

「あのね、アルバイトの人がさ。『別にやめてもいいんですよ。こっちもお金に困ってるわけじゃないんで』って言ったんだ」

恋人は、また泣き出した。それは、悲しいとか、甘えてるとかそういうものではない。ただ、涙が溢れてたまらない様子だった。嗚咽を噛み殺してから、恋人は言った。

「……それは、私の仕事への侮辱だと思う。私もお金に困ってやってるわけじゃない」

私は、うん、うん。と、ただ頷くだけだった。恋人は言えない言葉を持ち帰ってきたのだ。

恋人は自分の仕事に誇りを持っている。花束を作ることや、自分の作った花束が誰かに渡ることに、深い愛情を注いでいる。だから、自分の仕事をお金に困っていなければやらない仕事として掃き捨てられたことには、我慢ができなかったのだろう。

恋人が弱音を吐くのは、とても珍しいことだ。私も辛いことはあまり恋人に話さない。私はまどろっこしい性格をしているから、恋人の相談に乗ることには向いていない。そして、恋人は良くも悪くも合理的すぎる。

私達にはそれぞれに筋と道理があって、同じ方向を目指すにしても方向性があまりにもかけ離れている。だから、私は恋人のことが良くわからないし、恋人も私のことはあまり良く知らないだろう。

それに、あまり知ろうとしていない。

恋人の好きなものが何であろうと、ほんっとうにどうでもいい。何を好きになろうが知ったことではない。だけど、恋人が仕事に情熱を持っていることは知っている。私は花には本当に興味がないけれど、恋人の持つ誇りは大切にしてあげたい。

花のことを語る恋人は、何を言っているのかよくわからないけれど、とても楽しそうにしている。

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